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プロフェッショナル【#42何があってもマイペンライ!】

祖母と二人で暮らしている。基本的に食事は祖母がつくってくれる。本当にありがたいことだ。感謝していることを大前提に書く。

祖母は夕食を出してくれるとき、よく「味見をしていないから、おいしいか分からないよ」と言う。その瞬間、私は思う。あ、プロじゃないなと。

「味見をしていない」というのは、言い訳だ。おいしくなかった場合の保険をかけているのだ。事前にダメだったときの言い訳を言う人は、プロではない。

実際、たいていはおいしい。だから言い訳など必要ない。仮にそれほどおいしくなかったとしても、私は料理をつくってもらっている立場。文句を言う権利はないし、言うはずもない。

そういえば、祖母の娘である私の母も、同じようなことを言う。「おいしいかどうか分からない」と。

保険をかけたくなる気持ちは分かる。もしかすると、今は亡き祖父や父が「飯、まずい」などと文句を言ったことがあるのかもしれない。だから、もしもまずいと思われたときのショックを和らげるために、つい言い訳を口にする癖がついてしまったのかもしれない。

だとしたら、私が代わりに謝りたい。本当に申し訳ない。

祖母も母も料理人ではないのだから、実際プロではない。つくってもらっているだけで十分に感謝すべきで、何も文句はない。その上でもう一度言うが、彼女たちはプロではない。料理の腕ではなく姿勢がプロではないのだ。

食べる前に「おいしくないかも」と言われて嬉しい人はいないと思う。私はそれほど味覚に自信がない。「これ、マジでうまいぜ」と言われたら、おいしいのだろうと思って食べるし、その逆も然りだ。

まずいのが確定しているなら誠実に伝えるという考え方もあるかもしれないが、不確定なマイナス情報ほどいらないものはない。「あいつがお前の悪口言っていたかもしれない」と言われるようなものである。

さて、私はプロの書き手である。そして、プロフェッショナルでありたいと思っている。

書く技術には、まだまだ波がある。毎日書いているこのエッセイも「いいこと書けた!」という日もあれば「なんじゃこのよく分からん文章は...」という日もある。後者の場合には「忙しくて時間がなかったので」とか「体調悪くて頭が働かないので」とか言いたくなる。でも、なんとかこらえている。

文章は読者のものだ。いい文章かどうかを決めるのは読者。差し出すときに「つまらない文章かもしれないですけど」と言う書き手はアマチュアだ。

自信のあるときも、自信のないときも、同じ表情で作品を差し出すのがプロだと思う。


※この記事は2024年4月23日にTwitterにて公開したものです。

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