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【短編小説】感情カクテル~ 満たされない男編

 そのバーの名は「エモーション」。賑やかな繁華街に建つ、さして特徴もない雑居ビルを地下一階に下りたところにある。10席くらいのカウンターと小さなテーブルを並べた、こじんまりしたバーだ。こうした店に多くの人が持つであろうイメージ通りの黒いベストに蝶ネクタイを締めたマスターが、若干薄くなった白髪交じりの髪をオールバックに決めて、今夜もカクテルシェイカーを振る。

 見るからに普通のバーである。違うのはカクテルだ。この店では、お酒ではなく、感情をシェイクする。今宵も、お好みの感情にあなたを酔わせます・・・。

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今晩のお客は不動産会社社長の森田、35歳。
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 「こんなんじゃ全然満足できない。もっと成功してやる」
 
 バー「エモーションー」のカウンターで、森田はひとりごちていた。
 
 人に羨望される存在になりたい。その一心でここまで頑張ってきた。森田は子供の頃から「人にうらやましがられたい」という願望が強かった。東京郊外の地主の家に生まれ、生活に不自由したことはなかった。小学生のときは毎年のように最新のゲーム機を買ってもらい、同級生にうらやましがられた。中学、高校になりファッションを気にするようになると、他の学生には手が出せない高級ブランドの服を身に着けて街を歩いた。周りからの羨望の眼差し。それが森田には何より気持ちよかった。

 そんな森田が挫折を経験したのは大学受験。ブランドがあって人がうらやむ有名大学に入りたい。そこで、MARCHの中でも比較的、裕福な学生が多いとされるある大学への推薦入学を狙った。結果は、失敗。一般入試にもチャレンジしたが、森田の学力ではどだい無理な話だった。一浪したもののそれほど学力は伸びず、結局、MARCHより下のランクとされる、ある私立大学の経済学部に入った。卒業後は、なんとか中堅の不動産会社で営業の職を得たが、不本意だった。「これじゃあ高校の同級会に行ったって自慢できない。今の自分を、誰もうらやましいと思わない・・・」

 それから、森田は生まれて初めて努力した。周りに自分を認めさせたい。すごいと言われたい。その一心で、仕事に打ち込んだ。数年後には成績トップの営業として表彰されるまでになり、自尊心も少しは満たされた。しかし、まだ、満足できない。そこで、30歳を機に退職し、自分で新たな不動産会社を起こした。紆余曲折はあったものの、ネットに特化した積極的なマーケティングと、高い成功報酬で釣った社員達のアグレッシブな営業力を武器に会社は毎年二桁成長を続けた。森田は「不動産業界の新たな旗手」と言われるまでになり、オーナー社長として年収も一億円に届く勢いだった。

 森田は自分の成功を隠さなかった。どうだ、うらやましいだろう。豪華な海外旅行、五つ星のホテル、高価なワイン、数百万円もするスイス製の高級時計・・・。森田のインスタグラムとTwitterのページはきらびやかな写真で埋め尽くされた。成功者だけに許される贅沢な生活だ。

 しかし、心は満たされなかった。

 「まだ足りない。もっと成功しないと。海外旅行はビジネスじゃなくてファーストクラス、いや、本物の金持ちはプライベートジェットだ。数百万ではなく数千万の時計も手に入れたい。”不動産業界の旗手”とか言われているが、一般世間ではぜんぜん知られてない。Twitter のフォロワーも数千にではなく、数万人、いや、数十万人ほしい!」

 森田はとどまることのない欲望の気持ちを、バーカウンターで吐き出した。

 そんな森田にマスターが話しかける。

 「向上心があるのは素晴らしいことです。けど、どこまで上ったら満足できるんでしょうね?」

 「そうなんだよ。世間的に見れば若くして大成功したと思う。けど、まだ満たされない。もっと。もっと上を心が求めている。自分でもどこまで行けば満足できるかがわからなくなった」

 そうこたえる森田に、マスターがドロッとした何かのドリンクをグラスにすっと注いで差し出す。

 「ちょっとこれを飲んでみてください」

 マスターがくれたドリンクを森田はぐっと口に入れる。 

「うまい!ものすごく甘くて、脳が快感で震えてるみたいだ。病みつきになりそう・・・。けど、なんだかすごく喉が乾く。おかわりが欲しいな」

 マスターが説明する。

 「これは、甘い果汁シロップで作った糖分たっぷりのドリンクです。カフェインも入っています。こうしたドリンクは、瞬間的に脳に快感を与えてくれますが、中毒性もあります。そして飲めば飲むほどに喉が乾いて、もっと飲みたくなる。けど、それを飲み続けても、喉の乾きが癒されることはありません。もっと飲みたい、という欲望が膨らむだけです。今の森田さんは、この糖質たっぷりのドリンクに漬かっているような状態なのかもしれませんね」

