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(45)ICTと演劇は似てる

 先日、雑誌「演劇と教育」の座談会にオブザーバーとして参加しました。その内容については発売になってからお知らせしようと思いますが、その時一人で考えていたことあります。それが表題になっている「ICTと演劇は似てる」ということです。
 正確に言うと「ICTと演劇を同じように『道具』として捉えると可能性がとても広がる」ということです。

【45】-1 演劇は万能ではない

 時々「人生において大切なことは全て演劇から学んだ」みたいな言葉を見かけます。私自身もそう感じることもあります。
 それは私が演劇をやっているからであって、演劇の部分を音楽や料理やスポーツ、もっと細かくサッカーや野球などと言い換えて使っている人もいると思います。実際本当にそう思っているのだと思います。

 一見関係なさそうなことを、演劇的にやってみると、とても良い効果を得られることがあります。「俳句を数人で身体で表現してみると、文字からは読み取り難かった情景が見えてくる」みたいなことは分かりやすい例です。「歴史の年表から短い演劇(場面)をつくると歴史の流れが見えてくる」みたいなこともあります。識字教育に演劇的手法が有効に作用するのは有名な話ですし、私は原発の仕組みを身体で表現するワークショップをやったこともあります。
 最近流行の(?)「漢字を分解して声に出して言うと覚えられる」というのも、一つの演劇的手法と言えるでしょう(くり返しますが、これを音楽と言い換えることも出来ると思います)。
 演劇を「学習するための道具ツール」として捕らえれば可能性は無限大に広がります。

 ですが、演劇的にやろうとすると時間がかかりますし、三角形の面積の求め方を演劇でやるというのは(やれなくはないかもしれませんが)難しそうです。

 私は「やれなさそうなことなら、むしろ挑戦する」みたいな気持ちが強い方なので「絶対にやる!」みたいに思ってしまうのが短所だと思います。でも多くの人は、自分の得意分野であればあるほど、その技術を応用することを考えないでしょうか。大工さんが木で飛行機をつくろうとしているのに似ているかもしれません。そして作ってしまうようにも思います(大工さんを悪く言っているのではないです!気に障るようでしたらお詫びいたします!)。

 何を言いたいのかといえば、見出しに書いてあるように、演劇は万能ではないということです。私も「絶対やってやる!」と思っていたとしても、全てを演劇でやろうとはしません。それは誰でも分かっていることだと思います。分かっている上で「人生において大切なことは全て演劇から学んだ」みたいなことを言っているわけです。

【45】-2 ICTは万能ではない

 ICTはどうでしょうか?これから「人生において大切なことは全てICTから学んだ」という人が出てくるかもしれませんが、少なくとも私はこれまで聞いたことがありません。

 でも、パソコンやタブレットを準備して、ネット環境も整えれば、オンラインで学校と同じように勉強が出来る、友だちとだってマスクなしで話すことが出来る。これからは自宅にいてなんでも出来る!と思っていませんか?あなたが思っていなくても管理職やその上の誰かは思っていないでしょうか。

 VRやアバターなどを利用して、仮想空間で買い物をしたり遊んだり、これまで現実リアルでしか行えなかったことが、自宅にいながら出来ます(私はやったことがないです…。が、そのような事が当たり前になる時代がすぐ近くにあるという気はします)。
 匂いや触覚なども、遠いところにいても感じられるようになるかもしれません(もうなっているかもしれませんが)。

 技術の進歩はすごいスピードで進んでいるので今後解消されるかもしれませんが、現状に則して話すのであれば、手をつないだりハグしたりする安心感を得るのは難しそうです。同じものを同じ空間で見たり聞いたりして、一緒に感動したり笑ったり泣いたりする「共有感」は、自分の部屋のパソコンやタブレットでは得難いように思います。

 昨年末に、演劇の仲間であった友人が亡くなりました。集まってお別れの会をやろうと準備していましたが、コロナの影響でオンラインでの集まりになりました。その時「黙とうをしよう」ということになり、私も黙とうをしましたが、これまでいろいろな場面で黙とうをした時には感じなかった違和感を感じました。
 同じ空間で、同じ時間黙とうをする。すぐ横に仲間がいる。息づかいや気配を感じ合う。こう書くとオンラインでやることと差がないようにも思えますが、そこには埋められない何かがあったように思います。

 ICTは学習を効率的に行うことが出来ます。しかしだからこそ、途中を見逃しやすいのです。
 子どもが勉強をしている時に、ノートやテストの紙には、答えだけではなく思考の途中経過が書かれていることが多いです(消しゴムで消されてうっすら見えていたり)。その途中経過を見ることで、子どもが何に、どうつまずいたのかが先生にも分かります。
 ICTを活用する場合、思考途中を示すこともあると思いますが、タブレット上で計算をするのは難しく、おそらく紙に書いて計算して、それをタブレットに写すことになるでしょう。そうすると、つまずきを先生は見ること(たどること)が出来ないのです。

