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「なんとなく」で、行き先を決めてなにが悪い?

「なんで行ったの?」
「なんとなく」
「目的は?」
「え?」
「目的ないの?なんで目的ないのに行くの?」
おかしいとでも言いたげな、目つきで見られてなんだか責められた気分。

よくある会話。

「行くと、感性がが磨かれるの、デザインとか色使いの。だいたい美術とか見てる。ヴィクトリア&Aが好きなんだ」
「???なにそれ?」 
目を丸くする相手。だいたいの人は「へーぇ」で終わる。

航空券もホテルも現地ツアーも全て自分で予約するんだから、いいじゃない。なにがそんなに悪いの?

ただ、なんとなく行きたくなる、そういう感覚を大切にしたいし、行きたい時に行けるというのは本当に恵まれてる。時間もお金もかかる旅行、さらに健康な体。語学力よりも案外忘れがちな心身の健康。

私はこうみえて、時差ボケは絶対にしないし現地で体調不良に見舞われたこともない。

「なんとなく」このふわっとしたぼんやりした霧のような感覚的な意思のなかには、好奇心半分ぐらいとら未来を見据えた視察のようなものが入り混じっているんじゃないかと、考えている。

そこで得たインスピレーションをその場で受け取るか、時間が経ってから芽がでてくるかのように、研ぎ澄まされてくるのかは、人により違う。これには相性もあり、発芽しないこともあるかもしれない。

うまくいけば私のように仕事にも活かされる。

だから言いたい。
「なんとなく」は、自分の中に眠っている可能性を掘り起こすチャンスであり、導きである。
と、つぎにいつか誰かに不思議がられたら、そう言おう。ひそかにそう心に決めている。


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