刻み込まれた差別

障がい福祉の仕事に初めて就いたときに出会ったAさんは、
わたしより約40歳ほど年上の方でした。
Aさんは他の入所者の方とトラブルが毎日のようにくり返され、
それを止めようとする職員に激しく向かってくることも日常茶飯事でした。

「職員だからって、えらそうにするな!」

興奮すると、Aさんは度々この言葉を職員にぶつけてきました。
「Aさんに泣かされた」と話す職員が、何人もいるほどでした。

また、Aさんは興奮されると他の利用者さんに対してとても攻撃的になり、
そのなかで「重度」の障がいのある方を侮蔑する
激しい言葉が聞かれることがありました。
 
ご本人のありのままを受け止め、
寄り添うことをわたしたちは大事にしていきます。
一方で、Aさんを受け止め、寄り添うことに、
職員たちは葛藤していました。

Aさんは、時折穏やかな笑顔をうかべ、
ていねいな言葉で他者への気づかいをされる方でした。

これが本来のAさんなのだと感じたので、
どうしてあそこまで周りを激しく攻撃し、
差別的な言葉を発することがあるのか、
最初はわかりませんでした。

しかし、Aさんの生い立ちや生育環境を知るなかで、
次第に“わかってきたこと”がありました。

Aさんが他者を激しく攻撃し、差別的な言動をくり返す理由は、
Aさん自身が、かつて周りの人に蔑まれ、激しく攻撃され、
差別されてきたからにほかなりませんでした。

今100歳近くになられるAさんの世代では、
現在よりもっと差別があたり前に横行していた時代
だったことを想像します。

差別された人はその結果、自分の存在を肯定できず、
強い劣等感にとらわれ、さいなまれます。
またそのはけ口として、「自分より弱い者」を見つけだし、
攻撃せずにはいられなくなります。

文字通り、「弱いものが、さらに弱いものを叩く」構図が生まれるのです。


人に「された」ことを、人は「する」

人は、自分が受け取ってきた
他者からのまなざし(目線)、言葉、行動と、
その奥にあるものさし(価値観)を自分のなかにとり込み、
“自分のもの”として内面の奥深くに刻み込んでいくことを思います。

そして、自分のなかに刻み込んだまなざし、言葉、行動、ものさしを、
他者に対してやがて「再現する」ようになります。
だから、差別された人は、たやすく差別する人に転化するのです。

わたしたちは、こうして差別を連鎖させ、
次世代に差別が「相続」されていきます。
差別される人も、差別する人も
ともに苦しみのなかにいて、
抜け出せなくなる。

これが、差別の怖さだと思います。

Aさんの攻撃性は、
Aさんの元々の人格というより、
“社会がつくった”ものです。

言い換えれば、障がいに対する社会の理解の度合いは、
ひとり(個人)の人格と人生に大きく影響を与えます。
だから、社会の無理解は罪深く、ときにとり返しがつかない。
Aさんとの出会いから、このことを教わりました。
 
「できる」「できない」で自分と他者を比べ、能力の優劣を序列化して、
それが人間の存在自体の優劣へとすり替わってしまう
まなざし、ものさしを、現代に生きるわたしたちは、
だれもが内面に刻み込んでいるのではないでしょうか。

これは「内なる優生思想」です。

わたしたちは、おとなになるにつれて、
〇〇ができたら入学・入社を認められる
「能力の序列化と選別」から逃れることができず、
「条件付き承認」というハードル競争を余儀なくされているからです。 
 
障がい福祉援助職は、当事者も支援者も抱えている
内面の生きづらさ(内なる優生思想)を、ともに解き放つ仕事です。

だれもが生きやすくなる「新たなものさし(価値観)」を見つける。
このことが、今社会に強く求められていると思います。

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