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美しい目

 静かな夜。追憶が、ゆっくりと流れる河のように頭の中に流れ込んできて、その中に足を浸してパシャパシャと戯れる。とても心地良い時間だ。経験した出来事が後ろに流れていき、出会った人たちが水面に映る。映画館のスクリーンの様に映し出される光景は、どれも美しい。そんな追憶の河に、プカプカと言葉が浮かんでいる。僕は、その言葉を拾い上げた。それは、僕が辛い時期に出会ったとある初老の女性の言葉だった。

 今から10年前。僕は少し変わったアルバイトをしていたことがある。それは、“豆腐の引き売り”だ。大きな二輪の荷車、いわゆるリヤカーに氷に冷やした豆腐や豆乳、お惣菜などを沢山詰め込んで、一日中、町を歩いて売る仕事。 小さなラッパをぷーっと吹いて、「お豆腐はいかがですか〜っ」と大きな声を街に響かせて練り歩く。そんな仕事。

 激しい雨が降る日も、太陽が荒々しく降り注ぐ日も、町が白い雪に覆われる日も、僕は重いリヤカーを引きながら、小さなラッパを吹き「お豆腐はいかがですか〜」とせっせと働いていた。最初はしんどかったが、慣れると自由気ままに歩きながら出来る仕事だと気づき、楽しく働けた。陽が昇り、陽が沈むまで空の色が変わるのを感じながら働くのは気持ちよかった。

 僕はその頃、東京の西の郊外に住んでいた。事務所は立川にあったので、事務所から北に向かって歩き、玉川上水近辺を歩いて売るのが僕のコースだった。あの辺りは緑が多く、道も広いし公園も多い。自然が多いと季節の変化を感じながら生きることができる。この頃、僕は忘れがたい風景を沢山見た。
 そんな郊外の町には、主婦や豪邸に住んでいるおばちゃんなど、昼間でも自宅にいる人が多く、ラッパを吹きながら歩いていると「豆腐屋さ〜ん」と声がかかる事が多く、結構売れるのだ。そして、一風変わったアルバイトをしている、髪の長い不健康そうな若者(僕ね)に興味を持つ人が多かった。自分がやってる活動(その頃はかなり精力的にバンド活動をしていた)や世間話、おばちゃんの青春の思い出など、豆腐を買ってもらった折によく立ち話をした。中には玄関先に椅子を用意して、「まぁ座りなさいよ」とお茶を出してくれる人もいた。

 ある時、玉川上水沿いを歩いていると、小さな可愛らしい喫茶店があるのを見つけた。窓ガラスからは店内がよく見え、庭先にも席があり、オープンな雰囲気で居心地の良さそうなお店だった。
 ちょうど店先に店主のおばちゃんがいた。陽光に照らされて白く輝く美しい白髪が特徴的な彼女は、柔らかい笑顔で「珍しいわねぇ」と良い豆腐や湯葉など、色んなものを買ってくれた。そして「よかったらコーヒーを飲んでいきなさいよ」と店内に僕を招き入れ、コーヒーをごちそうしてくれた。その時から、僕は毎週そのコースを通る時は、おばちゃんの喫茶店に通うようになった。

 彼女は話好きで、若い頃の話をよくした。色んな国に旅行に行ったらしく、さまざまな国の話を僕にして、「外国に行くのは良いことよ。見聞が広がるし、何より異国の綺麗な風景を見るのは刺激的よ」とよく言っていた。パリのルーブル美術館の広さに圧倒された話をしているときの、遠くをみているような眼差し。その視線の先にはパリの町並みが映っているのだろう。僕は彼女と話すのがとても好きだった。

 僕たちの別れはあっけなくやってきた。僕は引っ越しを余儀なくされたのだ。バンド活動もうまくいかなくなり、バンドは解散。その少し前には恋人にもフラレていた。色んなことがどうでも良くなり、人生はつまらなく、生きている意味もなく、早い話がニヒリストを気取っていた。まったく恥ずかしいのだけど。
 豆腐屋のアルバイトをやめることは決まっていたが、なんとなくおばちゃんには言い出し辛く、切り出すことができなかった。
 ついにアルバイトの最終日、僕は意を決しておばちゃんに今日でここに来るのは最後であると伝えた。彼女は驚いて、一瞬目には悲しみの色が浮かんだ。しかし、「じゃあ今日はコーヒーとケーキもごちそうするわね!」と明るい声で僕をお店に迎えた。
 そして、帰り際、おばちゃんはまっすぐに僕の目を見据え、こう言った。

「いつもいつも、つまらない年寄りの話を聞いてくれてありがとうね。あなたと話している時間はとても楽しかったわ。毎週会うのが楽しみだったのよ。……あなたはとても綺麗な目を持っているわ。そして優しい。ものごとを愛する気持ちも持っている。もしかしたら時には人に傷つけられたり、騙されたりしてしまうかも知れない。あなたはいい人だからね。でも、大丈夫。あなたの綺麗な目を見るとわかるわ。そんな目を持っている人は、うまくいくものなのよ。だから、自分を信じてがんばってね」

 僕は涙を堪えるので精一杯だった。おばちゃんの目にも涙が浮かんでいる。さまざまな国の美しい景色を見てきたその目。綺麗なのはおばちゃんの目だよ、なんて照れくさくて言えなかった。
 僕は、こんなことを僕に言ってくれる人がいるのだから、腐ってたらダメだ、というか、僕も案外捨てたもんじゃないのかも知れないな、と思ってなんちゃってニヒリストから脱却できたのだ。本当に、おばちゃんの言葉に救われたのだ。

 僕たちは、それ以来会ってない。間違いなく言えるのは、今の僕がいるのは、彼女のおかげでもある。あの喫茶店のおばちゃんに顔向けできないことは出来ないな、と思う。

 出会う事が出来て良かった、自分の人生に深い印象を残す、大切な出会いの一つだ。 

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