見出し画像

子どもの心臓が止まった日、あなたのドラマを聞かせてほしい

「お子さんの心肺が停止しました!緊急手術になるので至急お越し下さい!」


冬なんて来ないんじゃないか、と思うような暖かな秋の日の夕暮れの電話だった。
私達の長男は生後10日。
妊娠中に発覚した心臓病の為、出産後そのまま入院している。
普段のうのうと生きている私にはめずらしい試練だった。


いや、振り返ってみれば、5年間の不妊治療も試練だったし、高校生活友達が一人も出来なかったのも試練だし、すぐキレる父親に耐える幼少期も試練だった。
この試練の中で、いつでも楽観的に深く考えずにやり過ごす事が身に染みついていた。


だがこの時ばかりは楽観的ではいられない事はわかっていた。

「心肺停止ってどうゆう事?」
「心臓が止まっても手術する意味あるの?」
「もし生きれたとしても障害が残る可能性も高いよね?」
「お葬式、、することになるのかな?」

出産時の傷がまだいえていない体を横たえて、1時間半の渋滞に流されながら車は進んで行った。
外の世界から心を引き離して、沈黙の中で冷静さにしがみつくのに必死だった。

病院に着くと、どうやら一命はとりとめたようだ。
医師は難しい話をゆっくりしてくれた。
私たちの質問にもしんしに答えてくれる、細心の注意を払った言葉づかいで。


でも私たちが聞きたかったのは。
「この先助かるのか?」「障害は残るのか?」それだけ。


そんなの医師にだってわからない。
だから気を使って最悪の可能性も含めて、丁寧に説明してくれている。

夫も今の状況を把握するために、紙とペンで医師の話した内容をまとめて理解しようとしたが、途中でやめてしまった。
どんなに現状を把握しても、助かるか助からないか確率を聞いても、長男にあてはまるかはまた別の問題。
親はひたすらこれ以上悪化しないように願い、回復を待つしかできないのだと。


こんな時医師は、患者の親の心に配慮した伝え方なども学んでいるのだろうか?
24時間体制でこんな重圧のある仕事をする医師は大変だな。
この医師は夜ご飯、ちゃんと食べたのだろうか?
なんて、現実逃避にも近い事を考えていた。


客観的に今の状況をとらえる事で、恐れの感情に触れないようにしていた。
一通り説明を終えて医師が去ったあと、普段感情を表に出さない夫が哀しみ怒りだした。
夫は医師に対して、病院に対して「そんなのしょうがない」と思えることにまで怒っていた。
きっとどこかの引っ掛かりに理不尽な怒りをぶつけて、この理不尽な状況から自分を守っていたのだ。

それを見て。楽観の中でふわふわ浮いていたかった私も、バチッと厳しい現実へ手をひっぱられた。
「あー、やっぱり難しいんだ。」
難しい=不可能。って意味を、社会人になってはじめて知ったな。


長男に面会した瞬間、目に映る絵がショックそのもので、涙が飛び出してきた。
絶望とか混乱とかいう心の感情もみんなすっ飛ばして、直接脳に衝撃がきたのだ。

消毒液の独特のにおいの中、長男は人工的に心臓と肺を動かされ、体中赤いチューブでつながれたゴムの人形のようだった。
胸のガーゼ下の手術跡は、いつでも再手術できるように、縫い合わされていない。
すでに顔はむくんでしまって、誰のおもかげもなくなっている。
自分の力では生きられない、機械に延命されているだけの小さな命。
これを生きていると言えるのか。。
かすかに、指先だけ触ることができても何の反応もない。


「もう見なくていい」とつらそうな夫をのけて、長男の表情、体、チューブにどうつながれて、どうゆう状況なのか事細かに確認した。
もしかしたらこれが最後のお別れになるかもしれない。
せっかく私たちのところに頑張ってきてくれたのに。

産道を通るのもとっても早くて上手だったから、お母さん助かったんだよ。

まだ1回しか抱っこしてないね。
おっぱいも直接あげられなかった。
ベビーベットも準備してあるんだよ。

もっとほおずりして、もしゃもしゃの匂いの中でずっと守ってあげたかった。

あなたが迷ったとき、大丈夫だよって笑える母親になりたかった。



いかないでって、ギリギリまでずっと無反応な指をなで続けた。








長男はそれからきょういの生命力を見せました。

何度も手術をして、5か月の入院生活の末、命をつなぎ合わせて、今目の前で元気に笑ってくれています。

完治はない心臓病なので、またいつ危険な状態が訪れるかはわかりません。

元気に戦いごっこをしている姿を見ると、産まれた時のことなんて忘れそうになります。

私にドラマがあるように。
あなたにもドラマがある。

妊娠がわかった時の周囲の反応、気づかい。
妊娠中の不安な気持ち、イライラ。
陣痛時の命がけの痛み。
出産した時の家族の顔、あたたかさ。
正解もなく迷いだらけの育児。

問題なく妊娠して、
問題なく生まれて、
問題なく育った子どもなんていない。

今当たり前にある子どもの笑顔を当たり前だと思わないで。
今当たり前にある世界が当たり前だと思わないで。

1日1日を大切に、子どもや周りの人を大切にしていきましょう。(^^


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?