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『文壇華浴衣調査』調査報告:ひとまずファイナル

 大変ご無沙汰しております。文壇華浴衣調査の言い出しっぺとも言える、来福ふくらと申します。前回から随分と時間が経過してしまい申し訳ありませんでした。久々の更新となりますが、何卒お付き合い頂ければ幸いです。
 また、今回の更新を以て一区切りといたしますことも、冒頭で一先ずお伝えしますね。

1)今までのまとめ

 まずは以前の記事から随分と時間が経過しております故、かいつまんでおさらいをしたく思います。内容的に以前のnoteと重複しますが、何卒ご容赦下さいませ。

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 文壇華浴衣という存在を知ったのは昭和五年七月一日発行『文藝春秋』第八年第七号に掲載されていた広告より始まります。


力の入った見開き広告



 当時の人気・有名文士達の浴衣、という今でいうコラボ商品があったことを知りました。これは何ぞや? というところから始まった調査です。
 有志が集い、資料を探す・文学館に問い合わせをする等を行った結果、次のようなことがわかりました。

●昭和4年6月号(第7年第6号)にも「文壇の華浴衣」の広告と、文士23人、合計48通りの柄模様の見本を掲載されていること。
 昭和4年7月号(第7年第7号)と昭和4年8月号(第7年第8号)にも広告があり、菊池寛考案「受難華」の浴衣を着た栗島すみ子の写真が掲載。
 昭和4年7月号(第7年第7号)の編集部による「編集後記」には昭和4年7月号(第7年第7号)と昭和4年8月号(第7年第8号)にも広告があり、菊池寛考案「受難華」の浴衣を着た栗島すみ子の写真が掲載されていること。
 昭和4年7月号(第7年第7号)の編集部による「編集後記」には「文壇華浴衣は好成績で家庭から迎えられています。今夏の流行浴衣の内の先駆だと営業の方の宣伝をその儘」と書かれています。という文面があること。(回答:菊池寛記念館様)
 昭和四年八月号に関しては『浴衣が飛んでいく。と云ったら驚くでせうが、文壇の華浴衣の売行きは、全く飛ぶやうな売行きです。どうしてでせう?』という宣伝文句の入った広告を確認。

 また考案者一覧掲載も確認致しました。

●文藝春秋昭和四年、五年六月号にて浴衣図案を確認。様々な文士にちなんだデザインの浴衣があったこと。その詳細も明らかになってきました。


華浴衣のデザインの一部


●華浴衣に参加されている文士関係の文学館、またアンティーク着物を扱う店の方々にも聞き込み。
 その中で『岡本綺堂日記・続』(青蛙房 1989年)の1929年と1930年の記述に、文藝春秋の企画に参画し、前者では「両国に秋」と「新朝顔日記」、後者では「牡丹灯籠」の図案の浴衣を提案し出来されたという内容があることが判明しました。(これらに記述されている方々の詳細な名前については、続ではない方の『岡本綺堂日記』《青蛙房 1987年》の人名索引に多く収容されているとのこと)
綺堂の資料について。関東大震災と東京空襲時に、綺堂宅がそれぞれ焼失した折にそのほとんどが失われており、これらの資料は空襲の影響で、岡本家に残らなかったと推測されるとのこと。(勝央文学美術館様回答)

●浴衣は基本的に後世に残りにくいものであり、空襲等で焼失したり行方知れずとなったり、着古したものはオムツや雑巾等に有効活用されていくなどした可能性が高いこと。

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 コロナ禍という状況下での調査は制限がありましたが、様々な情報を得ることが出来ました。お忙しい中、ご協力頂いた文学館の各御担当様、お店のスタッフ様各位、感謝致します。


2)その後の新情報

水面下で緩やかな調査等を行う中、メンバーのひとりの秦月結さんの元に新たに情報が寄せられました。差出人は徳田秋聲記念館様。以下新情報となります。

●小説『仮装人物』に記載があったこと。
小説である為、すべて事実かどうかは不明ではあるが、デザインには山田順子が参画していたかもしれないとのこと。また娘や友人に送っているらしいということだそうです。
 徳田家には現物としてはおそらく残っていないものと思われるとも仰られていました。
※以前六月一日/くさかさんがこの記述を発見したのですが、その時は「与謝野晶子氏等のことを下敷きにした内容であり別物ではないか」という見解をしていたので、考察がお互い深まりそうですね。

