言葉磨き-学生から教わる論理の本質-

日が変わるまで働くと、今日が終わるのは0時を時計の針が超えたときではなく、寝た瞬間が日付の境目であるような気がしてくる。

今日までに必ずと約束された数字の多い資料が届かないのもきっとまだ「今日」が終わっていないからだろう。こんな風に幼児でも知っている言葉でさえ、線引は曖昧だ。「さわ」という言葉だって、茶話なのか詐話なのかわからない。

要素の要素の関係が論理だと書いた、ような気がする。関係がしっかりしていることは人の理解を得る上で大切なことだ。

しかし、関係、つまり論理ばかりに目を向けると要素でつまずくことがある。つなぐ要素がシンプルなものならさほど問題はないだろうけれども、そこに観察と認知が入ると事実がつまずきやすい。事実を磨き上げてそれなりに信頼できる言葉にする。これを日々大切にしている。

たとえば、どこもかしこも #オンライン の話ばかりだから、うちもオンラインにするという結論はもっともらしくみえる。しかし、僕の働く業界は #三密 商売の典型だが、上場する同業の調査ではまだ #オフライン が6割を占める。

#ファクトフルネス が流行ったが、事実は直観に反することがある。

自分のファクトめいたものはたまに疑う方が良かろう。ときに一次情報や周りの意見も聞く必要がある。ニュースすら怪しい時代だ。 #フェイクニュース も多い。僕も経験を積んでいるからといって、自分の仕事を必ずしも盲信しない。

日々、人に見てもらい、感覚とのズレを調整している。今日も大学生たちから多くのインサイトを得て、言葉を磨くことができた。

どうでも良い話だが、昨日、食べログ3.7点を超える中華の銘店で円卓を囲みながら雑談をしていたら、「鉛筆なめなめ」が通じず、「鉛筆」がオワコンだと識った。すかさず「マウスなめなめ」と言い換えたが、これは変態性が高いことも同時に学んだ。その場にはそれに被せてきた、変態の粒度が高い猛者もいたが、僕の発言ではないので言及しない。

地元駅についた。

チャオアトゥッティ。

-一部論理破綻してるので追って直します。やはり15分には限界があります-

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