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[ その⑤]「ぼくが出せなかった7通の手紙」~胃がんに罹ったペシェへの手紙~ 4 外来経過観察中のあなたへ

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             *

4 外来経過観察中のあなたへ

 なぜ人は、病気をしないと、健康に感謝ができないのだろう?
 そして、時間と共に、その感謝の気持ちでさえもわすれてしまうのだろう?
 
 退院して、まもなく、ペシェは喫煙を再開したのだった。
 その前に、ペシェはぼくに喫煙を再開してもいいか相談していた。
 そのとき、きっぱりと止めなかったぼくにも、ペシェの喫煙再開の責任はあったかもしれない。
 でも、ぼくは嫌煙家ではなかったし、実は嫌煙家のことを好きとはいえなかったのだからしかたがない。
「ペシェ、今まで禁煙はしたことないの?」
「もちろん何回もしたことありますよ。今回の入院が最初じゃあないです。
自律神経の嵐といわれる禁断症状に苦しむ。あくび、くしゃみ、発汗、流涙、よだれ、熱感、悪寒、心悸亢進、不眠、全身不快感、そして幻覚、不安・・・・とまでいくはずはないですが。
意志が弱いんです。
でも、一番いけないのは、やめるとき、ぼくは自分にこういいきかせるからかもしれない。
禁煙=人間をやめること、と仮定すれば、自分は、フォースのダークサイドの力に誘惑された、アナキン・スカイウオーカーだ。
禁煙という『悪に堕ちる』ということは、一種の快感をともなう。罪悪感は、快感につながっているはずだ。
アナキンがジェダイの子どもたちを殺戮した時のように、ぼくが、タバコたちをしめだすことに多少でも快感がもてればこの禁煙も成功するかもしれない、と」
そういうペシェに、ぼくは答えた。
「そうだね。悪=禁煙、には、それなりに理のとおった考えがあって、それに身をゆだねることで、大いなる安心が待っているところがあるね。
『おそれるな。何か大切なものをわすれてないか?』などというささやきに惑わされてはいけない。
君を待ち受けているのは、大いなる多数への仲間入りと、真実という否定できない絶対という武器をもつことだ」
「そう。でも、これって、まるで絶対やめたくないっていって言いながら禁煙しようと言っているみたい」
 さらに、ペシェは言葉を続けた。
「禁煙の根拠となる統計上の数字のだしかたにはいろいろ文句はあります。まあ、細かいことだから言うだけ野暮になるけど。
でも、ひとつ、ぼくは統計学者たちに、是非、職業別の平均寿命をだしてほしいと思う。公務員、農業、サラリーマン、自由業、主婦、医者そして浮浪者など職業別の平均寿命は?
でも、ある職業が、あきらかに平均寿命が短いからといって、その職業を簡単にやめられます?
それでは、交通事故の車種別の確率をだしてみたらどうだろう?
軽自動車が交通事故死亡の確率が高く、外車やトラックが少ないからといって、みな、そちらにのりかえます?
ぼくが思うに、嫌煙ファシズムの人は、きっと、BSE報道のときに焼肉屋にいかなかったに違いないと思います。
交通事故の可能性があるのに、車に乗ることはやめてないにもかかわらず」
嫌煙家の非難をするペシェの言葉は、けっして喫煙について擁護する理由にはなっていなかった。
だが、ぼくにはいいかえすことができなかった。
確かに、高圧的、権威主義的にならずに禁煙をとくことは実は難しいのだ。

 で、ペシェは喫煙を再開した。
あと、めだったことといえば、蘭の世話を入院前より熱心にするようになったこと。
ペシェは、蘭を交配させて新種の蘭をつくる試みもはじめていた。
元気になったペシェは、片桐健司が社長をつとめるバイオの会社で、再び仕事をはじめていた。そのゴールは、新しい抗がん剤の開発だった。
ある日、その片桐社長が「日本の生物学の基礎研究の現状」について、辛辣な話をした。その話は、ペシェにとって、そしてぼくにとても印象的な話だった。

