見出し画像

【書評】坂口恭平『躁鬱大学』--別の誰かになろうとしない

 コロナが流行る前はけっこう打ち上げをしていた。と言うか、7年ぐらい前にお酒を完全にやめてしまったので、3、4人から多いときには10人ぐらいでご飯を食べに行く。僕以外の人はだいたいお酒を飲んだりして盛り上がっている。
 僕もわりと活気づいて、いろんな話をしたり、笑ったり、ひょうきんな振る舞いをしたりする。そういうのが好きなんだと思っていた。
 けれどもコロナで状況が変わった。何となく人と会うのが億劫になって、最大でも1人か2人としか会わなくなった。もちろんお酒も飲まないから、その場合、いっしょにお茶など飲みながら喋るようになる。そうするとあんまり気分も上がり過ぎず、家に帰ってきてからも気分が落ちにくい。
 ひょっとしたら、自分は大人数での飲み会は向いていないのではないか、と思い始めた。むしろ少人数で深い話をする方が性に合っているのではないか。
 本書『躁鬱大学』を読むと、そういう話が出てくる。普段は真面目で暗いのに大人数の時だけひょうきんになる。そして終わった後はぐっと疲れて落ち込んでしまう。みんなの輪の中に入れず、あるいは入れても会話の中心になれないと、だんだんイライラしてくる。
 自分が長いこと周囲に隠していたことがこの本にはあからさまに書いてあって、自分の脳みそをスパイされたのかと思った。というのは完全に勘違いで、たぶん躁鬱気質がある人は脳の動き方がだいたい一緒なのだろう。そしてまた、僕のそうした部分が周囲にバレていなかったとも思えない。
 躁鬱気質がある人には飲み会が全く必要ない、と坂口恭平は言い切る。代わりに必要なのは、自分のことを理解してくれる複数の人達だ。穏やかに自分を受け入れてくれる人がいい。そうした人たちと、あまり疲れすぎないように関わりながら、ちょっとずつ助言などしてもらって自分を高めていくのだ。
 傍目にはあんまり派手さはないし、毎日家で同じことをじわじわやっている地味な人生に見えるかもしれないけど、躁鬱気質の人にはそうした生き方がいちばん充実して感じられる。こういう言葉を聞くととても楽になる。いろんな気づきをまとめて本にしてくれて、本当にありがたいなぁと思ってしまう。坂口さんありがとう。
 他にも勉強になる指摘はたくさん書いてある。疲れると鬱になりやすいとか、人に怒りをぶつけると鬱になるとか、体に入った力を抜くことを心がけるべきとか、定期的に横になって休むとかだ。どれもなんとなく自分が気づいていたことで、それでもあらためて活字で読むと心にしみるし、自分がやってきたことはけっこう正しかったんだな、と思えて嬉しくなる。
 一途に生きない、別の誰かになろうとしない、欠点を直そうとせず、長所を伸ばすだけ、という言葉もしみた。立派な人間はこう生きる、というところに合わせるのではなく、自分がやりたいことや自分が気持ちいいことを自分の体に聞いて、それがたとえバラバラでも、幅広く中途半端にやってみる、お金にならなくても気にしない、という言葉もいい。
 自分は特に20代はちゃんとした人になろうとして、ずいぶん息苦しく生きていたなあ、と今から振り返って思う。けっこう辛いことも多かったけど。それでも生き続けていれば、こうした本にも行き当たることができるわけで、人生捨てたもんじゃないのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?