感情カクテル ~うんざりしたときは(短編小説)
そのバーの名は「エモーション」。賑やかな夜の街に建つ、どこにでもありそうな無個性の雑居ビル。そこを地下一階に下りたところにある、10席くらいのカウンターと小さなテーブルを並べた、こじんまりとした店だ。こうした店に多くの人が持つであろう期待を裏切らない、黒いベストに蝶ネクタイを締めたマスターが、若干薄くなった白髪交じりの髪をオールバックに決めてカクテルシェイカーを振る。
見るからに普通のバーである。違うのはカクテルだ。この店では、お酒ではなく、感情をシェイクする。今宵も、お好みの感情にあなたを酔わせます・・・。
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今宵のお客は 、家電メーカーで働く直美、32歳。
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「もう、本当にうんざりなんです。あんな自分勝手な人と仕事しなきゃいけないなんて」
バー「エモーションー」のカウンターで、直美はマスター相手に愚痴をこぼしていた。
日々の生活に役立つ事がしたいと新卒で入社した家電メーカー。現在は、電化製品の量販店向けの営業をやっている。仕事は充実していた。直美の勤める会社は日本でも有数の家電メーカー。最近は中国メーカーに押され気味とはいえ、その強いブランドと技術力はまだまだ健在で、直美のような中堅社員でも、取引先の店長、部長クラスと直接やり取りすることができる。
実直な営業スタイルで着実に成果をあげてきた直美は上司からの評価も高く、営業目標を達成する苦労を感じながらも、やりがいを持って日々の仕事に取り組んでいた。
そんな毎日が変わったのは、同じ部署に俊夫が入ってきてからだ。俊夫は外資系のメーカーから転職してきた、直美と同じくらいの年齢の男だ。定年まで勤めあげることが当たり前の直美の会社で、他社から中途入社してくるのは珍しかったが、「多様な人材を採らなければこれからの時代は生き残れない」という社長の方針で、最近はこうした転職も増えてきた。直美もこの方針には賛成し、「営業強化のため、俊夫と直美を同じチームにして一緒に営業してもらう」と課長が言った際には(心強い仲間が入ってきた)と素直に喜んでもいた。
しかし、直美はすぐにストレスを感じるようになった。直美は、相手の話をじっくり聞き、言葉を選んで丁寧に答えるタイプだ。一方、俊夫は早口でよく喋る、調子のよい人間だった。取引先との打合せでも、雑談で簡単に相手と打ち解けて、要望には「了解しました。お任せください!」と即答してしまう。直美が取引先に何か質問しても、俊夫は相手の答えを待たずに「それはこういうことですか?」と話を勝手に巻き取り、自分のペースで仕事を進めてしまう。上司にも、売上実績を自分だけの手柄であるかのように報告する。
とにかく、直美と仕事のスタイルが違いすぎる。営業に同行する度に同じことが繰り返され、直美はいい加減うんざりしていた。はたから見れば俊夫はやり手の営業に見えるだろうが、直美から見れば、恥ずかしげもなく点数稼ぎをする浅ましい男だった。
直美は深いため息をついた。
「あんな自己アピールばっかりの人がいるなんて。うんざりです」
そんな直美の話をじっと聞いていたマスターは答えた。
「”うんざり” という感情は、自分に居心地の悪い状況が続いている。そしてその状況を変えられないと思うときにうまれます。”うんざり” が慢性化すると、それはやがて ”あきらめ” になります。悪化すると ”嫌悪” になって、最悪の場合、相手と敵対する行動をとってしまいます。どちらにせよ、よくない状態ですね」
マスターは続ける。
「”うんざり” の反対の感情は ”容認” です。自分に嫌な相手や状況を拒絶するのではなく、まずは相手の存在を認めるんです。完全には理解できなくても、相手もその人なりの事情があってこの世界に存在する。その事実をまずは認め、受け入れるんです」
「あんな人を理解するなんて考えられない」
