ライターコジマのしくじり事件簿|イベントの企画担当なのに、当日は調光室に隔離されるというね。
「あなたがいるなら、この仕事は降りる」
こんな気持ちになることはたくさんあるだろう。ワタシだってある。多くの人は、その気持ちを胸元にしまいながら何とか仕事をしている。それがオトナというものだ。でも、そうじゃないオトナもいる。実際にこのセリフを言われたことがあるから間違いない。
今回のしくじりも前回と同じ案件だ。科学シンポジウムの企画・制作・運営。あれから数年たち、ワタシもそれなりに経験を積んだ。今回はシンポジウム全体の現場責任者という立場。「オレもそこそこできるようになったな。むふふ」なんて思っていたはずだ。間違いない。
事件の具体的な経緯は忘れたけど、登壇する大学教授がまたも怒り出したのだ。曰く「私の大事なスライドに指紋が付いて返ってきた。失礼千万、不届きである」。そして、「コジマとかいう若造が担当をする限り、シンポジウムには参加しない」と。
例によってシンポジウムの告知広告をつくるために、件の先生にところに行って、打ち合わせ・取材をし、広告に使う写真を借りてきた。もちろん先生には、都度都度説明をして確認作業はおこなってきた。制作の過程でしくじったことはなかったと思っていたのだが…
借りてきた写真(ポジフォルム)にはすべて、マウント(プラスティックの枠)が付いていた。これはいまで覚えている。雑誌に載せる告知広告の制作のためには、そのマウントを外す必要がある。もしからしたら、そこで直接触ってしまったのかもしれない。デザイナーや印刷会社の担当者が触った可能性があることはあるが、ほぼ考えにくい。彼ら・彼女らはそのあたり、とても慎重だからだ。残る可能性は自分しかない。
まずは先生の自宅に飛んでいった。菓子折りを持って。雨だった。玄関で奥さまが対応してくださったが、会うことは拒否された。門前で1時間ほど待ってみた。それでも会ってくれなかった。奥さまはたいそう恐縮していた。
次に鎌倉に行った。唯○論やバ○の壁で有名なY先生の自宅。Y先生にはこのシンポジウムのコーディネーターをお願いしており、あの先生とは旧知の仲。登壇者として紹介してくれたのも彼だった。自宅は遠かった。猫がいた。虫の標本と人間の脳の標本(プラスティネーション)が転がっていた。
「困ったね」彼はそう言った。シンポジウム運営側として困ったのか、面倒なことに巻き込まれて困ったのか、そのときはわからなかった。両方ということにしておこう。「いちおう彼に電話してみるけど、事の解決にはならないと思うよ」。
Y先生はワタシの帰り際に、こうも言った。「仕事に根詰め過ぎだよ。ただの仕事なんだからさ」。なぜそう言ったのか。言葉の真意は何なのか。いまでもわからない。
さて。
偉い先生の意思は堅く、説得は難しそうということがわかると、例によって関係者によるワタシへの事情聴取である。「またキミか…」という“あきれ感”がありありと伝わってきたが、知らないふりをした。今回の事情聴取は、あまり深刻にならなかったと思う。前回で慣れたということもあるが、先生は「コジマがいるならシンポジウムに参加しない」と言っているだけで、コジマを外せば事は穏便に進む可能性が残されているからだ。
果たしてそうなった。コジマを本件から外す。先生にはそう伝えてリスタートということになった。表向きは。
実際は、これまで通り仕事をした。この時点で担当を替えるのは、仕事として誰が見てもリスクが高いからだ。ワタシがあの先生と直接会ったり、やり取りをしなければいいのである。結果、シンポジウムは著名な先生方が登壇することもあり、これまでにない集客と盛り上がりになった。
唯一の問題だったのはシンポジウム当日の動きだ。企画・運営の担当者が会場にいないわけにいかない。ワタシはインカムを付けて調光室に隔離。出禁になったシンポジウムを見ていた。最初は心配になってインカムでごちゃごちゃ喋っていたけど、シンポジウムは何が起きるわけでもなく無事に進んだ。だいたいそんなもんだ。
「オレがいないと動かない!」という仕事は、この世に存在しない。
あの先生が怒り出した本当の理由は、いまでもわからない。フィルムに指紋というのは、あくまできっかけに過ぎなかった気がする。おそらくまた、ワタシは偉い人を上手にあしらうことができなかったのだろう。
いまは偉い人を上手にあしらうことができるのか。これもわからない。しかし、前回も今回も共通していることがあるのはわかった。偉い人は、ワタシに直接怒らないのだ。偉い人には、ワタシが見えていないのかもしれない。
貧乏は楽しめるけど、貧乏くさいのは嫌だ。
偉い人は尊敬できるけど、偉そうな人は嫌だ。
それはいま、よくわかっている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?