「今の日本の製薬会社に、新薬を開発する力はあるかい?
 実は可能性はないのだ。
大学にいたっては論外だ。お互い足をひっぱりあい、ボスの巧妙心と、ちっぽけな正義でかろうじて舵がとられているような集団になにができる?
日本中の大学に眠っていて使われることのない高価な分析機器をあわせるといったいどのくらいのお金になると思う?
税金で赤字のリゾート地が無計画につくられていることや、ダムとか高速道路や行政法人用のビルとかの『無駄遣い』がニュースで問題になっているけど、大学に無駄に配分される研究費だって、専門性のベールに包まれているだけで実はそれと同じくらいの無駄があるのだ。
 馬のえさにもならない生産性のない研究内容でも、論文の数が多く、人間関係が豊富というだけで、どんどん研究費が配分されている。
研究費を多くもらっている有名な教授の発表を聞いたことあるかい。お金があるから、新しい分析器械は使っている。だから内容は目新しい。当然だよね。
結果、その内容はただの成金趣味のグルメだ。
しかも、医療の現場にはまったく還元されてないし、される見込みもない。
でも、彼には、素敵な殺し文句がある。
『科学は、有用性ということだけにとらわれては発展しないのです』
専門性という目隠しで、どれだけの税金が科学研究の名目で無駄についやされているか、一般の人は知らない。
 現実として、これからの、10年、いや20年くらいの間、日本は外国からの新薬の輸入大国になるだろうことは、君だって察しはついているだろう?
 日本のバイオは、欧米に10年以上遅れをとっていることを日本人は知らされてない。
 毎月のように新聞報道で新発見が報告されてじゃないかって?
 とんでもない。そこにでてくるネタは数年前の発見のやきなおしや、実用化とはほど遠いがとりあえずの発見というのがほとんどを占める。
 新聞は、バイオや医療は常に進歩しているというイメージを読者に、いやに日本人に植え付けたいようだ。
 その結果、一般の人の中には、もう、がんは早期発見でき、ほとんどが治る病気だ、と勘違いする人がでてきたって不思議ではないくらいになってしまっている。
 それに、仮に、だ。仮に、奇跡のような研究グループが日本に誕生して、新薬が開発されたとしても、その薬はどうなると思う?
 現在、ごくわずかな日本で開発された薬は、みな海外で臨床試験が行なわれているということを君も聞いたことがあるかい?
 われわれが少し前に開発に成功した抗がん剤だって、この例にもれず、臨床試験はアメリカの病院でおこなわざるをえなかったのだ。
薬は、どんなに、試験管の中で、あるいは動物実験で効果があるとわかっていても、最終的に人間の体を使ってためしてみなければ最終的な効果や毒性はわからない。そのために臨床試験というのは不可欠なのだが、日本でそれが実際問題としてできるような状態ではないのだ。
 まず、大病院のIRB(倫理審査委員会)が足の引っ張り合う場所になっていて、なかなか審査がとおらない。
 次に、臨床試験に参加して、たとえ自分が実験台に終わったとしても今後同じような病気で苦しむ人のために自分を役立てることができればという、奉仕の精神をもった日本人は少ないので症例が集まらない。
さらには、少しでも、臨床試験で副作用がでると、人体実験だといって告発しようとするマスコミの風潮がある。
要するに患者は、いいとこ取りで、副作用という自分にとって損なことがおこる可能性が少しでもあれば、効果が未だはっきりしないという薬は使わないとする人がほとんどだ。 
 さらに、試験する医師の方も、先陣あらそい、利権あらそいで、多くの施設が共同で協力しあい効率よくものごとをすすめるということが不可能になっている。
一方、マスコミは自分を常に安全圏においたままで正義の味方のふりだけしかしない
 そういう、日本の現状に嫌気がさすぼくの気持ちも君なら多少わかるだろう?」

