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1980年代、東京都生まれ。

私は1980年代、東京のはしっこで蝉の鳴く暑い季節に生まれた。

私を産んだ母はその頃私の父の経営するお店を手伝っていて、父は私が生まれる前からその飲食店を経営していた。
私の上には4歳と5歳離れた兄がいて、私の面倒を時折みてくれていたそうだった。

皆で住んでいた家は一軒家で庭には金木犀と大きな白い花を咲かせる木が合わせて2本立っていた。
門から入ると大きい渡り石が三つほど玄関まで続いていた。

5歳の頃、私は当時難病といわれる毛細血管が切れる病気を発症した。原因は不明。
治す薬もなく病院に入院を余儀なくされた。

その頃のことはあまり覚えていない。でも親に病院に置いていかれた不安と寂しさ、治療の為か先生が私の腕に何度も注射を失敗してたくさん刺した腕の痛みと恐怖を今でも覚えてる。

入院中、母から聞いた話では私はよく血の便を出していたらしい。
お腹が痛いと母に言うと母はよく痛いお腹を優しくさすってくれた。
そのさする手は温かく、なぜ私がここにいるのかあまり理解していなかった私をとても安心させた。
生まれて初めて母の愛というものなのか、人の温かさ、優しさを幼いながら初めて知った瞬間でした。

入院してから1ヶ月もしないうちに私は退院した。
それは患った病気が薬にではなく私の免疫力に負けたからだった。
ただもし私がその病気に負けていたら、人工透析になっていたと大人になって母から聞いた。

病気はすっかり良くなった。でも、病気の影響で
腎臓を悪くし、以降中学生頃まではよく尿検査で引っかかっていた。再検査だ。

幼いながら病気に勝ったことは私以上に両親は喜んでいたと思う。
ただ一方でその頃、家は火の車だった。
それは父が事業で失敗していたからだった。

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