『自粛要請』に秘められた重要な意義
『緊急事態宣言』って言葉が刺激的で、いよいよ本格的に恐々としてきたわけですが、本質的には『自粛要請』のままです。
ネットやテレビでは、『自粛なんて温い事してないで、外出禁止にすべきだー!』という批判も目にしますが、批判をする前に
なぜ、自粛要請なのか?
という事をよく考えなければなりません。
結論から言うと、よく言われる事でシンプルですが、
『外出禁止』にできる法的根拠が無い
からです。
ただ、本当に考えなければならないのは、これが示す意義とは何かという事です。
つまり、外出禁止をせず、自粛要請に留まる意義です。
これも結論から言えば、日本は世界を見ても相当に厳しい『人権保護国家』だという事です。
例えば、人権の1つである自由というモノに対して非常に厳しいフランスは中国や韓国などが都市封鎖や大衆監視を最初に始めた時、かなり強い調子で批判をしました。
しかし、自国の状況が厳しくなってくると、自分たちがしたことは棚に上げ、自分達も同じ道を選択したわけです。
こうした流れが世界では主流となっているわけですが、これがどういう事を意味しているかというと、
政府による外へ出る権利のはく奪=人権の1部はく奪
が行われているという事です。『その代わりと言っちゃなんだけど、これで勘弁して頂戴ね』という意味も含めておカネの保障をしているのが世界の対応です。
対して日本はというと、ご存知の通り、世界基準のように思える外出禁止を法的根拠の無さから自粛要請に留めています。
つまり、こうした流れにあってもなお、人権も守ろうとしているという見方もできるわけです。
日本人を揶揄する風刺的な話の1つに
「みんながやっていますよ」と言えば日本人は言う事聞く
みたいな話があります。しかし、今回に限って言えばその真逆の事がおきているわけです。
つまり、日本だけが世界と違う事をしているという状況です
これは言い換えるなら、日本だけが、人権も健康も守ろうとしているという事です。その中で、何をどうすればよいか、そうした事を文字通り、『みんなで』考えているのが今の状況だというわけです。
世界がやってるんだから、それが正解
と言うのは、まだ解析が終わっていない新型コロナウイルスの前では時期尚早だと思います。事実として、日本での新型コロナウイルスによる死亡者数は世界と比較しても極端に少ないです。
感染者数はある程度誤魔化しができますが、死者数に関してはそこまで大きく操作できません。
というよりも、正解がいまだ無い状況において、正否を議論する事すら難しいわけで、自粛か禁止かの『正解』はもっとずっと後になって分かる事だと僕は思います。
ちょっと考えればそういう事も【いつもなら】誰もが分かるのだと思いますが、これほど緊迫した状態になり、パニックになる人が増えるとそれすらも見失ってしまうのだなぁと少し残念な気がしてなりません。
これは面白いと言うと不謹慎ですが、実際にGoogleが公開している人の動向に関するデータでは、【自粛要請】を受けた東京が、【外出禁止】のNYよりもはるかに動いた人が少ないというデータがあるんです。
つまり、【外出禁止】というある意味人権のはく奪をするほどの対策を講じても、『言う事を聞かないヤツは聞かない』わけで、日本は【自粛要請】でも十分に効果がある事がデータとして既に上がっているんです。
それこそ、先ほどの風刺の話じゃないですが、『みんなが自粛してんだから、自粛しよう』と真剣に捉える人が、強制的に外出を禁止された国々の人よりも多いわけです。
【自粛要請】には、人権という健康と同じくらい大事なモノを守る意義があるという事をこの機会に理解しておくと善いと僕は思います。
人権と引き換えに、一時の平穏の為に外出禁止を望むのか、今後も人権を大事に守ってもらうために自粛要請を粛々と守り続けるのか、僕は後者を選びたいです。
なにせ、4人の子供を育てなきゃならんのですし、還暦迎えるまで子育ては終わりそうにないので、自分の仕事くらいは自由にさせてもらいたいですから…(笑)
長い目で見たら、その為の自粛なんていくらでもやりますよ…
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