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間主観て何?厳密なロジカルさが無力化される特殊な世界

僕はどんな本でも読む質だ。特に学生時代は文法書が好きで、独仏伊西露中あたりの #文法書 はざっくり読んだものだ。記憶はもうないが、オランダ語や北欧の言葉を見て、意味をぼんやり推測して、たまに意味が取れたりするとロマンを感じて得した気分になる。

そんな僕はトンデモ本も読む。売れたのにトンデモ本認定された #人麻呂の暗号 という本がある。

この本なんかは #万葉集 が半島の言葉で読み解けるとあってワクワクしたものだ。日本語ですら昔の言葉は音が変わってしまって、文献が残っていても今の日本人には聞き取ることが困難ということは #国文学 の学部を出ているから一応承知している。

今の半島の言葉と過去の半島の言葉がどの程度似ているかは文献が少なくてわからず、証明困難なことは承知している。だからこそこじつけであり、トンデモ本とされたようなのだが、そこに一片の真実もないのかどうかはわからない。

「端から」を「はなから」と読むが、端をはなと読む用例はあまりない。(用例集にあたったわけではない。)これは当て字で半島の言葉の「一(하나:ハナ)から」だといわれたら、端をはなと読むよりは説得力があるだろう。お腹ペコペコのペコは半島語のペゴプタ(배규프다)からきたといわれたらどうだ。

これを信じている人が他にもいたとして、その当事者の間では「筋道が通っている」として、合意できる。こうしたものを現象学者 #フッサール は「 #間主観性 」と呼んだ。その場にいる人が理解し難い理屈でも、それに納得できていれば問題はそれほど起きないだろう。

ビジネスはほとんど間主観だ。厳密さは求められず合意が尊重される。

ちなみにフッサールは僕が住んでいた#フライブルグ 大学の大先生なので親近感がある。

16分かけてしまった。

チャオアトゥッティ


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