このような片桐健司の話を聞いた日、それに刺激されたのか、ぼくはペシェあての手紙をひさしぶりに書いた。
 この4通目の手紙は、ペシェの胃がんが再発しないようにというぼくの願いをこめたものであると同時に、片桐が、ぼくやペシェや片桐に話した、日本で抗がん剤を開発する難しさについての議論に触発されたものでもあった。

そして、ぼくはこの手紙も結局ペシェにわたさなかった。
その当時、ペシェはとても元気で、わたす機会はいくらでもあった。
でも、もしわたせば、ペシェの身に何か悪いことがおこるような気がして、ぼくがわたす気になれなかったというまでのことだ。

     *    *    *

前略 ペシェこと太田誠二様

 おひさしぶりです。
 3ヶ月か6ヶ月に1回くらい外来に通院して経過観察中。元気に通院されているらしいですね。
 体は元気だけど、心配はつきない、というのが本当のところでしょうか?
「現在のところ、胃がんの再発をおさえる薬はないので、抗がん剤をふくめ、薬はだしません」
こう、主治医の先生にいわれたのに、なにか、再発をおさえるいい民間療法はないか、とても気になる。
周囲の知人や、遠い親せきからも、いろいろなものをすすめられる。
なにかやらないと不安になるなら、なにかやっておけば不安は減るというわけですか?
親切心はときにやっかいですよね。
下手に、ことわると、自分の親切心をないがしろにする、心の冷たいやつだ、と相手に嫌われたりする。
無責任な親切はあきらかに有害なのですが、人とのつきあいでは、切り捨てるわけにもいかないというのも世の中ですよね。

再発の確率、という統計上の数字とは上手につきあわないといけないという話は前にしましたよね。
前の手紙を読みかえして思い出してください。
結局、目に見えないもの、「がん細胞」を相手にしている場合、完全に不安はきえさることはありません。
これは、対象が規定しています。
医者や本人の力で、完全に解決はできません。
だから、どうか、自分で自分の気持ちをコントロールすることを
覚えてください。
悪いことばかりでなく、いいことも考えて。
どう考えようと、再発するときはするし、しないときはしないんだから、楽しく暮らしたほうが得です!

そう説明されても、一方で、なんの治療もせずに、ただ、経過をみている病院にも、なにか、見捨てられているような、気持ちになる。
まかせていていいものだろうか?という疑問が、どうしてもきえない。
 今日は健康食品など『民間療法』についてもう一度おはなししようと思います。
人の体のバランス、秩序のコントロールからはずれ、無秩序に早
く増殖するガン細胞。
人の体の『管』をふさいだり、人の体から栄養をぶんどったり、自分自身で有害物質を産出しばらまくこのがん細胞の治療法は、このがん細胞をゼロになくしてしまうということになります。
その方法には

(1)手術(あるいは内視鏡)により物理的にとりさる。
(2)放射線。
(3)薬(抗がん剤)。

の3つがあります。
 胃がんにかんしていえば、(2)放射線 (3)薬 でがん細胞の数をゼロにすることは現在、不可能です。せいぜい、がん細胞の増殖の速さをゆっくりさせる『延命効果』があるだけです(ただし、他のがんでは、放射線がよく効くのもあります)。
 だからこそ、体に負担がかかり、死亡率もゼロにはならない、死にいたらなくてもさまざまな合併症による苦痛がおこりうるような危険がある上に、胃をとった後遺症がずっと残る(とった胃はけっして大きくなりません!)にもかかわらず、痛い思いをしてまで、あなたは手術をうけられたわけです。
 手術でとりきれたとしても、体の中のがん細胞がゼロになったとはかぎらないにせよ、です。
 手術は、目でみて、目にみえない(場所さえわかれば、顕微鏡でかろうじて見える)がん細胞へいどむということです。
 もともと、方法として、ずいぶん乱暴なのです。
 まさに、「鶏を割くに牛刀を用いている」のです。
 目に見えないがん細胞に対しては、目にみえない薬が、手段としていちばん適していることはまちがいないのですが・・・。

