見出し画像

(46)子どもたちの好き嫌いの判断を奪っていないだろうか…

 先日ある小学校で「小学二年生の国語の教科書にある『スーホの白い馬』を扱ったワークショップをやって欲しい」という依頼がありました。学芸会などの、どちらかといえば「表現」することを目的としたワークショップもよりも、教科書を題材に、それを演劇を使って理解したり楽しんだりするということが私は好きなので、私も楽しい時間を過ごせたと思っています。

 光村図書の小学二年生の国語の教科書には「スーホの白い馬」が掲載されています。絵本もありますし、長いこと教科書に載っている有名な話なので、ご存知の方も多いと思いますので、改めて説明することもないでしょう。
 その「スーホの白い馬」を扱ってワークショップをやった時に感じたことを書きたいと思います。

※下記に書くことは「スーホの白い馬」について批評や批判をするものではないことを、あらかじめお伝えしておきます。

【46】-1 ワークショップの実際

 まず、私がどのように進行したのかを簡単に紹介します。基本的な条件は以下のようなものです。

対象:小学2年生(3クラス、クラスごとに行う)
人数:各クラス30名ほど
時間:1回2時間続きの活動を2日間で完結する
   (1時間は45分なので、1回は90分、合計180分)
   授業時間内に行う(1回目と2回目の間は1週間)
活動場所:ランチルーム(教室の倍くらいの広さ)
その他:児童たちは教科書を1回くらいは読んでいる
    教科書と絵本は、描写が少し違うところもある

 大きな進行の流れは以下のようなものです

1日目 1時間目
・自己紹介
・アイスブレークのゲーム
・身体で物の形を表現する活動
2時間目
・昔話の1シーンを数人で身体で表現(桃太郎が生まれるところなど)
・「スーホの白い馬」の前半1/4位を読み聞かせ
・5〜6人のグループに分かれ、読み聞かせた部分を身体や言葉で表現
・見合う、感想など
2日目 1時間目
・アイスブレークのゲーム
・身体で物の形を表現することの復習
・「スーホの白い馬」の続きを読む
・どんな場面があったかを思い出す(場面分け)… 箱書きを黒板に書く
・5〜6人のグループに分かれ、担当場面を演劇にする
2時間目
・グループ活動の続き
・中間発表(他のグループを見て意見交換などをする)
・もう一度練習
・クラスで順番に「スーホの白い馬」の物語通りに発表する
・見ていた先生に感想を聞く

【46】-2 子どもたちの様子

 では実際に子どもたちはどんな反応だったのかを書いてみようと思います。一人ひとりの様子は違うのですが、個人が集まることによって、クラスの様子も少しずつ違います。

 アイスブレークは、活動を楽しくやるための準備運動という意味合いもありますが、私(進行役)と子どもたちが出会うという時間でもあります。「私と出会う」というのは、「こーたのことを信用しても良いかな」「こーたと一緒に活動してやっても良いかな」と思わせるということです。
 もちろん、やりたくない人に無理強いすることは、学校のみならず、ワークショップを進行する時にはいつもしていません。でも「楽しいよ〜、一緒にやろうよ〜」というオーラというか雰囲気は常に出しているつもりではあります。

 そんなアイスブレークの時間ですが、これはコロナの影響もあると思うのですが、ひとつのクラスは、大きな声をあまり出さずに活動していました。小学生は(いや中学生でも)私が自己紹介している時から、突っ込みをいれたり、自分勝手な話をしたり、ウケを狙ったことを言おうとすることが多いです。他の2クラスはそんな感じだったのですが、1つのクラスは反応があまりなく、またゲームをしても様子見というか、キャァキャァ騒いでいる感じはあまり無かったです。
 不思議なのは、それでも楽しそうだということです。「大きな声を出さずに活動しよう」ということを比較的言われている学校で、かつ先生も注意しているとそのようになるのかもしれません。

 身体で物の形を表現する活動などは、喋らなくても出来るので楽しんでやっていました。小学校低学年の場合は特に、手をつないだり、べったりとくっついたりしがちなので「触らずに、大きくやって!」というのがなかなか難しいことです。

 例えば、ペアでひとつのコップを表現するという時にも、手をつなぐことが多くなってしまいます。リンゴ肉まんというお題になると、頭をくっつける必要はないのに、頭をくっつけて表現したりしています。
 そのことですぐに感染するとは思わないですが、なかなか難しい活動だと思います。