 マスターは続ける。

 「人の心は何で満たされるのでしょうか?人にうらやましがられる。羨望を集める。そうして得られる優越感は、強い高揚感をくれます。けどそれで心が満たされるのは一瞬で、次にはもっと強い優越感を求めるようになります。人の羨望は、嫉妬と紙一重です。優越感は、他人の妬みを燃料にした蜃気楼みたいなものです。優越感を得るには、他人の心に嫉妬の火をつけ続けないといけない。終わりがありません」

 森田は眉をしかめる。

 「それはわかる気がする。けど、じゃあどうすれば俺は心を満たすことができるんだ?自分の成功を、みんなに認めさせたいんだ」

 マスターは答える。

 「森田さんが本当に欲しいのは、他人からの ”尊敬” なんじゃないでしょうか。人が尊敬するのは、お金や地位ではありません。人が尊敬するのは、立派な人格、優れた能力、そして勇気ある行動の3つです。このどれか一つでもあれば、人は尊敬します。いくらお金持ちでも、それだけで尊敬されることはないです。起業家の大富豪が尊敬されるのは、素晴らしい能力と行動力があるからです。お金は結果でしかないですからね。」

 森田は唇をぎゅっと結んでマスターの話に聴き入っている。マスターが続ける。

 「では今晩は、森田さんのために特製カクテルをつくりましょう。人から尊敬を受けたときに感じる本物の”満足感”がどんなものか体験できるよう、”尊敬”をブレンドした特別な『感情カクテル』です」

 マスターはそう言うと、背後の酒棚に何百と置かれているガラスの小瓶たちの中から、一つを取り出した。

 「この店に置かれたそれぞれの小瓶には、世界中から集めた様々な種類の感情が入っています。今取ったこの瓶に詰められているのは ”尊敬” の感情 です」

 そう言うと、マスターは、光沢の美しいカクテルシェイカーを取り出し、 ”尊敬” と書かれた小瓶の空気を、慣れた手つきでシェイカーの中に移す。さらに、ブランデー、オレンジをシェイカーに加え、細かく砕いた氷とともにシェイクする。シェイカーに入れられた個体、液体、気体たちは、やがて一つの波となりなめらかな音を奏ではじめた。艶やかに輝くオレンジ色のカクテルをマスターがグラスにさっと注ぎ、そこにレモンをきゅっと絞る。

 「さあ、できましたよ」

 森田は半信半疑でグラスを手に取り、恐る恐るカクテルを口に流し入れる。

 「なんてさわやかな味なんだ・・・」

 しばらくすると、なんとも晴れやかな感覚が森田の心を満たし、夢の中に自分の姿が浮かんできた。それは森田が求める理想の自分。そこでの森田の表情は穏やかだった。

 以前の森田は、いつも(今期の売上目標まであと20%だ!)と檄を飛ばしていた。夢の中での森田は(俺たちは不動産業界を変革してお客さんに新しい価値を提供するんだ!)と熱くビジョンを語っていた。そして、売上達成できない社員をドライに首にしていたのが、今では売上が伸びずに困っている社員の悩みに寄り添い、一緒に解決策を考える森田の姿があった。

 そこにいる社員たちの森田を見る熱いまなざしは「この社長についていこう」という共感と、尊敬を物語っていた。

 森田は、何とも言えない満足感を感じた。会社を成長させたい意欲は前と変わっていない。違うのは、金のためではなく、社会的な大儀と社員達のために会社を伸ばしたいと思っていることだ。自分の人格、社長としての能力、そして会社をさらに成長させようとする勇気。みんなの尊敬を勝ち得た自分の姿がそこにはあった。

 「なんて満ち足りた気持ちなんだ・・・」

 森田はふっと目を覚ました。体中が温もりに包まれた感じだ。

 マスターがたずねる。

 「いかがでしたか。尊敬されることで得られる満足感は?」

 森田は言う。

 「こんな気持ちを求めていた!以前俺が持っていたのは、他人を見下す優越感でしかなくて、それでは心は満たされなかった。他者に貢献することで得られる満足感は、じわりと染みわたって心を満たしてくれる。俺が欲しかったのはこの感情なんだ」

 マスターはにこっと笑いながら言った。

 「それはよかったです。従業員を思いやる心、経営者としての高い能力、そして会社の成長をさせようとする勇気ある行動。私もそんな森田さんを尊敬します」

 森田は(明日出社したら、社員のみんなに感謝を伝えることから始めよう)と思った。そして、カクテルをぐいっと飲み干すと、口元を緩めた。「おかげ様で喉の乾きは止まったよ」。マスターに会釈するとゆっくりとした力強い足取りで店を後にした。

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#酔えないシェイク #感情カクテル

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