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【シナリオ】疲れない仕事

  人 物

江口宮子 (40)パートタイマー
西條雲雀(31)雑誌編集者・宮子の妹
江口晴美(70)無職・宮子の母
江口清志(71)無職・宮子の父
西條葵(5)雲雀の息子
雲雀の夫
隣人の男
母親
子供

  本 文

○晴美と清志のアパート(夕)

床や壁の至る所にシミが広がる、狭くて見窄らしい部屋。
車椅子に座った江口清志(71)がテーブルに向かっている。彼の前にはコーンポタージュがあり、隣に座っている江口宮子が小さなスプーンで江口に食わせている。
江口は口にポタージュを含んだまま、ぼんやりとした目つきで、

江口「すんません、ありがとう、すんません、ありがとう」

宮子は次の匙を江口の前に構えている。浮かない表情。
江口の向かい側に、西條葵(5)が座っている。ずっとスープをフォークでかき混ぜている。不満げな顔。
風呂場から寝巻き姿の江口晴美(70)が出てくる。腰が大きく曲がっており、緩慢とした動き。

晴美「悪いねぇ、清志さんの世話任せちゃって」
宮子「いいの、ママはゆっくりしてて」

晴美はテーブルにつく。
葵がかき混ぜていたマグカップが倒れ、テーブルの上にスープが広がる。宮子は、晴美の服へこぼれそうなスープを布巾で堰き止める。

葵「あ」
宮子「ちょっと、何してるの、葵くん」
葵「ご飯、不味い」
宮子「少しも食べてないでしょ」
葵「おばさんちのご飯、臭い」

喚く葵。椅子から降りて、窓の下でジャンプする。
宮子は葵を抱き上げて、

宮子「窓から出られるわけないでしょ」
葵「離せぇ」

暴れる葵、振り回される宮子。

宮子「アッ」

宮子は葵を手放して両手で腰を押さえる。

晴美「宮子、大丈夫かい」

宮子は両目をぎゅっとつむって、その場で固まる。
晴美は席から立ち上がり、受話器へ向かう。
葵は宮子の元から走り去りながら、

葵「ばーか」

清志は車椅子の手すりを握りしめながら、

清志「すんません、すんません」
晴美「もしもし、代々木病院ですか」

○代々木病院の駐車場(夜)

宮子が病院の玄関から出てくる。ゆっくりと駐車場を歩いている。
宮子のスマホに着信。表示は「ひばり」。電話に出る。スマホから、若干の喧騒が漏れる。

雲雀の声「もしもし、姉ちゃん、元気?」
宮子「ああ、元気だけど」
雲雀の声「息子の様子、どうかなーって」
宮子「葵くんはなんというか、わんぱくだよ」
雲雀の声「あはは、だよねー」
宮子「そっちは忙しい?」
雲雀の声「もうほんと、たいっへんだよ」

○高級レストラン・屋上(夜)

一面ガラス張りで、夜景が一望できる。すぐ近くにスカイツリー。広々とした店内では立食パーティが開かれており、フォーマルに着飾った男女がグラスを交わしている。
江口雲雀(31)は右手にシャンパン、左手にスマホ、で電話中。

雲雀「担当のデザイナーが嫌味っぽくてさ、私を誰だと思ってんのって感じで」
宮子の声「そ、そっかぁ」
雲雀「ほんと預かってくれて助かるわー。おかげで仕事にも集中できそうだし」

雲雀は後ろから近づいてきた雲雀の夫と笑顔で乾杯する。二人の手にはお揃いの指輪。

宮子の声「……なんか、楽しそうだね」
雲雀「ウソ? 聞こえちゃってた?」
宮子の声「うん、結構」
雲雀「(上機嫌に)いやぁ、取引先がなんか太っ腹でさぁ」

○車内(夜)

宮子はスマホに耳を当てながら車に乗り込む。古い車で、シートは毛羽立っている。宮子の手はシワシワで、指輪などついていない。

雲雀の声「姉ちゃんも、なんか、パーティとかやったらいいじゃん。いい人見つけてさ」
宮子「うん、そうだね」
雲雀の声「まあ、難しいと思うけど、頑張って。じゃ」
宮子「え?」