「まあ、苛立つ気持ちはわかります。けど、せっかくうちのバーにいらっしゃったのですから、良い気分になっていただかないと。今晩は ”うんざり” を解決する、 ”容認” をシェイクした特製カクテルを作りましょう」
そう言ってマスターは、背後にある酒棚に数百と置かれているガラスの小瓶たちの中から一つを取り出した。苺ジャムの入れ物くらいの大きさのその小瓶には ”Acceptance(容認)” とラベルが貼られていた。
「この棚にあるそれぞれの小瓶には、世界中から集めた様々な種類の感情が入っています。こちらの瓶に詰められているのは ”容認” です」
そう言うと、マスターは、光沢の美しいカクテルシェイカーをどこからか魔法のように取り出した。そして ”容認” と書かれた小瓶の空気を、慣れた手つきでシェイカーの中に移す。
さらに、テキーラ、オレンジジュースをシェイカーに注ぎ込み、細かく砕いた氷を入れる。マスターは力みを感じさせない自然なリズムで勢いよくシェイカーを振りはじめた。
「強く振ることで、カクテル全体に感情の気泡がきめ細かく混ざるんです」
シェイカーに入れられた個体、液体、気体。異なる相を持つそれぞれは、はじめは自分の境界を越えさせまいと、硬くせめぎあう音を響かせていた。やがて、シェイクの心地よいダンスに身を任せるうちに互いを受け入れ、一つの波となって、なめらかな音を奏ではじめた。
カクテルの出来上がりだ。
マスターは、艶がかったオレンジ色の液体をグラスにさっと注ぎ、グレナデンシロップを手際よく加える。
「さあ、できましたよ」
直美はグラスを手に取り、一口含んだ。
「おいしい・・・」
テキーラの情熱的な熱さをオレンジの酸味がまろやかに包みこみ、シロップの甘い香りが鼻腔を満たす。直美はその味を確かめるように、グラスをさらに口に運んだ。
しばらくすると、暖かいオレンジ色で満たされたような感覚が直美の心を満たした。
マスターは言う。
「それが、 ”容認” の感情です。相手のありのままを包容する、広く温かい気持ちです」
アルコールも混じって心地よくなり始めた直美の心に、俊夫の姿が浮かんだ。そこにいるのは、自信満々に早口でしゃべるいつもの俊夫ではなかった。目をそらして両手をポケットに隠している。頬の筋肉がこわばり、聞き取れないほどの小声で話す、不安に怯える男の姿だ。
そういえば、俊夫が以前勤めていた会社は、高給ではあるものの、” Up or Out” の厳しい環境だったと聞いたことがある。” Up or Out” とは「昇進するか、さもなくば退職するか」。高い成果を出し続けなければ会社にいられなくなるということだ。そして、俊夫のいた外資企業は、日本における事業の一部縮小で人員整理も行われたらしい。俊夫もその対象だったのでは・・・。
直美は理解した。俊夫は、なぜあそこまで取引先に取り入る必要があったのか。上司にアピールする必要があるのか。直美は、それを俊夫の生まれ持った自己中心的な性格のせいだと思っていた。自分とは価値観の相いれない人間だと思っていた。
強気な表情の中に、ときおりふと唇をひき結ぶ俊夫の姿が思い出された。彼は、いつまた首を切られるのかと怯え、自分の存在価値を必死に証明しようとあがく、心細い人間だったのだ。ずっと気に障っていた、俊夫の自己中心的な行動の理由も理解できたような気がした。あれは、不安の裏返しだったのだ。
転職したばかりの会社で「お手並み拝見」と周りから見られる緊張感の中で、自分が生き残れるか不安にさいなまれ、必死にもがく俊夫。手を差し伸べて、その緊張を解いてあげるのが自分の役割なのではないか、と思った。
これが、相手を ”容認” する、ということなのか。
直美は、大きく深呼吸し、顔を上げた。こわばっていた肩の筋肉が緩んだ気がした。(そうだ、明日、俊夫をランチに誘って、ゆっくり話を聞いてあげよう)そう心に留めて、グラスをそっと置いた。
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