 白血病、卵巣がん、乳がん、前立腺がんなど、一部の種類のがんでは比較的薬が効くものもあります。しかし、その場合でも、薬の力だけで、長い期間、がん細胞の数をゼロにすることはまれなことです。
胃がんに対する抗がん剤の開発はとてもハードルが高く、開発がなかなかすすまないというのが現状です。
 最近、がん細胞の数をゼロにするのではないが、がん細胞の増殖の速さをゆっくりさせるより一歩効果のある『がん細胞の増殖を休止させる』、がんを『休眠』させる薬があるのではないかといわれています。
 将来そういう薬剤があらわれることを祈っています。・・・ということは、現時点では、いろいろさわがれてはいるが、世界にそういう薬はないということです。
 ですから、今ある薬剤(例えば、5FU、イリノテカン、シスプラチン、タキソール、ハーセプチン、など)を使い、やれることをひとつひとつおこない・・・そのような完治が得られるような夢の薬があらわれるまでなんとか頑張るのが、現実には最良の方法です。

できた、胃がんをなおすこともできない現状では、胃がんの再発を防ぐという薬の開発はもっと先、というのが一般的な考えです。
だから「現在のところ、胃がんの再発をおさえる薬はないので、抗がん剤をふくめ、薬はだしません」という主治医の先生の話は正しいのです。
 とはいうものの、これが、5年後も正しいかはわかりません。

ひとつの仮説があります。
胃がんの再発というのは、手術や検査で、目にうつらないような、細胞という小さな状態で体のどこかに存在しているがん細胞が、時間とともに大きく、目に見えるようになってきた状態であるとすれば、目でみえるような細胞が無数に集まり大きなかたまりになった状態よりも、まだ目にみえない、がん細胞がまだばらばらの状態のほうが、抗がん剤が効きやすい、という考えです。
 この考えは仮説ですが、動物実験で証明はされています。
この仮説をふまえ、2003年から、全国で1000例の胃がん手術後の患者を集め、ある抗がん剤(TSー1)を、投与する人500人、投与しない人500人をくじびきでふりわけた、臨床試験の結果が最近発表されました。
(また、他の抗がん剤をつかった、同様の臨床試験も今、さかんにおこなわれています)
 その結果、TSー1を手術後服用(これを「術後補助化学療法」といいます)したほうが、服用しないより、再発率が低いということが示されました。
 TSー1は、本当に胃がんの再発予防に効果のある、はじめての薬となったのです
しかし、その違いは、50%の生存期間(統計的に10人のうち5人が死亡するまでの期間)をわずかに、2ヶ月延長しただけです。
これを、たった2ヶ月ととるか?
2ヶ月も、ととるか?
態度は、人様々でしょう。
でも、大切なことは、このことを患者が知るということ。
そして、こういう、実感ではそう大きな差がないように思える結果を証明するためには、こういう臨床試験という方法をとらないととてもわからない、という事実です。

 中には、『がんに効く』といわれる、いわゆる『民間療法』の情報を集められている方もいるかと思います。
 『民間療法』は、だめとはいえない、と同じようにいいとはいえない。
 副作用はないというのはウソとはいえない、が同じようにホントとはいえない。
 要するに調べられてないのです。調べようとする努力も今後されないのです。
 『民間療法』のがんの効果についての姿勢は、いま、おはなしした、TSー1が胃がんの再発予防に効果があるかないかの臨床試験と比較すれば、あまりにも無責任ということはおわかりになると思います。

