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Paella Valenciana

私がパエリヤに出会ったのは、衣食住など日々の暮らしに関する家政科に進学して初めての調理実習だった。今から30年以上前の私たちの暮らしの中にはまだスペイン料理は浸透していなかった。

「さあ、皆さん。入学して最初の実習は、パエリャバレンシアーナです。皆さんはまだ聞いたことも見たこともないと思いますが、皆さんが学校を卒業して社会に出て、キャリアを積んで仕事を楽しむ頃、あるいは家庭を持って自分が使い勝手のよいキッチンを整える頃、バレンシア風炊き込みご飯のパエリヤは一般的になって、レストランのメニューになったり、家庭で作ったりするようになります。日本の国際化は、キッチンにも影響を及ぼしますから、今日の実習はぜひそんな未来を楽しんで進めていきましょう。」

皺のない白衣を着て、胸のポケットにメガネを入れた姿勢のいい教授が広々としたキッチンに立ち、発した言葉は私に響いた。「海外のまだ食べたことのない料理を作れることが出来るなんて、楽しくて美味しいに決まってる!」

米は洗ってザルにあげておく。サフランは湯に浸しておく。鍋にバターを入れて玉ねぎを炒め、湯剥きしたトマトと米を入れて、海老や鶏肉やあさり、ピーマン、サフランと湯を入れて炊くという行程は、最初の授業というだけあって、とても簡単だった。サフランはとてもとても高価であること。トマトは十字の切り目を入れて、へたにフォークを刺してコンロで炙り水に浸ければ容易に皮が剥けることが、いまだに印象強く記憶に残っている。

教授がおっしゃっていたように、今、パエリヤは日本の家庭に馴染み、宅配パエリヤも人気がある。ホームセンターでパエリヤ鍋が手頃な値段で買える。高額なサフランを使わなくても、サフランライスを炊くためのソースもあるし、湯剥きを省けるトマト缶も、香りのよいオリーブ油もある。

私は、今夜は家事を簡単に済ませたいなと思うときはシーフードミックスと鶏肉とアサリとピーマンとプチトマトを使う。家でお友だちとランチをするときはムール貝やはまぐり、有頭海老、イカ、パプリカなどの具材も豊富に揃えてレモンを添える。冷めても美味しいので、お弁当に持っていくこともある。鍋を使わずに、炊飯器でサフランライスを炊き、具材はフライパンで焼き、ライスが炊きあがったら具材を乗せて、オーブンで焦げ目をつけることもできる。

昨年はひとりでミュージカルを観に渋谷に行ったときに、開演までかなり時間があったので、パエリヤとシーフードのメニューが掛けられた劇場に近いレストランに入った。焼きあがるまでに20分とのことだったので、イベリコハムのサラダと白ワインを注文した。そして、アカエビ、アカザエビ、あさり、ムール貝のパエリヤが焼きあがってからは白ワインを2杯を頼んだ。パエリヤと白ワインの相性は抜群だった。開演前の観客のウォーミングアップには最高だ。

「汁気のない穀類はフォークだけを使って、スマートに召し上がってね。スプーンを使うと子どもっぽいでしょ。リップがつくのも気になるしね。皆さんのこれからは女性だってひとりでお店に入ってアルコールを頂きながら、食事をする時代が来るの。いい?背筋を伸ばしてお行儀よく、そしてかしこまりすぎずにカジュアルに自分の時間を楽しむのよ。」

教授の示した未来のなかで、私はカジュアルに自分のパエリヤを楽しんでいる。特別なレシピも隠し味もないけれど、知らない国の料理を初めて食べたあの日のことを忘れない。知らないことを知りたいとエネルギッシュな18歳の私が習ったレシピ、歳を重ねたおかげで、香ばしい魚介の香りも旨味も、さらにたまらなくてご機嫌なのだ。

#我が家の秘伝レシピ