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「キッカケ」は見つける物じゃなくて、既にあるモノ

ども、イシちゃんです
中3の次男が進路を真剣に考え始めて、先日僕に、

「パパのさ、美容師になろうと思ったきっかけって何?」

って聞いてきました。

長男にはこういうところがなかったんで、ちょっと新鮮だったんですけど、僕は個人的には

キッカケは見つけるモノじゃなくて、既にあるモノ

だと考えているので、あえて具体的には答えませんでした。
まぁ、あるにはあるんですけど、多分それを彼に話すのは今じゃないなって気がしたんです。

感覚的には、先日出会った以下の記事と似ています。

「ぶわっ」がある。体験して、感動して、それが知識と、びびびっと結びつく。

私は、言葉を知ったのではなく、手に入れた。

「ぶわっ」の正体は何だ。私たちが新しい言葉を手に入れるとき/塚田智恵美

多分、彼の中では今は「ぶわっ」の段階なんですよ
いや、

「ぶわっ」
というより、
まだまだ
「ふゎぁ…」
くらいかも

体験は15歳なりにいろいろあるはずなんですよ
ディズニーランドにも連れてったし、グリーンランド(遊園地)にもつれていったし、スペースワールドもハウステンボスも連れてったし、海も、山も、川も、プールも、アイススケートも、バスケも、陸上も、って数えたら、出てくる出てくる

まぁ、それなりに【体験】はしているってことなんです
今は「体験格差」みたいなことも言われるけども、体験に格差もクソもなくて、生きてて、起きて、動ければ、毎日何かしらの体験はしているわけです

だから、今彼にとって壁になっているのは、「感動」なんだろうな

日々体験していることが彼にとっては「当り前」過ぎて、それが何か、どういうことか、まだまだピンときていないだけだと思う

だから、それが「感動」だってことに気づいていないだけ
「感動」って言葉を知ってはいるけど、【手に入れて】るわけじゃない

でも、感動って、なにもポジティブなことだけとは限らないと思うんですよね

感情が動くこと全般

と考えれば、怒りも感動だし、悔しいも感動、悲しいも感動
衝動買いなんてしょっちゅうだから、

買う気が無かったのに、買っちゃった

ってのも極論、感動なんですね

結局のところ、進路を考えるってことと、感情が動くってことを別々に分けて考えてるんだろうな

いわゆる次男気質

何をするにも、後先考えず行動して、突っ走って、たくさん失敗して、そのくせジャイアンみたいに振舞う兄ちゃんの下で育って、
それ見て何事も無難に無難にと、まじめ~に生きてきた彼

無難に無難にと自分を抑えてきたから
感情を動かすことに躊躇しちゃう

でも、無難に生きてきても、無難なりに感情が動いた瞬間はいつでもあったと思うんですよね

感動して、知識とビビビって繋がっていないだけ

15年なりに生きてきて感情が動いたことを拾い集めて、眺めてみれば、自分がどんなことに感情が動いてきたのか、そして、それは一体何だったのかって考えていけば自ずと

自分がしたいこと

が見えてくるはずなんですよ
人生って点で存在しているモノじゃなくて、線で繋がっているもんだから

だから、キッカケって見つけるモノじゃなくて、自分の中に既にあるモノで、繋げるモノなんじゃないかなぁ、と

繋がれば、ブレない

わけだから
ブレてる内は、繋がってないんだろうなぁと

我が子の進路って何人いようと心配するものだけど、見つかった時の顔つきが変わるあの瞬間を見るのは清々しいからホント、ここ乗り越えて欲しいなぁと応援するしかない


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