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寝かしつける

男だからなのか自分だからか、自分で気づけないこと様々

毎日子育てをしている妻を見ていると、機嫌が良い人そうでない日がある。大きくイライラするようなことはなく、ちょっと黙っている時間が多いな、とか、なんとなく目を合わせないな、とか。
そんな時、なんかやっちゃったっけな。。。と考てみるけど、大抵はわからない。そう、男は、あるいは自分は、女性の気持ちを読み取る能力がない。

僕は、基本的にだいたいのことに満足している。生活する費用は稼げているし、家に帰れば妻と娘がいる。雨をしのげる屋根と壁があり、あたたたく寝られる布団もある。時々は外食したり、奮発して温泉旅行に行ったり、妻が家で作ってくれる料理もおいしいし、僕が料理を作ることも楽しい。

これは年齢なりの防衛本能なのか、あるいは性格なのか、わざわざ不足を探すような視点を持たないので、逆に言えば不足に気づかない。何も考えてないわけではなく、また悪い意味ではなく、本当に大切なもの以外、だいたいのことはどうでもいいと思っている。

しかし、自分一人ではない環境においては、相手が何かの不足感を感じているかどうかを察知することは大切だ。だから、気づいた時には妻に「ごめんだけど何かやってほしいこととか気付けないことが多いから、全然言ってね」と伝えてある。

これは、気付けない人間のずるい言い訳ではなく、真っ直ぐな意見なのでそのまま捉えてもらえるとありがたいと思いながら、言いたいことが溜まってしまわないように常々伝えている。

夜の寝かしつけか夜中のミルク、どちらかお願いできる?

そんなある日の夜、妻のご機嫌さんを見つつ「何かやれることある?」と尋ねると、「夜の寝かしつけか夜中のミルク、どちらかお願いできる?」と言われた。
寝かしつけは、僕と妻が晩ご飯を食べながらそろそろ眠くなりつつある娘にミルクを飲ませ、背中をとんとんしながらそのまま布団で寝かしつけるまでのこと。当たり前だけど。
それは、いつも妻がやってくれていた。
娘を寝かしつけたまま妻も寝てしまうこともあるし、寝かしつけながらもうとうとしながら(きっとこんなに早く毎日寝てしまうことがもったいないと思っているのだろう)リビングに戻ってくることもあった。
僕はといえばテレビを見たり本を読んだり、日によっては少しお酒を飲んだりしながらただ時間を過ごしていたのだけど、妻に言わせると「寝かしつけをお願いできるとその分自分の時間が取れる」とのこと。
そんなのお安い御用だい、と、初めて寝かしつけをしてみた。

ルーティーンじゃないからこその楽しさとそのズルさ

結果的にいえば、娘を寝かしつけることはすごく楽しかった。ミルクを飲みながら徐々に目を閉じる。その表情を特等席で眺めつつ、飲み終わったら背中をトントンして、布団にそっと寝かせ、ブランケットをかけ、深い眠りにつくまで横でその寝顔を眺め、寝かしつけ完了。妻のリビングに戻り、眠りについた報告をする。
やってみてわかったが、これは、楽しい。肌感覚で娘の寝入りを見ることができ、こんなにも愛おしい時間があるのかと感じるほどに嬉しい時間だった。

そしてそれは、僕が初めて、あるいはこれからも毎日じゃないこととして行うから楽しいと感じるのであって、この寝かしつけを少し苦に感じてしまうほどに任せていたことに申し訳なさを思った。

で、それは反省して凹むということではなく、やはり何を手伝えばいいかを彼女が教えてくれたからこそ感じられたり、行うことができて、ハッとさせられて、そして学ぶことができて。

寝かしつけた後に「ありがとね」と言葉をもらったけど、「こちらこそ言ってくれてありがとね」だ。
察することが得意ではない自分に、お願いをしてくれること。それは、僕にとってみれば学びだ。大袈裟でなく、妻を手伝える方法を一つ手に入れたわけだ。
こちらこそ、ありがとうだ。

男が子育ての主役になるには、姿勢が足らない

時々、「子育てを手伝うってなに?あんたの子だろ、何自分はサブみたいなこと言ってんの」的な女性の意見を目にしたり耳にしたりする。
妻は、24時間娘を見てくれていて、まさに今の人生の全てを子育てに向けてくれている。一方僕は、平日の日中は仕事に出かけ、仕事中も子供のことを思うことはあれど、やはり仕事をしている。1日8〜10時間ほどは家を離れて子育て以外のことをやっている。
四六時中娘と一緒にいる妻を見るにつけ、自分も妻と同じ姿勢で子育てをしているとは到底思えない。それは、他人事とか無責任とかではなく、やはり役割の違いであり、立ち位置の違いによる姿勢の違いだと思う。

幸い妻は、「は?手伝うってなんだよ」みたいなことを言うタイプではない。僕も自営業が功を奏して時間を調整しやすいこともあり、割と手伝えている方だと思う。
でもやっぱり、子育ての主軸は妻が担ってくれていて、僕は生活を支える部分を担っている。結果、僕は「子育てを手伝う」側だ。

つまりは、姿勢として子育てのみに向けていないことが原因ではあるけれど、2つの社会を行き来する以上片方にがっぷり四つにはなれない。これは単なる事実だ。言い訳に聞こえるだろうか。

姿勢が足らないことが悪いとか、それを許せとか、そいうことでもなく、そいうもんだ、と思う。

結局は、夫婦の関係性が家族を作る

100組の夫婦がいれば100通りの関係性があるだろう夫婦関係の中で、僕たちは日々に感謝を口にし合い、よく色々な話をするほうだろうと思う。つまり仲は良い。

そのベースがあった上でも、安易にあれもこれもをお願いしないまま妻の中に溜まってしまうこともあるだろうし、察しようと言う努力をしている。

大前提として、まだ僕は子育てが楽しいと感じてしまう。すべてをやっていないから言えるのかもしれないけど、楽しめる今をとても豊かな時間だと感じている。

そして、妻の「手伝い」をすることで妻に時間ができたり余裕ができたりすることも嬉しいし、娘に対してできることが増えることも楽しい。

妻はおそらく、微力ながらも手伝う僕に感謝してくれていると思う。僕もその100倍くらい彼女の日々に感謝していて、娘が今日も笑ってくれているのは妻が100%の愛情を傾けてくれているからだと、ふと感動することが多々ある。

子育てを通じて、夫婦は家族になる。今その最中にいる。娘は現在5ヶ月。僕は、寝かしつける技を身に付けた。

妻は、少しだけ自分の時間が増えた。

だからなんだっていうこんな日々は、美しくかけがえのない日常として続いていく。

子育てって、最高だ。

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