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軌跡を辿る【座談会】文藝春秋三十年の思ひ出《後編》

●はじめに(再掲)●
 今回は文藝春秋の思い出を振り返る座談会の収録(後編)となります。
 直木先生を始めとした様々な文士の皆様が出てくる内容の深いものとなる為、今回収めさせて頂くことに致しました。

 なるべく当時のままに収録しておりますが、一部読みやすさを優先し現在の漢字等にしているところがございます。また、同理由で改行などを入れているところがありますこと、ご了承くださいませ。
 また本来ならば注釈等を要する箇所もあるかと思いますが、今回は全体を打ち込むことに専念させて頂きました。ご容赦頂ければ幸いです。
座談会前編→こちら

●座談会・文藝春秋三十年の思ひ出●(昭和二十七年四月一日発行『文藝春秋』創刊三十年記念號より)

出席者
小林秀雄
吉川英治
川端康成
宇野浩二
永井龍男
佐佐木茂索
久米正雄(病欠)


7)巡査と菊池寛


記者「文士劇をやつたのは……?」
永井「 『父帰る』が最初だな。父親が久米正雄ね、賢一郎が川口松太郎、次男が今日出海、娘が林芙美子」
佐佐木「竹久千恵子だらう」
川端「林さんはあとでせう。二回目の時でせう」
佐佐木「それから小林君が『吃又の死』で怒鳴つたんだね」
小林「あの役は深田(久彌)がやることになつてたんだよ。さうしたら、佐佐木さんが僕にやらせたんだよ。僕はしかし名演したんだよ」
永井「君が簡単に承知したんで驚いたよ。『さういふことも、一度はやつて見ていいよ』つて、素直に引き受けたんでね」
佐佐木「川端君はおよそああいふことをしなかつたな」
小林「僕は文藝春秋社でいろいろ度胸を養成された。芝居だとか、講演だとか」
記者「吉川先生はずゐぶんお廻りになつたでせう、社の講演会に」
吉川「歩いたね。歩いたけれども、あの頃は面白いので歩いたのさ。遊びに歩いてるやうなものだつたからね。面白かつたのは、高知で菊池君が巡査と喧嘩しちやつてね。巡査とさ。こつちの車がストップを食つて、何か言つてるな、と思つてるうちに、巡査がドアを開けてね、何か怒るんだよ。何んの話だか、よく判らないんだ。
そのうち巡査が『警官に向かつて帽子をかぶつてそんな言ひ方をする奴があるか』つていつたらしいんだね。さうしたら菊池君が『お前だつて帽子をかぶつてるぢやないか』つて、巡査の帽子の鍔をひつぱつたんだね。スポツと顔が嵌つちやつた(笑声)。その時は久米氏、横光氏、大佛氏、小島氏もゐたな。みんなでなだめて、巡査とは引分けてね、それはすんだのだけど、講演会が終ると、各所に分宿したんだよ。思ひ思ひに胸にアレがあるからね。……」
永井「アレといふのは何んですか(笑声)」
吉川「君も巡査みたいだね。(笑声)僕は大佛君と得月の別館へ泊つたんだ」
宇野「アレといふのを説明しないと判らないな」
吉川「意地がわるいな。やつぱりアレですよ(笑声)」
宇野「それぢや速記しても読む人には判らない」
吉川「アレで分かるよ。(笑声)僕は大佛君と二人で泊まつたし、久米氏、横光氏、みんな思ひ思ひに、泊まつたらしいんだ」
宇野「アレのために?(笑声)」
吉川「それでね、大佛君の名誉のためにいつておくが、大佛君は品行方正の方なんだがね。ところが――言つていいかな、悪いかな」
永井「いいですよ」
吉川「ヘンな話を引受けちやつたな。(笑声)まあ夜中まで二人で呑んでゐたんだよ。僕と大佛君とでさ。あの得月といふのは大きい古い家でね。僕は土蔵部屋みたいな奥で寝たんだな。
さうしたら寝た途端に女に起こされちやつてね、『起きてくださいツ』て、只事ならない様子なんだよ。『着物もチヤンと着てください』つていふんだ。もう夜半過ぎなんだよ。あたふた、着物きて別な座敷に連れて行かれたら、大佛君がまた、これも起きてゐてね、独りぼツち、寒む寒むとしてるんだ。
どうしたつて、事情を訊いたら、けふ文藝講演をした人の泊まつた旅館へは、みんなアレが来るつていふ情報があつたつていふんですよ」
佐佐木「何か来る?」
宇野「ハツキリ言はれたらどうですか(笑声)」
吉川「ぼくや大佛みたいな、品行の良いのが、たまに大人たちの真似したからいけなかつたんだな。そのときの大佛君の顔つきツてなかつたね。夜明けまで長かつたよ。
『一体どういふわけだらう』つて女将に訊いたら、『菊池先生が喧嘩なさつたとかいふことぢやありませんか』つていふわけだ。そいつが祟つたわけだ。大佛とぼくで、明け方までサシで、やけくそに歌をうたつて明かしたが、あとで聞いたら、ほかの連中も、みんな叩き起こされたらしい。だが風声鶴唳でね、実際には来なかつたのさ。菊池君はおもしろがつたな、それを」
佐佐木「高知は一緒にいつたけれども、僕はさういふ目に遭はなかつたな。僕は催眠剤をのんでグツスリ眠つちやつた」

