見出し画像

蚊の生き方【#53何があってもマイペンライ!】

昨晩はなかなか寝付けなかった。

蚊が飛び回っていたのだ。日中、換気のために自分の部屋の窓を全開にしていた。それで入ってきてしまったのだろう。

私は蚊が嫌いだ。刺してくるのはもちろんだが「ブーン」という耳障りな鳴き声が不快に感じる。

ただ何よりも嫌なのは、蚊の生き方だ。蚊には蚊の事情があるだろうから、一方的に断罪すべきではないと思う。でもやはり人間視点で見ると、彼女たちの生き方は好きになれない。というよりもったいないなと思う。

私は蚊を、コミュニケーションを取らずに暴力的手段に出る生き物だと認識している。

血が欲しいのは分かった。であれば素直に「あなたの血が欲しいんですけど」と言えばいいではないか。少々の血ならくれてやる。

ところが彼女たちときたら、無言で私たちを刺しにくるのではないか。そして、刺した後にかゆみを与える。あれが最悪だ。

お前らの目的はなんだ。人間をかゆみで苦しめることか。それなら仕方ない。でもそうではないだろう。人間の血が欲しいのだろう。であれば「血が欲しいです」と言え。

もう一度言うが、血ならいくらでもくれてやるのだ。私は血が惜しいのではなく、かゆいのが嫌なのだ。結果として刺されるのを防ぐために、お前らを殺しにいかざるを得ない。これまでの人生で500匹くらいは殺したと思う。

血を獲得するのに、命をかける必要もなければ人間を痛めつける必要もない。「血を少し分けてくれませんか」と言えばいいだけだ。それをしないことで蚊も人間も多大な損失を負っている。それが私は許せない。

ここまでは蚊の話だったが、私は蚊のような生き方をする人間も苦手だ。「私はこんなことをやりたいんです」「あなたにこうしていただけると嬉しいです」と言わない人。言わずに勝手にやきもきしてる人。

自分の思いを素直に伝えたらいいではないか。蚊とは違って、私たちは言葉を持っているのだから。

私は幼少期に3年間アメリカに住んでいたこともあって、日本人のハイコンテクスト文化に敏感だ。日本人の相手を思いやれる力、気づかい力は素晴らしい。

だけど「何も言わないけど察して〜。察して〜」という姿勢があまりにも強すぎないか。空気を読む必要性は認めるが、基本は言葉でコミュニケーションを取ったらどうだろうか。言葉にしないことで意思の疎通が取れず行き違う場面をたくさん見てきた。

言葉は万能ではない。言葉で解決しない問題もあるし、言葉にしないからこそ伝わることもあるだろう。しかし、やっぱり言葉は偉大である。もう少し言葉の力を信じてもいいのではないだろうか。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!いただいたサポートは、次の旅資金に使わせていただきます。