なりたい自分

あー。飽きた。つまらん。
お昼ぐらいに起きて、ゲームして、目が疲れたからお昼寝して、気がついたら夜。(今、0時38分)という、クズとしか言い表すことが出来ない日々を送っております。やあ!
こんな生活を送っていると、気が滅入り、ネガティブな考えが頭を支配しています。なので、なりたい理想像でも書き出して、すこし前向きになってみようかと思います。(なれるもんなら。)

自分の理想は、

"楽しいか楽しくないか"

が人生の判断基準になることです。
 
向いてるか向いていないかじゃなくて、好きか嫌いかでもなくて、楽しいか、そうじゃないか。そうやって、人生の選択をしていきたい。それが、理想です。
 
何かを始める時に、『できるかな』『もしやって出来なかったら(お金も時間も)無駄だな』『周りに反対されているし』『自分にできる訳がない』『でも』『だって』と、考える前に、ちょっとでも『楽しそうだな』と思ったらやってみようと思います。
 
やれるかどうかなんて、やってみないことには誰も分からないので、取り敢えず今確実に分かっている、『楽しそう』なのか、『楽しくなさそう』の二択に絞った方がいい、というか、物事にはその二択しかないと自分は考えます。
 
大人になると、人付き合いやらで、人に合わせたり、見えない空気を読んだりと、様々な観点から判断をしないといけないことがあると思います。

しかし、その難解に見える分岐も、本質は、"あなたが楽しいと思うか、思わないか"の至ってシンプルな二本道なのではないでしょうか。飲み会が楽しそうなのか、そうではないのか。残業が楽しいのか、楽しくないのか。一人暮らしが楽しそうなのか、そうでもないのか。noteを書くことが楽しいのか、楽しくないか。

と、こういうことを言うと、『いやいや、経済的事情や家庭環境によって、やりたくても出来ないことはあるでしょ』と言う人もいるでしょう。確かにそうです。しかし、それでも本当にやりたい、楽しそうと思うのであれば、改善策や妥協案を出して何かしら行動に移すのではないのでしょうか、てか、自分はそうしたい。自分の気持ちを大事にしてあげたい。それが理想です。

迷った時は、『君はどうしたい?』って自分に聞いてあげて、それを実行できる人になりたい。です。

少なくとも、今の自分の時間の使い方は1ミリも楽しくないので、明日からは、楽しい時間の使い方を模索しようと思います。そっちの方がよっぽど楽しそう。

という訳で、なりたい自分と言うのは、『自分がどうしたいのかを考えて、行動できる自分』

社会や、身の回りで、予想外なことがこれからも沢山起こると思うが、周りに流されるな!と言うことを、未来の自分は勿論、今の自分に言いたい。

そして、この文書を書いて前向きになれたかと言うと、現在の自分と乖離し過ぎていて傷つきました。おやすみ。

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