電話の向こうで酔っ払った男女の笑い声がする。
宮子はそれを黙って聞く。

○晴美と清志のアパート・玄関前廊下(夜)

宮子が自分の部屋に向かっていると、ちょうど隣人の男がノックしようとしていたところ。

宮子「どうかしましたか」
隣人の男「これ、なんとかしてくんない?」

隣人の男は玄関扉を指差す。
扉の向こうから葵の泣き声が聞こえる。

○晴美と清志のアパート(夜)

トイレの扉の前で葵が泣き叫んでいる。すぐ側に晴美が立っている。

葵「いやだ、汚いトイレ、家帰る」
晴美「汚くないよ、宮子おばさんが毎日掃除してるんだから」
葵「汚い、形が嫌だ」

宮子が玄関から入ってくる。靴を脱ぎ散らして駆け寄る。

宮子「ちょっと、落ち着いて」
晴美「この子トイレ入りたくないって」

宮子は葵の前に膝をついて、

宮子「葵くん、どうして?」
葵「死ね、ババア」

葵は宮子から逃げようとして、晴美の足を押しのけようとする。
晴美はバランスを崩し、倒れそうになる。
宮子は強引に葵の腕を掴み、晴美から離す。
晴美は後付けの廊下の手すりに捕まり、ことなきを得る。

葵「触んなよ」

宮子は葵の頬を思い切り叩く。
葵はさらに大きな声で泣き始める。
玄関扉を叩く音。

晴美「宮子、何しとる!」
隣人の男の声「江口さん、これじゃ眠れませんよ」

宮子は焦りと悲しみの表情で玄関扉と泣く葵を交互に見るばかり。

○スーパー・レジ(朝)

ぼんやりとした顔の宮子がレジ打ちをしている。色落ちしたスーパーのエプロンをしている。
レジカウンターの向かいには母親と子供。二人は手を繋いでいる。
焼きそばパンのバーコードを二回読んでしまうが、宮子はそれに気づいていない。

母親「あの、二回打ちましたよ?」
宮子「……え?」
母親「その、パン」

モニターには「惣菜パン・二点」の表示。

宮子「ああ、すみません」
子供「おばさん、疲れてるの?」

宮子は曖昧に笑う。
スーパーの出口から雲雀が入ってきて、宮子を見つけるなりレジに入り込んでくる。雲雀は高級感のある装い。
雲雀はスマホを宮子に突きつけて、

雲雀「ねぇ、これどういうこと?」

スマホには「葵」とのチャット。宮子に殴られた旨のメッセージ。

宮子「雲雀? どうして」
雲雀「ねぇこれ信じられないんだけど」
宮子「ごめん、つい、あのね」
雲雀「ほんと意味わかんない」
宮子「雲雀、あのね」
雲雀「お姉ちゃんに任せた私が馬鹿だった」
宮子「違うの」
雲雀「ってか、私、お母さんに頼んだはずなのになんで手出ししてるの?」
宮子「(大きな声で)ねぇ!」
雲雀「何?」

宮子は焼きそばパンを強く握りしめる。はち切れそうになる。
周囲の客や店員が二人を見ている。

宮子「雲雀は、どれだけママが苦労して介護とか、生活とかしてるのか、知らないでしょ」
雲雀「知ってるよ」
宮子「知ってたら、子供預けようなんて思わない」
雲雀「はぁ?」
宮子「少しは家族のこと考えたらどうなの、それこそ暴力よ」
雲雀「私だって自分のことで精一杯なんだから。一度雑誌の編集者やってみればいいわ」
宮子「私だって」
雲雀「パートだって育児だって、大して疲れない仕事なんでしょ」

〈了〉

*   *   *

 シナリオセンターの講師さんに「これぞドラマ!」と褒めていただきました。ここ最近の創作において研究していることは、次のシーンの選び方です。書く意味のある場面しか書かない。登場人物の魅力や葛藤を必ず含めるのです。そうなると、間の空白がどうしても生まれるのですが、そこはテクニックの見せ所。

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毎日コメダ珈琲店に通って執筆するのが夢です。 頂いたサポートはコメダブレンドとシロノワールに使います。 よろしくお願いいたしますm(_ _)m