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第1回仏教って知れば知るほど面白い(前編)

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この記事は2015年善立寺寺報「香蓮」にて掲載されたものをnote用に再構成したものです。

今回は塩尻市広丘郷原の高野山真言宗郷福寺(きょうふくじ)の副住職、白馬秀孝(はくばしゅうこう)さんとの対談です。

目的は同じ。手段が異なるだけ

郷福寺白馬(以下、白馬)
真言宗の宗旨を一言で表すと、即身成仏です。
今この瞬間、仏になろうと決心した瞬間に仏になれる。そのために
三密(印を結ぶ、真言を唱える、仏を観想する)の修行を行います。

善立寺小路(以下、小路)
浄土宗は念仏往生。
今、生きている間に覚りを得ることは難しい。なので、念仏を唱えることで極楽浄土に往生する。そその極楽浄土でゆったり修行して覚りを得ようという教えです。

白馬
いつ仏となるかという点が大きく違いますね。でもそれは手段が異なるだけ。仏となるという目的は同じですね。

小路
宗派の違いは山登りに例えられますよね。山に登る手段は徒歩、ロッククライミング、ケーブルカーと様々ある。
でも、頂上に立とうという目的は一緒。目的が一緒だから、宗派が異なっても私達のように、一緒に活動ができるんですね。

仏教とはどう生きるか

白馬
高野山で修行をしてみて驚いたのは、真言宗のお経には死んだ後のことが書かれていないこと。むしろ今どう生きていくべきかということが書かれていた。その時、これが仏教の本質なんだと知りました。

小路

私もお坊さんになるまでは、仏教は葬儀の時だけ行うものだと思ってました。
お坊さんになって初めて、仏教とは生きながら実践していくものだと知りました。念仏も三密も、今、この瞬間から自分が行うものなんですよね

体験してもらう

白馬
私も実際に行う、体験してもらうことって大切なんだなを感じています。
ある時、阿字観(あじかん)の講座で、数時間に及ぶ本格的な護摩行を体験してもらいました。私は参加者の皆さんがつらくて嫌になってしまうのではないかと心配したのですが、終わってみると「是非またやりたい」という声を多数頂いたんです。
この件から、私達僧侶側が思っている以上に、皆さんは興味をお持ちで、体験したいんだと気付きました。

小路
お坊さん側からそういった体験してもらう機会を提供していくことが重要ですね。

死を体験する終活

白馬
高野山真言宗の心の相談員養成講習会では臨死体験を行っています。
私が今考えているのは、枕経から葬儀式、四十九日間の死後の旅を体験してもらうような催しはどうかなと考えています。それこそ、お寺にしかできない「終活」なのではないかな。

小路
それ面白そうですね。「死の学び」は学校では絶対に教えてくれないですから。

白馬
自分が死んだらどうなるかという意識、死生観を持つというのは大切だと思います。死生観をもつことで、「生老病死」から離れて、安心(仏教用語・心を乱す事なく過ごすこと)を得て、今をより良く生きることができると思います。

お互いの宗派を見てみて

小路
真言宗さんは柔軟な考え方で、取り入れられるものは取り入れようという精神がいつの世もありますね。そこに、宗派が異なっても互いを尊重し合う日本仏教のおおらかさを感じました。

白馬
浄土宗さんを始めとする鎌倉仏教は、仏教を庶民化する上で、専門化していく必要性があったんだと思います。当時の仏教庶民化のムーブメントはすごかったんでしょうね。

【次回に続く】

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