 身体で物の形を表現するというのは、セリフを上手く言うみたいないわゆる劇の表現というものから開放するための活動でもあります。「スーホの白い馬」を劇にしますが、全員にセリフがある必要はなく、二人組で白い馬を表現したり、三人で家を表現したりしても良いのです。そこから、別な登場人物に代ることも出来ますし、演劇というか表現の幅が広がります。

 また、二人組や四人組で何か一つの物を表現しようとすると、どうしても密になる(接近する)ことになりますが、場面を5〜6人組で表現することになると、少し広い空間を意識するようになります。実は劇づくりというのは、そのこと自体は密になるというわけではないと私は考えています。

 演者同士が至近距離で何かしたり会話をするよりも、少し離れて演技をする方が、見る側としては見やすいのです。ケンカの場面にしたって、至近距離でゴチャゴチャやるよりも、例え触れていなくても、離れて殴り合っている方が迫力があるということです。

【46】-3 個を大切にするということ

 1クラス2日間(4時限)の活動なのですが、1日目の活動が終わった時に感じたことがありました。それは、以前に「これからのグループワーク」という所でも書きましたが、コロナ禍でのグループ活動についてです。

 例えば、「夜、スーホの飼っている羊をオオカミが狙っていて、それを白い馬が必死に守っていた」という場面があります。その場面では「私は羊をやりたい」「自分はスーホをやりたくない」という意見ばかりが出て、全然まとまりませんでした。

 個人個人としては、やりたい役(やりたいこと)、やりたくない役(やりたくないこと)というのはあると思います。でも、全員の主張を聞いていると場面はできません。でも、場面が出来ないことも、そのグループの子どもたちは嫌なのです。

 「我慢してやれ」と言うつもりはありません。でも、個人のやりたいこととグループとしてやりたいことのバランスを考えるというか、最終的に自分はどうなると幸せになるのか、ということのようなな気がします。

 小学校でよくありますが、ダブルキャストのように途中で演じる人が入れ替わるという方法をやっているグループもありました。それも解決方法の一つだと思いますが、学芸会のような長い劇ならともかく、1分程度の劇を作っている時には、分かりにくい表現になってしまうこともあります。(これは学校でやる劇の弊害だと思うのですが、このことについては、いつか別に書きます)

 私も上手く言えないのですが、「何故やりたいのか」「何故やりたくないのか」ということをもう少し考え、個人でやりたいことだけではなく、グループとしてのやりたいこと・グループとして成功に向かうためにはどうするのかを考えられると良いのかなぁと、この時は感じました。

 1日、しかも90分しかない中で、私からの要求が高すぎたということはあるかもしれません。しかし上記の「これからのグループワーク」にも書きましたが、コロナ禍で「学校に行かなくても良い」というハードルが下がり、「個人の気持ちが尊重されやすくなった」時にこそ、集団としてどのように意思決定をしていくのかを、集団として意思決定することの意味を、改めて考える時なのかなと思います。
 そして、そのことを考えるのに、演劇という活動はとても適しているのかもしれません。

 別な話ですが、身体で物の形を表現する時に「自分たちの思う通りで良いよ」と声をかけても、何をすれば良いのか指示されないと動けない児童が少なからずいました。それは以前にもいましたが、この学校やクラスが特別なのかもしれませんが、そのような児童が増えたように感じました。

 打合せの時に「先生の指示が一番通りやすいクラスです」と言われたクラスがありました。そのクラスは、確かに指示をちゃんと聞くし、そのことは楽しそうにやりますが、自分たちで考えて、ということを言うと「できない…」「分からない」となってしまい、「指示の通りやすい」というのは紙一重だなと思いました。

【46】-5 2日目のグループワーク

 さて、そんな風に1日目のワークショップは終わったのですが、2日目はとても良かったです!
 …と本当は書ければ良いのですが、そうならないのが小学校です。

 1つのクラスの出来事です。休み時間にケンカをしたのか、私の活動が始まってから、4〜5人が先生に廊下に連れ出されました。
 その児童たちが帰ってきてアイスブレークのゲームに入るのですが、怒られたからか、ゲームに集中できない児童が一人いました。その児童は最後までやる気が出ずにゲームでも負けてしまい、他の勝ちたかった児童が悔しくて泣いてしまうということがありました。

