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コイタイオト〜根津のゲストハウス〜折坂悠太

♪折坂悠太-朝顔

オーストラリアへの出発も迫った年の瀬に、根津にあるゲストハウスのラウンジでコーヒーを飲んでいると、あの独特な海外の朝の人混みに感じる匂いに合わせて、優しくて静かな男性ボーカルが流れてくる。

僕はオーストラリアに出発する前に、根津にあるゲストハウスに宿泊していた。

住んでいた家を賃貸に出すことになっていたので、出ていかねばならなかったからだ。

宿泊したゲストハウスのプロパティはダブルベッド一つで、正直、家族5人には狭すぎたけど、これ以上の贅沢なことができなかった。

僕は育休を取得していてこれから1年間、育児給付金のみで過ごす必要があるからだ。

育児給付金はもらっていた給料の額面の67%が最初の半年間支給され、残りの半年間は50%となる。

但し、社会保険料が免除されるので手元に入る金額は元々の手取り額の80%と60%ぐらいが目安となる。

湯島天神

この日の午前中、僕は湯島天神へ出かけることにした。

とても天気が良く12月の年の瀬にしては、暖かい気候だった。

根津駅のある不忍通りまで出て、そこから上野方面へ向かうことにした。

上野動物園の池之端門を通過し、不忍池を横目に見ながら歩いていく。

大通りがぶつかる交差点から少し坂を登ると、そこには学問の神様である菅原道真公が奉られている湯島天神を望むことができるのだ。

僕がこの地を訪れたのは十数年前の高校三年生で大学受験の時だった。

当時、たいした通知表を持って帰らない僕は勉強よりも女の子とデートすることが好きで、お茶の水に通っていた予備校をさぼっては渋谷に繰り出して、女の子とデートをしていた。

その時によくデートしていた子は青のアイシャドウの似合う子だったことをよく覚えている。

まあ、結局大学にはなんとか入れたから良かったんだけども、予備校に支払ったお金が親に申し訳なかったと今では思う。

予備校

僕は、高校3年生になってアルバイトを少し減らしてもらって予備校に通うことにした。

通っていた予備校は、お茶の水にある予備校の中でもとても有名な予備校だった。(それにしても、お茶の水には、なぜあんなにいろんな予備校が揃っているのだろう)

学校の授業が終わるとその足で新御茶ノ水駅に移動して、牛丼を頬張ってから予備校の自習室へと向う。

自分のクラスが始まれば教室へ移動して、出席代わりのICカードを専用の機械にスワイプさせ、その時間はノートにペンを走らせることに集中した。

ここで、僕は池袋の大学に通う女性と仲良くなる。

僕が通っていた予備校では、教員補佐という名目で大学生アルバイトがいて、その大学生アルバイトが授業が始まる前に資料を配布したり連絡事項を伝えてくれた。

クラスが始まる前後に話しかければ、個別に大学生活がどんなものなのかを教えてくれたり進路相談まで請け負ってくれる役割として存在していた。

僕が仲良くなったきっかけは、僕が予備校をさぼっていたことが原因で家に連絡が入り、そのことで呼び出されたからだった。

渋谷

渋谷でデートする時の待ち合わせは決まって、モヤイ像だった。

とりわけて意味はないのだけれど、なんとなくハチ公口で待ち合わせるのが恥ずかしいと思っていたからだ。

おそらく、渋谷という街には人それぞれにいろんな思いがあるはずだ。

僕がその大学生アルバイトとデートした時の待ち合わせもモヤイ像だった。

渋谷で映画を見て適当なレストランで食事をしてその辺のベンチに座って話をする。

どんな話をしたかは覚えてはいないけど、その時に湯島天神のお守りを彼女がくれたことだけは覚えている。

おそらく、初めて人からもらったお守りだったと思う。

湯島天神からゲストハウスに戻ってきて、軽く食事をとり、部屋に戻ってパッキングを始める。

明日にはまたここを離れる必要があるからだ。

朝コーヒーを飲んでいたラウンジを通りかかると、今度は誰もが知っているイギリス人ロックバンドのオルゴールバージョンが流れていた。

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