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50歳から中国語を習い始めたきっかけ 2番


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はじめに、30歳で和風松月堂古流の生け花の師範職免許を取得し、40歳で現職とは関係のない好きな旅行の国内取扱主任者の資格を取得しました。

そして、50歳になりました。どうしょうかと考えていた所に、私と高校と大学と同じ学校の同級生の友人から中国語を習うから付き合えと言われて、毎月2回夜7時から友人と2人で喫茶店の2階の1部屋を予約して、1時間中国語を習う事になりました。

習い始めて1年が過ぎた頃、友人が今度は手品習うから中国語をもうやめると言い出し、やめてしまったのです。しかし、私は続けることにしました。その理由は、私の知人に中国語の先生を紹介してもらったからです。

しかし、紹介された中国語の先生とは、22歳位の若い女性で赤い色の原色が良く似合う着こなしの服をまとい、素敵な奇抜なスタイルで15センチは有りそうな赤いハイヒールを穿いた、背の高い華奢で髪の毛が背中の真ん中まである長い黒髪の、手の指の長い爪に綺麗な赤いマニュキアが魅力的な女性でした。

そんな先生に途中で中国語習うのを辞めるのは申し訳なくて、友人が辞めることを伝えて、私1人でもいいですかと聞いたらいいですよと言われました。それから、私は1人で53歳11ヶ月まで約3年余り、毎回、誠心誠意教えてくださった先生のおかげで中国語検定4級に合格することができました。

その後、先生が東京の実家へ帰られるため、先生が以前学生時代に中国語を習っていたという長年日本に住んでいる中国人の45歳位の岐阜大学卒業した李さんと言う女性を紹介され、李さんの自宅で、2週間に1回19時~20時まで習う事になりました。しかし、李先生は、トヨタや東ソーの会社の社員に中国語を教えるのが多忙になり、半年過ぎた頃から、私は、また別の中国語の先生に習うことになりました。

その先生は、モンゴル出身の岐阜大学卒業して、日本で働いている22歳の少し太り気味の気の優しい丸顔の黄さんという女性でした。そして、黄先生が北京に帰るまでの2年間習いました。

この時、私は54歳になっていました。





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