 さらに、やる気を失った児童とやる気のある児童が、劇づくりでも同じグループになってしまいました。ランダムに分けたのですが、恐ろしい偶然です。
 案の定グループワークは上手くいかずに、担当する場面がいつまでも出来ない感じになってしまいました。

 本当はやる気があるし、演劇を作ることが好きそうだったのですが、きっかけを掴めずに活動できない様子だったので、「他のグループには内緒だけど、この場面が出来たら、残っている別の場面も特別にやってもらえる?」人参(笑)をぶら下げました。

 すると、少し気持ちが落ちついたのか、俄然やる気になり、二つの場面ともやり切りました。

画像1

 また別のクラスで、1日目に自分のことを主張してばかりでグループワークが上手く出来なかったクラスですが、2日目になり幾分グループワークにも慣れてきたのか、または私の行う「演劇づくり」に慣れてきたのか、前向きに演劇づくりに取り組んでいました。
 もちろん駄々をこねたり、相談する時に聞いていないでチームメイトに怒られたり、自分では良かれと思った表現同士がぶつかってゴチャゴチャになり分かりにくかったりと、それはいろいろあります。
 でも、それを含めても、演劇づくりを楽しんでやっていたように思います。

 話はそれますが、校長先生が私たちの活動を見てくれていました。その時にこんなことをおっしゃっていました。

台本(セリフ)がないのにこれだけ出来るのだから、学芸会のやり方を変えなくてはならないと思いました。もっと子どもたちを信じて演技させるのが良いと思いました 

 大きな舞台で決められた時間の中で表現するという、学芸会とは違う表現を私たちは行っているわけですが、大人でも決して良くないといえる体育館の舞台という環境で演劇をやるよりも、近い距離で、楽しみながら、自分たちで考えた劇の方が豊かだと思っています(もちろん、このような活動を続けて舞台に載せるという手もあります。私も学芸会でやる劇をたくさんつくっていますし)。

 私たちの良いと思うことを、特に校長先生に見てもらえて、伝わったのはとても良かったと思います。

【46】-4 子どもたちの好き嫌いの判断を奪っていないだろうか…

 さて今回のメインテーマです。

 全ての活動が終わった時に、ふと思いました。「スーホの白い馬」という話を、子どもたちみんなが好きになってしまったのではないか、と。

 ご存知だと思いますが、スーホの白い馬は、悲しい話で、素晴らしい話だと思いますが、大人だから感じられることもあると思います。小学2年生で私と同じことを感じられているのでしょうか…。

 そもそも小学2年生には難しい話だと思いますし、私自身「スーホの白い馬」を好きだったかどうかは覚えていませんが、好みの絵本ではなかったように思います。

 しかし、私と一緒に演劇をつくっていた児童たちは、絵本の流れや物語のテイストなどは横に置いておいて、演劇づくりを楽しんでいました。なので、少なくとも「スーホの白い馬」に関して悪い印象は持っていないように思います。

 これって、子どもたちが作品を読んで好きか嫌いかを判断することを奪っていないだろうか?
 物語をあじわうこと(感じること)と演劇にすること(楽しむこと)の違いを認識して、どちらも大切にしなくてはならないのではないか?
 私はとても危険なことをやっているのではないか…?

 そんなことをふと思ったのです。学校からの依頼だし、私自身、演劇を楽しく作ってもらうことに一生懸命で、「スーホの白い馬」を好きになってもらいたいと思いながら活動していました。
 アイスブレークから始まって、ずっと楽しい活動が続いていたと思います。
 でも、一人で絵本を(または教科書を)読み、絵や文字から感じる何かを大切にして欲しいとも私は思います。

 短い時間なので難しいことですし、出来ることと出来ないことがるのは分かっています。でも「スーホの白い馬を読んでどう思った?」というところから始めても良いのかもしれないと思いました。

 演劇は楽しいです。楽しくやろうと心がけています。だからこそ失われてしまうこともあるのだと、その危険性を認識しながら活動する必要があると、改めて思いました。

 ※もう一度書いておきますが、今回のnoteは私自身が「スーホの白い馬」を批評したり批判しているものではなく、他の絵本や物語でも起こり得るものとして読んで頂ければと思います。

 ※また、時間がなくて今回は絵を描く時間がなかったので、文章だけで読み難かったのではないかと反省しています。後日挿し絵を載せるかもしれません。

<前 (45)ICTと演劇は似てる
                 (47)しばらくお待ち下さい 次>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?