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My Story 4:「アメリカで過ごした青春」

◆トークライブのお知らせ!

日本時間:4月18(日)11:00-12:00(バンクーバー:4/17土 19:00)

「47歳から始まる幸せライフデザイン!」@クラブハウス

みんなでより自由で楽しい50代を迎えるためにヒントをトークしましょう!

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さて、そんな中学3年生、14歳のひと夏に人生観が変わるような経験をして、そんな熱い思いを胸にアメリカ一人旅から帰国します。ボクは付属校だったので、いわゆる高校受験というのもなかったので、すぐにアメリカ高校留学の準備に入りました。

まず実現のためにやるべきことは親への説得からでした。前回も書きましたが、わが家の両親は海外なんてまったくの無縁で、旅行ですら海外に行くことなんてありえないような家庭でした。しかも、すでに小学生時に離婚もしているような環境でしたから、どこまで夢を叶えられるかは他力本願な部分もありました。でも、自分の中で悔いなくできるならやってみようと未来を信じて前向きに行動してみました。

当時の時代背景は、日本という国が最もパワーがあった時代でもあり、それも良き時代のタイミングだったと思います。つまりサラリーマン家庭であっても、留学に行ける可能性がゼロではなかったのです。その望みをつなぐために、まずお金をかけずに自分自身で学校をセレクトして手続きもやるつもりでした。

なので、まずは費用面でギリギリわが家でも留学可能かもと思えるアメリカの私立高校を探すことから始めました。ちなみにアメリカの高校に留学する場合は交換留学としては公立高校に通うことができますが、本来は現地で税金を払っている家庭が保護者として、責任を持ってもらえる保護者の立場になれないなら、通常は通えないので私立校以外の選択はなかったのでした。

当時はインターネットもない1980年代中盤、新宿の紀伊国屋書店に売っていた洋書コーナーに行き、「アメリカ私立校ガイド」なる分厚い本を買ってきて、その中から、いちばん安い順に学校を何校かピックアップして学校に入学したい旨の手紙を書きました。

今は自分が留学エージェントをやっていて言うのも何ですが、今みたいな情報がいくらでも入る便利な時代ならともかく、当時はそれこそが自分できる精一杯の行動でした。でも、いつの時代でも、まずは行動してみることで何かが動き始めるのは一緒のような気がします。

人生いろいろある中で、小学生時代に少し不憫を感じた親の離婚も、この時はプラス方向に動きました。親からすれば離婚していたことで、多少なりとも後ろめたさもあったようで、子どもの夢を叶えてあげたいということで応援はしてくれました。

自分なりに憧れのアメリカに何とか住めるように本当に必死でしたが、幼稚園から付属の私立校に行かせてもらっていた恵まれてた身ではありますが、やはり実際にはアメリカ留学はお金がかかります。なので、やはり親からはせめて日本の高校を卒業してから行けと何回も説得もされました。でも、その時はどうしても行きたいことをアピールして泣きついてお願いしたものでした。

今でも覚えていますが、その時に親を説得するために伝えた言葉、それは「言葉が話せない犬だってアメリカで暮らすことができるんだから、人間のボクが住めないわけがない!」なんて意味不明な思いを本気で訴えていました。でも、それこそ当時は飛行機の片道切符さえ手に入れば、もう日本には二度と戻らなくても良いと思うぐらいの熱意だったのです。

今の自分から見ても羨ましいぐらいに10代特有のパッション、情熱であったことが、やはり夢を叶えさせてくれたと思います。だから、これを読んでる方も、何歳であってもぜひ本気で自分の熱い想いをぶつけて欲しいと思います。

今のようなインターネットが当たり前でないアナログな時代に、自分で拙い英語ながら一生懸命に学校に手紙を書き、自分で入学手続きをしていきましたが、その熱意のおかげで親も根負けしたと思います。

そして、ついに16歳の夏の終わりにニューヨーク州のものすごい片田舎の小さなクリスチャンスクールに入学することになりました。親は自分の子どもがどこの学校に行くかすら知らずに送り出してくれました(笑)

初めてのアメリカでの生活は、東京の暮らしとは全く異なる、とんでもない片田舎の村から始まりました。一年目はすべてが新鮮でしたが、不思議なもので少し慣れてくるともっと刺激が欲しくなり、二年目にはニューヨーク州のとんでもない片田舎から、フロリダの学校へと転校することにしました。

その新しいフロリダの高校は全寮制だったこともあり、ちょっとお金持ちの悪ガキが集まっているようなユニークな学校でした。生徒の大半は全米各地から集まったアメリカ人でしたが、世界中の留学生も受け入れてるような学校でした。フロリダという土地柄か中南米やカリブの国々をはじめ、ヨーロッパなど世界中から集まっていて、寮生活で24時間一緒なので、たくさんの友だちにも恵まれ、楽しい思い出をたくさん作ることができました。

もちろん高校留学の現実はホームシックもあり、その時に家族のありがたみも感じました。厳しい寮生活は通称Jailと呼ばれるような厳しい面もあり、くじけそうなことも多々ありました。でも自分で決めて選んだ道だからこそ頑張ったのも事実です。

在学時には映画のようにアメリカ人の女の子ともちょっとした恋愛したり、卒業前にはディズニーワールドでオールナイトのプロムにも参加したり、卒業式では映画のワンシーンで見たみんなでガウン着て帽子を投げる、そんな憧れの高校生活を満喫させてもらいました。

すべて自分が願えば夢は叶うではないですが、やはり熱意は必要なんだということは、この時に実感しました。そして、何よりも親が送り出してくれたことに本当に感謝しかないです。

1991年6月に高校を卒業して、中3の時に初めてアメリカひとり旅で訪れた、憧れの地であるカリフォルニア州ロスアンジェルスのカレッジに入学します。そこでは初めて車の免許を取得してドライブを楽しんだり、人生初の一人暮らしというかルームシェアー生活などを楽しみました。その時だからできた仲間たちとの楽しいアメリカ西海岸生活は、ボクにとって今でも人生における最高の財産であったと心から言えます。

今年いよいよ50歳を迎えようとしていますが、当時いっしょに青春を過ごしたLA時代のルームメイトやバイト先の仲間は今も心からの親友です。海外で過ごした経験、そこでも多くの出会いは、まさに英語など勉強以上の人生に影響を与えてくれるものなのかなと思います!

これを読んでくれている方も、ボクは42歳でまたカナダに移住しましたが、何歳だから今からやるのは遅いなんていう言い訳を自分で作らずに、自分の人生を今日からでもいっぱい楽しみましょう!

 

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