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フィンランド留学記 2006 前半編

前回の記事「フィンランドという国を選んだあの時 その②」では、2005年当時大学3年生であった私が、交換留学制度に応募しフィンランドの大学に渡航が決定したところまで書いた。
今回は留学前半の2006年1月~6月の話をざっくりと書いていく。

*住居の話(1月~6月)

交換留学生は通常、交換留学生専用のフラットに住むことになっていた。
各自個室はあり、キッチンやシャワーは共同だ。費用は月320ユーロ程と記憶しており、安くはない印象であった。それを知ってかは覚えていないが、私はフィンランド人の生活について興味があったから、現地人宅でホームステイのようなものはできないか、日本側の大学の担当者に相談をしていた。

ある日、その担当者から「ぜひ日本人を迎え入れたいというフィンランド人”カップル”がいる」旨の話があった。カップルってどうなんだろう...と若干頭をよぎりつつも、ありがたく彼女らのもとに住まわせてもらうことにした。そのカップルが住んでいるフラットの一部屋を、月100ユーロで間借りできるというものだ。物価が高い北欧にしては安価で住むことができるというのだから、お金がない学生にとってはとてもありがたかった(渡航当時、1ユーロ136円ほど)
言ってみるものだな、と当時思ったことを覚えている。

*授業の話(1月~6月)

過去の記事「なぜ日本人は英語が話せないのか」でも触れたが、私は自身の英語力も関係し、グループワーク中心の授業についていくことが大変であった。渡航前に英語の基準スコアを満たすことができなかったツケが回ってきたのだ。(そりゃあそうだ )今思えば、若干ぐだぐだな形で交換留学ライフの前半を過ごしていたわけだが、その中でも、同居人のフィンランド人の誘いで、彼女の家族と一緒に旅行に行ったりもした。

旅行は一週間程で、普通に授業のある週だったから、授業を休んで行く形になった。念のため学校へ事前連絡とともに、休む間の課題(宿題)の有無も確認した。今考えると、義務教育ですら一切「宿題」のないフィンランドで、日本人的な質問をしてしまったな、と思う。
学校からの回答は、当然、課題提示などはなく、単位にも特段影響しないから、旅行へは自己責任で行ってなんら構わないとのことであった。

一方で、週に2回開講されていた交換留学生向けのフィンランド語の授業では、先生がスキー休みで1週間不在で休講になることもあった。特に補講もない。日本と比べ、一方に縛られない自由なフィンランド人を目の当たりにし始めてたのがこの前半であった。

*その他生活のはなし

・フィンランドの鉄道駅には改札がない。ある意味、無賃乗車し放題である。その代わり、抜き打ちで検査員が乗車してきて有効な乗車券を持っているか一人ひとり確認される。持っていない場合は罰金が科される(当時60ユーロだったか)そのため、彼らが乗り込んできた時には、一部の乗客は騒然となる。私も一度だけ、大変な目にあった。

・サウナの効力
私が住んでいたマンションでは、地下に共同のサウナがあった。男女で曜日が決まっており、フィンランド人同居人とよく入りに行ったものだ。
サウナの中では饒舌になる、という噂は本当で、普段ぎこちなくとも、不思議とその空間ではより打ち解けた話ができたことも多々あった。
体が温まりリラックスし、かつ裸での付き合いという点で無意識に信頼が生まれるのかもしれない。
留学当初は大学の授業で英語でのコミュニケーションが不可欠でありながらも、英会話がおぼつかない状態であったから、フィンランド人同居人相手に、英語でコミュニケーションを取らせてもらっていた。(フィンランドにいるのだから、フィンランド語を話したいという気持ちはとてもあり、もどかしくもあった)

イギリスであればパブとか、日本だと居酒屋でアルコールの力を借りながら言葉を発することで外国語も伸びるとよく聞いたことがあるが、私のフィンランドにおける同じ位置づけの場所は「サウナ」であった。

次回は後半を書いていく

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