 また、同じくメンバーの一人である六月一日さんがアンティーク着物を取り扱っている姉妹屋様にお話を伺っております。現物創作調査に関しては彼女個人が行っているものであるため詳細は割愛いたしますが、当時流行したアッパッパ(大正末から昭和初期にかけて普及した日本で初めての婦人既製服に名づけられた関西風俗称。半袖のゆるやかな夏用ワンピース)他にリメイクされたりもしたのだろうという話が出たとのことです。

 総括すると、浴衣という特性上現物が残っている可能性は着物に比べ低いものであると言えるのではないでしょうか。
 ただ、当時華浴衣に限らずこういったコラボレーションが行われていたことなど、様々な情報を得ることが出来ました。きっとその場にいたら欲しくて文藝春秋社へ問い合わせていたのかもしれません。
 華浴衣という企画が実際にあり、販売も行われていた。受け取った文士、関係者がいたことも判明し、私個人として知りたいと思っていた実りを得ることが出来ました。
 華浴衣から始まり、様々な関係の方々にご協力頂いたこと、重ねて感謝の意をメンバーを代表してお伝えしたく思います。本当に有難うございました。

3)これから


 華浴衣の調査に関しては、来福ふくら中心のものとしては、目的を達成したという一区切りをさせて頂きたく思います。個人のリアルでの状況が大変ヘビーなこととなっておりまして、私が中心で調査を続けるというのが困難というのもあります。
 一旦区切りを付けさせていただく、とは言うものの、メンバーである六月一日/くさかさんが現物を目指して調査を続行しているので、もし華浴衣に関しての情報があれば、些細なものでも募集中です。引き続き宜しくお願いいたします。


4)最後に


 華浴衣調査において、様々な方々のご協力を頂き、温かいご支援を頂きました。ご回答頂いた記念館様、関係者様等は以下となります。

(敬称略)
徳田秋聲記念館
泉鏡花記念館
菊池寛記念館
大佛次郎記念館
吉井勇記念館
中央区郷土天文館
NPO法人宇野千代生家
時代布と時代衣裳 池田
佐藤春夫記念館
勝央文学美術館
山本有三ふるさと記念館
山本有三記念館
三重県環境生活部文化振興課(横光利一資料展示室)
川端康成文学館
文藝春秋社
高島屋資料館
きらく屋
おもしろ屋
姉妹屋

 名称記載不可等で記載していませんが、ほか、関係施設、関係者の皆様。本当に素人の研究に関わらず、丁寧で優しいご回答有難うございました。温かい対応の数々、感謝しております。

 そして、DMにて情報提供してくださった皆様。
 何よりも、今回の私の何気ないツイートに反応して頂き調査を共に進めてくれたメンバー達には一層の感謝を。

秦月結(@hanashigu_ume)
セイ(@050304Sei)
midori(@haru_3d)
六月一日/くさか(@kusaka6_1)

 先述した通り、引き続き現物に関しての調査は六月一日/くさか(@kusaka6_1)が行っており、情報を募集中であります。こちらも引き続き見守って頂ければ幸いです。此方で掲載予定していたものの一部は此方に繋がっていく情報もある為、私も一個人として楽しみにしたく思います。

 また、他メンバー各位も華浴衣調査から得たものがあり、一部はレポートとしてアップ予定となっております。此方もTwitter等で情報が流れるかと思いますので、その時には是非見て頂けたらと思います。また現在アップされているものは最後に情報を載せますので是非に。

 私も調査を通じて色んなものを得ました。一番大きな収穫は着物を自分で着られるようになったことでしょうか。まだ半幅帯のみですが、着物の魅力を直接感じられるようになったことが嬉しいです。
 華浴衣を通じて、見守って下さった皆様にも何か実りが得られたなら、私もメンバー達にも喜びとなります。

 一区切りとして、再度。
 調査のご協力、そして見守り、本当に有難うございました。

【メンバーの関連記事】
note:「文壇の華浴衣」泉鏡花編・秦月結(@hanashigu_ume)
https://note.com/hanashigu/n/nd17d95cea23d


宜しければサポートお願い致します。 サポートは調査活動等に使わせて頂きたく思います。