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(50)ファシリテーターに大切なこと(と告知)

 2014年から、愛知県豊橋市にあります、穂の国とよはし芸術劇場PLATで行われております、ワークショップファシリテーター養成講座。今年もやります!

 全国の劇場や学校で、楽しいワークショップがやれたらすごく良いと思いつつも、私は東京在住で、行くのにも交通費がかかりますし、そもそもファシリテーター(進行役)が全国にいれば、ワークショップが広がっていくはず!との想いで、始めました。

 演劇作品と同じように、ワークショップもファシリテーターによって、つくられる場が大きく違います。ファシリテーターが10人いれば10の違うワークショップが展開されて良いですし、そもそも一人のファシリテーターでも、参加者によってその場は大きく変わるはずです。

 どんな風にファシリテーターがワークショップを進めていくのか。それはファシリテーターがどんな風に生きてきて、何を大切にしているかということが大きく関わってくるのですが、それでもどのファシリテーターでも共通して大切にしていることがあるはずです。

 私自身は、間接的にとは言え、黒テントやPETA、ボアール、英国RNTから多くのことを学び、世田谷パブリックシアターで数多くのワークショップの場を経験しました。それが今に結びついています。
 私が学んだこと、それはゲームの種類や方法を知ることではなく、もっと根本的なことで、そのことを養成講座を通して伝えられたらと思っています。

【50】-1 権威的にならない

 先日、演劇デザインギルドのメンバーでもあります、日本のワークショップの先駆者といっても良い成沢富雄さんと話したのですが、「最近、ファシリテーターが権威的になっている場を時々見る。こーたも気をつけないとな」と言われました。

 気をつけていても、ある瞬間には権威的になってしまっていたり、権威的にされてしまっていたりすることがあります。最近は一緒に仕事をする機会がめっきり減ったにも関わらず、いつも見ているようなことを言われ、ドキッとしました。
 自分の何気ない一言が、大きな影響を与えている場が少なからず身に覚えがあったからです。

 特に学校に行ってワークショップを行う時には、学校の既存の価値観を壊していくような仕掛けをつくっていきながら、先生という立場にならなくてはならない時もあります。また、子どものいない場で、ワークショップの活動にどんな意味があるのかを学校の先生に説明している時には、ある種の権威性が生まれているように思います。

 どんな仕事もそうだと思いますが、多くのジレンマを抱えながら、ベターな方向へと進むよう模索しないとなぁと、なんとなく考えたりします。

 話がズレましたが、「権威的にならない」というのも、ファシリテーターにとって大切なことの一つです。
 この「ファシリテーター養成講座」は、身体でやるゲームを何度もやり、それを進行する練習をし、つまりゲームを考えたり、言葉づかいや立つ位置なども互いに検証し合います。
 そういう意味では、ハウツー的な部分もありますし、ワークショップの進行の手法を手渡していくということもありますが、むしろ自分がどんなファシリテーターで、何を大切にしているかを考え、なぜワークショップを進行するのかという根本的なことを考える講座です。

【50】-2 仲良くなった、その先は…

 アイスブレークのゲームをやれば、参加者は笑顔になり、簡単に(でもないですが)参加者同士の距離が近くなります。しかしそれは何のためにやるのか、仲良くなってどうするのか?ということを考えずにやってはいけません。その場で行われることに対して、ファシリテーターは責任があります。

 例えば外国にルーツのある人がいたとします。仲良くなろうとして、つまり悪気はなく、むしろきっかけを作ろうと善意で「どちらのご出身ですか?」と聞いたとします。でもそれは本人にとってはとても嫌なことかもしれません。だってパッと見で違和感(という言葉も失礼ですが)がなければ、そんなことは聞かないはずですし、聞かれないでしょう。そう、いちいちその人は言いたくないことを言わなくてはならないのです。これから行われるワークショップに何も関係なくても、そのことを言わなくてはならないのです。

 パッと見で分からないことでも、ワークショップのゲームの中で、自分のことを語ったりカミングアウトしなくてはならないことがあるかもしれません。それによって仲良くなることはあるでしょう。でも、ワークショップが終わった後に、その場を離れたり、家に帰って冷静になった時に後悔しないとも限りません。

 聞いては行けないという意味ではありません。そこにどんな意味があるのか、聞かれたことに答えた後も安全な場であり続けられるのか、ということを常に考える必要があります。

 もう一度くり返しますが、ワークショップは人をオープンにすることが出来ます。でも、そのことに対して責任を持つ必要があります。これもファシリテーターの大切な仕事です。
 ファシリテーターの手には負えないことも出てくるかもしれません。ファシリテーターは、自分で全てを解決するということではなく、集まった場に状況を返して、ファシリテーター自身も含め参加者と共に考えていく必要があります(そういう意味での責任があるのです)。ファシリテーターは神様や権力者ではないのですから(本当は先生ではないとも言いたいのですが、時々先生にもなるので、難しいところです…)。


【50】-3 養成講座というのは手法を教えるのではない…

 何を大切にし、どんな場をつくっていくのか、それを教わるのではなく、一緒に考える場だと思って下さい。土台を見つめ直すというか。
 根本的に大切にしたいことは何か、その上で今の自分や社会の状況で考えなくてはならないことは何なのか、それを今自分がワークショップという形にするのであれば何をするのか、ということをくり返しくり返し考えます。

 山の頂上は、山の頂上だけでは存在しません。山の頂上が存在するためには、頂上を支えるしっかりとした麓・裾野が必要なのです。ワークショップの場で素敵な演劇が出来たり、素晴らしい表現や成果物が生まれたとしても、それは山の頂上、ほんの一部でしかないのです。

 私も毎年、いや、毎日のように考えています。きっと終わりはないのだと思います。だから、PLATのファシリテーター養成講座には、毎年参加される方もいます。毎年何かを発見したいのかもしれませんし、1回では見えなかったことが、2回3回と参加することによって見えてくることがあるからかもしれません。

 豊橋や愛知に住んでいなくても、演劇やワークショップの経験がなくても、どんな方でも参加できます。とても充実した講座だと思うので、ぜひご参加下さい!
 お申込・お問い合わせは下記のリンクからお願いいたします。

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