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福祉の現場で働いています

私は今、知的障害がある方の生活を支援する仕事をしています。

この仕事をなぜ始めたのか…と考える時、一番最初に頭に思い浮かぶのは、脳出血で倒れた父親の病院でのリハビリ生活の風景。

次に、その少し前に亡くなった親友のこと。

生き辛さへの向き合い方が分からないまま大人になっても悩める日々、仕事や家があって、友達もいて、それなりに恋愛とかもして、大好きな趣味もあって、そんな平凡な毎日の中で起きた、人の命に直面する出来事。

以来、命や人生というものをじっくり深く考えながら生きたい、そう思うようになりました。

ひとの命の中には、色々なものがつまっている。
心、考え方、能力、造形、成し遂げたこと、出来ないこと。
時間が経つほどに増えていく。変わっていく。

人の命が集まって、社会が出来ています。
社会には、色々なルールや「普通」があって、目に見えない大きな流れがあります。

そして、知的障害、身体障害、精神障害…この「障害」とは、その人の中にある出来ないことや足りないことではなくて、人と社会の間にある障壁。
これは、国際連合の「障害者権利条約」の中に出てくる障害の「社会モデル」の考え方で、日本の障害者の法律でも採用されている概念です。

私が支援している人々と社会の間には、この「障害」がたくさんあります。
この人たちの命、人生について考え、障害を少なくし、彼らの「生きやすさ」を追求する事が仕事だと思っています。

ただ、私自身は仕事というよりも、学んでいる、という感覚の方が強いのです。
この仕事のプロになるために学んでいるのではなく、自分で自分を幸せにする方法を、仕事を通して学んでいる。
そんな感覚なのです。

例えば、この人はこのコップをどうしてもここに置きたい拘りがあって気になって落ち着かなくなってしまうからどうしましょうか、というような日常の些細な事から、あんな風に怒るのは寂しい気持ちがあるからなのかな、などその方の隠された心情について、スタッフ同士で真剣に話し合ったり、時には行動を分析して傾向や対策を導き出したりします。

全てはその人の生活がより良くなる為。
本人が「心地良い」「幸せだ」と感じられるように。

自分に対してもそんな風に思っても良いことや、その方法を知らなかった私はこの仕事と、HSPの概念から、やっと少しずつ、自分を大切にするということの意味が分かってきたような気がするのです。

福祉のことを勉強すると、命を大切にする=自分を大切にする、という概念にたどり着きます(私は)。

実際の福祉の現場はそう甘くなく、苦しいことも多いですが…それでも。

障害の有無に関わらず、自分を含め、現代社会の中で生き辛さを感じている人たちが、優しさと幸せを感じて生きていけますように。

そう願わずにはいられないのです。

自分の人生でやりたい事の真ん中に福祉があるわけではなく、あくまで自分の幸せのための勉強の手段なわけですが、こうして携わっている今だけでも、みなさんの幸せに少しでも貢献できるといいな。


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