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「差別」と「平等」は紙一重。

最近、「差別」「平等」について考えることがあります。
というのも、「差別」「平等」というワードがニュースでよく出ているからです。

例えば、男女差別や人種差別、宗教差別など、差別、不平等に関するニュースは枚挙にいとまがないほどあります。

僕は「差別」と聞くと、反射的に「悪いこと」と思ってしまいます。

でも、「差別=悪いこと」としてしまうのは、逆に差別を拡大しているのではないかとも思うのです。

大事なことは、まず「違いを知ること」なのかなと。

例えば、男性と女性は体の構造が違う。
これは違いです。
これを否定できる人はいないと思います。

もちろん、ジェンダーレスということもあります。
体は男性でも、心は女性ということもあります。

ただ、男性と女性とでは、確実に体の構造は違うのです。
その違いを認めたうえで、男女平等を考えていかないと、いびつな平等になる気がします。

違いを認めるという土台の上でしか、お互いに納得できる平等は存在できないのではないかと思います。

次に大事なことは、「視点によって平等は変わる」ということ。

税金を考えるとわかりやすいです。
今は累進課税で、たくさん稼ぐほど、税金が高くなります。
逆に稼ぎの少ない人は税金も安くなります。
一見すると、平等のように見えます。

しかし、別の視点で見ると、すべての人が同じ税率で課税されるというのも平等といえます。

どちらも「平等」なのです。

しかし、一方では「不平等」という見方もできます。

例えば、累進課税では、たくさん稼ぐほど税金が高くなるのは不平等とも言えないか。

賛否両論あると思います。
僕はどちらが正しいとか、正しくないということではないと思っています。

しかし、平等という言葉は、別の側面から見ると不平等になります。
反対から見ると、不平等であり、差別の元となっていることが多々あります。

その両面から見ることなしには、差別がなくなることはないし、平等であることはないと思います。

特に一方的な意見ばかり多くなったときほど、逆の視点から物事を見てみると、また違った見え方になります。

差別をなくし、平等な世界とは、一人ひとりがたくさんの視点で見て、違いを知り受けいれることが根底にある世界だと思います。

その土台なしには差別がなくなることはないと思います。

自分自身も一方的な視点で物事を見てしまうことがたくさんあるので、自省の念を込めて書かせていただきました。

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