 健康食品や『民間療法』の擁護者はこういうかもしれません。
 それでも、効果だけがわれわれの役割ではない。病院にみすてられた人の精神的なよりどころになるのだ。病院は、そういう点について、患者になにもしないではないか?
 百歩ゆずって(というのは、そのためには、その民間療法のやり方でなくてもいいからです)、そうかもしれません。
 しかし、少し前に報告された、アガリスクの事件はどうだったでしょう。
 アガリスクでなおったという人の体験談は100%捏造であったということや、アガリスクががんに対して効果がないところか、発がん性があるということが、当時、ようやく厚生省経由でようやく公になりました。
アガリスクで肝機能が悪化したり、腫瘍の進行が加速したりしたという事例は、個人的には実際にいくつか見ていました。
逆に、アガリスクによって腫瘍が消えたという事例は、ぼくの診ていた患者のケースではひとつもありませんでした。
(一時は、医者にアガリスクを使っていると言う言わないはともかく、がんにかかったかたの8割くらいが購入していたので、かなりの数の観察をぼくはしていたと考えられます)
そういうことは、ぼく以外の医者もきっと経験していると思います。
ただ、ぼくらには、それを、臨床試験のような形で、証明する時間も金もなかったというだけです。
 逆に、抗がん剤で、胃がんが消えた!というアガリスクのような体験談は、数少ないが、全国的に集めれば、本にするくらいはすぐ集まると思います。
もちろん、抗がん剤を使用した場合の、ほんの一握りの人数でしかないのですが。

 どうか、こういったことで、われわれが怠慢だとは攻めないでください。
効果がないことを証明することは、得られるだろうものに比較して、使わなければならない労力が大きすぎるので、なかなか実行されないのです。
いずれにせよ、個々の医者の力はとても小さいものです。
 効果がないというだけでなく、実は体に害があったかもしれない・・・というのが、アガリスクの事件の事実です。
これが、なぜ、医療ミスよりも軽くあつかわれてしまうのでしょう?
 どうやら今の日本では、決して少なくない民間の悪質な企業よりも、一部をのぞいて献身的な医療に対する不信の方が、何倍も強いようです。
たぶん、それは、医療に対する過剰な期待からくる、過剰な不信と思われます。

 一度でも、薬としての認可をえるための努力をしない『民間療法』には、とても不可解さを感じます。
本当に人のためと考えているなら、安くすべての人の手にはいり、だれでも確実に効果が最大限に発揮でき副作用のすくない使用方法がとれるよう、薬としての認可をえるための努力をするべきでしょう。そうでなければ金もうけが結局の目的とかんがえざるをえません。
最初、誰でも手にはいるよう売り出しておいてそのあとに薬としての認可をえるための努力をするなら、今すぐほしい人のチャンスをつぶすことにもならないでしょう。
薬としての認可をえるための努力をしようとしない現状では、それは金もうけが結局の目的とかんがえざるをえません。
 ですから、どうか、だまされないように。あまりにも高価なものには手を出さない方がよいと考えます。
 抗がん剤をこえる、『民間療法』の薬はありません。
 それを承知の上で使われる分には、問題ないでしょう。
不安を軽減させる効果はあるかもしれません。
ただ、お飲みになっているときは、主治医の先生に報告されるべきと思います。
なぜなら、『民間療法』の薬といえども、肝臓に障害を与えるというケースが実際少なくありません。肝臓に障害を与える可能性があるのはすべての薬に共通のものですから。

 常識的な考え(常識はときに誤り、新しい考えを攻撃する、と考えるかたには、この言葉はタブーでしょう。「エビデンスのある考え」といいかえれば多少許してもらえるかもしれません)では、健康食品にせよなんらかの食生活の工夫よって、再発をふせいだり、あるいは、がんにならないようにしたり、できたがんを治癒したりすることはできません。
 ただ、偏食、過食、喫煙、過度の飲酒、ストレスが、マイナスに働くというのは本当のようです。かといって、偏食、過食、喫煙、過度の飲酒、ストレスをさければ、積極的にがんを予防するというわけではなく、「減点」がなくなるといったところまでです。
 でも、あたりまえのことをすることだって実は大変ですよね。


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