 私が学校でワークショップをする時に、低学年であればあるほど、クラスメイトが何かやっている時に「きもっ」というようなことを言います。口癖のようなもので意味がある言葉ではないのですが、やはり気持ちよくない言葉なので「きもって言わないで」と言います。
 対面リアルであれば、方向や声の大きさから、誰が言ったか分かるのですが、オンラインでやると、一つのスピーカーからしか出てこないので、方向や距離、大きさが分かりません。

 このように、私の視点からですが、ICTも発展途中ということもあり、抜け落ちてしまう部分がたくさんあります。ICTも万能ではないのです。

 他にも「辞書を引かなくなったので、知りたいことを調べると、すぐに答えにたどり着きます。そのため、辞書だったら前後の言葉をうっかり見てしまって、そのことから別の発見があった、みたいなことが無くなる」「字を書く習慣がなくなったので、漢字を覚えなくなった」というようなことは良く言われています。

 ICTでなんでもやろうとするのは、もしかしたら先程の大工さんや私が演劇でなんでもやろうとすることに近いのかもしれません。

【45】-3 ICTも演劇も1つの道具としてとらえ、道具として使う

 コロナ禍で急激に学校にICTの波が押し寄せてきました。そのような会社はここぞとばかりに売り込みますし、大人(学校や保護者)は「よく分からないけど良さそうだ」とばかりに導入をして使おうとします。
 得意な人もいればそうではない人もいるのに、苦手意識がある人は引け目を感じてしまいがちだし、中には最初から諦めている人もいつかもしれません。それは非常に勿体ないし、残念なことです。

 スプーンで全ての食事が出来るわけではないし、ハサミで全ての工作が出来るわけではありません。同じようにICTで全てのことが出来るわけではないと思っていた方が、ICTと上手に付き合えるのではないでしょうか。
 スープを飲みたくなったらスプーンを使えば良いし、サラダを食べたくなったらフォークや箸を使えば良いのです。常に一つのもの(道具・技術)を使うのではなく、適したものを使えば良いのです。

 実はこれ、演劇を学校に導入する時と似ているんです。演劇を道具としてとらえると学校に入りやすいのですが、「楽しい」「表現力を豊かに」みたいな言葉だけだとなかなか受け入れてもらえません。演劇への理解がなかったり、「やったことない」と食わず嫌いだったりして、なかなか入り込むことが出来ないのです。
 くり返しますが、演劇は万能ではありません。だけど、演劇でやるからこそとても豊かだったり上手くいくこともたくさんあります。子どもたちと演劇をやる場合、表現するというだけではなく、考えたり相談したり決断したり、そういった人間が成長することに力を与えてくれることがたくさんあります。しかも楽しくやれることが非常に多いのです。全てに使うのではなく、「ここぞ」という時に演劇を使うべきなのです。そのようにとらえていかないと、勿体ないし残念な結果になってしまうのです。

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 ICTも演劇も、スプーンやハサミのように、道具としてとらえることが大切です。素敵な道具は、道具を使うことが楽しく、道具を使うことが目的になりがちです。道具を使うことが目的になると、使うだけで満足してしまいます。最初のうちはそれでも良いかもしれませんが、スプーンを使うためにスープを毎日食べるのではないように、ハサミで切るために新聞の切り抜きをするのではないように、ICTも演劇も、目指すべきところがどこなのかをハッキリとさせ、それに向かうために使えば良いのです。逆に言えば、使わない時があっても良いのです。

 スプーンで絵を描いたりボールを運んだり、ハサミで切り絵をしたり楽器にしたり出来るかもしれません。演劇で夢のような世界を表現することも出来ますが、現在社会の問題を浮き彫りにすることも出来ますし、ライブなので見ている演劇に対して意見を言うことも出来ます(フォーラムシアターといいますが、これは別の機会に)。
 ICTは出来ることも出来ないこともあります。まだ気づいていない何かが出来るかもしれません。学校においては目標、例えば子どもたちの成長を助ける、というような目標を見失わないで活用していくことが大切だし、目標を見失わなければ活用できる可能性は無限大に広がるはずです。タブレットを使うことを目標にしてはいけません。考えたり理解したり発見したり、喜んだり悲しんだり、仲間と協力したり意見を言い合ったり、そういったことを目標にして、道具として活用すべきなのです。

 今だからこそ強く思いますが、ICTも演劇も世界平和のために役立てると、私は信じています。

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