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言われていないことは、やっていい

今回は『カイジ「したたかにつかみとる」覚悟の話』から。

2016年の本です。
経済ジャーナリスト・木暮太一の「カイジシリーズ4冊目」。
そして僕の「本棚に入れっぱなしシリーズ30冊目(くらい)」です。

昨夜ハミガキをしながら
本棚をぼんやり眺めていたら目に飛び込んできました。

パラパラめくってみたところ、
今の自分にはフィットする感じがしたので、早速読了。

余談ですが、僕はまだ「紙」派です。

自分自身にブックフェチ的な嗜好があることも大きな理由の一つですが、
今回のような「別れた恋人と街角で出くわしたので流れでカフェいってお茶してたら意気投合しちゃって過去のわだかまりなんか全部忘れちゃって復縁しちゃってみちゃいました的邂逅」を恃みにしちゃっているところもあるのかもしれません。

いちおうKindleOasisも所有しています。
生粋のマンガ担当です。

「(ダメと)言われていないことは、やっていい」


これが今回一番刺さったフレーズです。
思い出したのが下のヤツです。

例えば、日本では法律で許可されていない事は出来ないと考えますが、多くの場合、中国では法律に書いて無い事はやって良いと受け止められます。彼らの言い分を聞けば、『何処にもやってはいけないとは書いて無い』から。
出典:『Digima〜出島〜』中国市場攻略ノウハウ!


BATH(バース)に代表される中国の躍進。

理由の一つがここにあることは、
「ガリガリ君の値上げはこの先10年間、ない」
ばりに明らかでしょう。

ひるがえって日本の場合。

新しいことを日本で実現しようとすると、
とにかく「手間」と「コスト」と「時間」がかかる。

国家レベルでも企業レベルでも同じ。
(家庭レベルでも、パワーバランス次第では同じ可能性あり、とのこと)

ひとたび前例がないものに遭遇すると、
「ひとまず会議で!」「入念な調査」「会議おかわり!」「根回し」「んーもう一回、会議いっとく?」「関係者合意形成」「ここまできたらもう今夜は最後まで会議!」「綿密な計画書」「締めはやっぱり会議だよね?」「稟議」「締まってなかったからオカワリ会議!」などなど。

牛歩どころか「水前寺清子ばり」
進んだり下がったりしながらじわじわと慎重にいきます。

きっとあなたもご経験ありますよね。

「問題は”カルチャーではなく使い分けしないこと”にあり」


ただし僕は、
この「カルチャーそのもの」は悪ではない、
と考えます。

日本は人口がおおく、
(2009年から減ってますが、それでもまだ世界11位)
高齢者が占める割合もトップクラスに高い社会です。

一つの判断ミスが影響をおよぼす範囲はひろく、
場合によっては、
取り返しのつかない結果となってしまう確率も高いでしょう。

そんな状況下でおおきな課題解決に取りくむとき、
・できるだけリスクを減らし、
・綿密な計画をねって、
・影響をこうむるであろう人々には真摯に説明し、
・みんなの理解を醸成したうえで、
一斉にジャンプする。

このように見るならば、
このカルチャーはむしろ、
人間的優しさと誠意に彩られた美しい手法とさえ言えます。

だからこそ、
この問題の本質はカルチャー自体にあるのではなく、
「ケースバイケースで使い分けがされない」
という点にこそあるのではないでしょうか。

解決すべき課題には当然、
それぞれの重み、それぞれのレベルがあります。
エアマックス95のグラデーションばりにあります(それそんな多くない)。

なかには、
とるにたらないもの、
瑣末なもの、
影響範囲が広くないもの、
失敗してもリカバリーができるもの、
そういった課題もあるでしょう。

でもどれも同じステップを踏まないと、
僕たちはどこか不安になってしまう。

この問題の本質はおそらくそこにある。

なんでもかんでも、
相談してみないととか
そんなことやっていいんだっけ?とか
そんな事例聞いたことある?
みたいな話を繰り返しているうちに、
関係者全員がめんどくさくなっちゃう。

そのうち誰も新しいことにトライしたくなくなっちゃう。

googleもYouTubeもFacebookもiPhoneも、
日本からは生まれなくなっちゃう。

そんな倦怠感あるいは無力感が、
社会全体にぼんやりと、しかし頑固に漂っている。

あのガリガリ君の値段のように!

「真面目」の一言で片付けるべきではない「何か」


ともすると僕たちのこの世界には、
「ホウレンソウ」という言葉が過剰に浸透しすぎているのかもしれません。

報告、連絡、相談。

もちろん、組織運営のため、ビジネスのクオリティを維持するため、
まだ何も知らない新人に対してほどこす教えとしては有用でしょう。

しかし。

キャリアを積み、知見を蓄積した人であれば、卒業していい。

なのに、僕たちの体内には、
呪縛として長く残存してしまっている。

最初に見たものを親と認識してしまうという、
ひな鳥の本能的なやつなのか。

もしくは、信号を渡る時は手をあげて渡りましょう、
という教えを毎日毎日親からも先生からも聞かされ続けたせいで、
40歳になっても守っちゃう的なやつなのか。

いくつになっても、
思わず手をあげてしまう人が多い社会。

それを真面目(?)な日本人の気質、
という耳障りのよい言葉であっさり片付けるべきではない、

そう感じています。

地震、台風、津波など天災が多い国、ニッポン。
海によって閉ざされ、単一民族だけが住まう島国、ニッポン。

そういう特殊環境下で生存してきた遺伝子に刻みこまれている気質。
どのような因果関係があるのか・・・。
克服することはできないのか・・・。
ここから先は、僕の夏休みの宿題です。31日になったら本気だす!

ちょっとヒントになりそうなコメントを紹介しておきます。

「日本人は、遺伝子的に脳内のセロトニントランスポーターの密度が低く、真面目で慎重、悲観的になりやすい遺伝的性質をもっています」
脳科学者・中野信子

最後に。

こんな社会だからこそ。
サントリー創業者・鳥井信治郎の
あの有名な言葉が放つ力強い輝きは、
現代社会にもガッツリとどいています。

手がウズウズしてきたら頭の中で唱えてみましょう。

「やってみなはれ!!」



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