「人工生命」の素がついに出来た!?
どうも「人工生命」と聞くと良くも悪くもざわざわしてしまいます。好奇心と倫理的不安が入り混じった感じですね。
そんな「人工生命」に関する研究発表が報道されました。
ES細胞やiPS細胞は有名になりましたが・・・「PrES細胞」?
要は、生命をはぐくむ「子宮」には3種類の要素(細胞タイプ)が必須で、今までできたなかった最後の1つ(それがPrES細胞)に成功したよ、ということです。
しかも、その3つを実際にマウスの子宮に注入したら「胚」と呼ぶ初期の生命活動にちかい構造になったので、今後の人工生命実現に一歩進んだというわけです。
倫理面はさておき、純粋な科学的成果としてはすごいことですね。
そもそもですが、いつから「人工生命」という言葉が使われるようになったのでしょうか?
Wikiによると、1986年にアメリカの理論的生物学者、クリストファー・ラングトンによって命名されたそうで、「生命」を探るために作ってみようという発想のようです。
この発想は結構目にします。私が一番印象的なのは、科学の教育でも定評のあるリチャード・P・ファインマンの言葉で、次のような名言があります。
話を本題に戻します。
実は、「子宮に入れたら」の個所も、人工的な代替案が研究されており、こんな衝撃的なニュースも流れています。
要は、人工的に作った子宮内での生体育成をAIで異常検知することでサポートするしくみを開発した、ということです。
文中記事(下記引用)にあるとおり、「人工子宮」そのものは、既に実験と成果を生みつつある領域です。
今回の中国研究所の背景には、単なる科学的探究だけでなく、中国の少子化という社会課題もあるようです。
ただ、もはやもはや科学・技術的な問題というよりは、倫理的な問題のほうに意識が寄ってしまいます。
「人口が減少するから人工的に創ろう」は全く笑えないジョークです・・・
これは、中国だけの問題でなく、バイオテクノロジーによって人間が生命を創造することに対して、社会としてどう受け止めるのかという極めて難しい問題です。
科学技術の成果を見ると、それが間近に迫っているということは認識したほうが良いと思います。
そしてこのテーマは、研究所またはそれが所属する国家単位での判断でなく、国際的な協調のもとで慎重に進めてほしいです。
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