8)喧嘩と三上於菟吉


小林「講演旅行に出ると、翌る朝、佐佐木さんはいろんなことを調べてたよ」
佐佐木「いやなことを言ふね」
小林「朝になると『これは一人多いぢやないか。どうしたんだ』なんて。(笑声)それから三上於菟吉つていふ人ね」
佐佐木「ああ、北海道にいつたね、一緒に」
小林「菊池さんはいつでも送ってくるだらう? その時も上野まで送ってきてね、プラットホームで『君、ちよつと、ちよつと』つて呼ぶんだ。何だと思ったら、『君、喧嘩するなよ』つて言つたよ。何の事やらわからない。あとから判つたんだけども、三上さんといふのは、酔つ払ひでね、僕も酔つ払ひだから……」
宇野「あれは一種の猛者だよ、三上は」
小林「僕は知らなかつたんですよ。それからだんだんいつてね、連絡船に乗つたんですよ。僕と三上さんと、岸田國士さんがゐたな。さうしたら船のボーイが色紙を持つて来てね、岸田さんがルナアルの言葉を書いたんだ。まだ憶えてるけども、『私は嫌ひなものが嫌ひなほど、好きなものは好きではない』と書いたんだよ。ね? さうしてボーイさんに渡したんだ。これを見て三上さんが怒つちやつてね、『何んだ、この文句は。かういふ文句をボーイさんに書いてやつて、君、判るか。生意気だ』(笑声)」
吉川「それは面白い」
小林「さうして暴れ出しちやつたですよ。テーブルひつくり返しちやつてね」
吉川「どつちが?」
小林「三上さんさ。僕は観察してゐた、岸田さんはポカンとしているんだ。素面だしね、何で怒つているんだか判らない。ボーイが留めるんだけども、もう三上さん、ダメなんだ。その時僕は、成程、これだなと思つたね」
宇野「あれは僕の親友だから、お手柔らかに」
小林「僕は驚いたな」
吉川「菊池君があなたに喧嘩するなと言つたんですか」
小林「ええ、上野でね。菊池さんは三上さんのことを心配してたに違ひないな」

9)手の早かった菊池寛


吉川「だけど、それはをかしいな。菊池君自身、よく喧嘩する人でね。(笑声)僕は一度、あれは高松からの帰りかな。汽船で神戸へ来たら、すぐダンスホールへゆかうつていふんだ。や、さうだ、船の中でダンサアにぶつかつたんだ。それで下りたらすぐゆかうつていふんだよ。いつたらね、あの時分ダンスつていうのは、今みたいに公然でないんだな、社会的にね。それに僕たちがいつたら、大阪の赤新聞が写真撮りに来たんだよ。菊池君が『いやだ、いやだツ』て交はして居たら、一度よしたんですね。
ところが菊池君が踊りかけたら、パツと撮られちやつた。さうしたらね、いきなりツカツカツて出ていつて、写真機をひつたくつてね、叩きつけちやつたんだ。(笑声)それから喧嘩になりましてね。ひどい喧嘩になつたですよ。キャメラマンの友達が何かが大勢ゐてね、そとに出ろとかなんとかいふ騒ぎになつた。僕はマネージャーと二人して菊池氏を一室へ入れて隠しちやつた。
さうしたらこんどは大勢がマネージャーに食つて掛かつてくる。ホールは殺気だって騒然さ。どうなるかと思ったよ。しやうがないから、僕が代理人に立つて、なだめるやら謝まるやら努めたな。その間に、裏口から菊池氏を先きに帰しちやつたんですがね。
ああいふ乱暴な喧嘩をヒョッとやるんですよ。うん、ヒョッとやるんだね。それが小林氏に喧嘩するなつて注意するのはをかしいな(笑声)」
宇野「菊池君はそんなに喧嘩したの」
佐佐木「人をこづきまはすやうなことは、ちよいちよい見たな」
吉川「手が早いんだよ」
佐佐木「そんなことをしちや、心臓が悪いもんだからフウフウいつてるんだ(笑声)」
吉川「何しろ書生ツぽさ。そんなときは」
佐佐木「中央公論へいつて殴つたしね」
吉川「さうだ、福山君をね」
佐佐木「あの時分は水平社事件だとか何事件だとか、いろんな事件があつて、気が立つていたんだ」
宇野「あの福山といふ人は損な人で、誰でも、なんとなく殴りたくなるやうな顔の人だ(笑声)」
小林「茂索さんだつて癇癪もちだつたよ。(笑声)テーブルひつくり返したことだつてあるよ。(笑声)だから僕は茂索さんに言つてるんだよ。『あなた、酒飲みだつたら命がない人だよ』つて。もし飲んだら酒乱だ」
吉川「それから、いやないぢめ方をするね、茂索さんは。(笑声)飯坂へいつた時さ。飯坂のズット奥の突当りの旅館へ泊つたんだよ。僕があとから入つていつたら、茂索さん、何か気に入らなかつたんだな、ポンポン言つてるうちに『おかみを呼べ』と来たね。
始つたな、と思つたら、おかみを畏まらせて、可哀想にまでギュウギュウやるんだよ」
永井「理詰めでね(笑声)」
吉川「あんなむづかしいこと言つたつて判るもんかと思ふのに」
永井「茂索さんにはずゐぶん怒られましたよ」
宇野「社長批判会だね(笑声)」
吉川「君(佐佐木氏)が旅行鞄を持つて、あとから現はれると、社員が『来た、来たツ』つて言つてたもの(笑声)」
記者「どうもまづい座談会ですね」
小林「何しろ、アレしたつて、翌る朝、すぐ判つちやうんだもの。『あれだらう』つて指すんだ。こはいよ(笑声)」
佐佐木「川端君、まじめな話、してくれ(笑声)」


10)文藝講演話術の妙


川端「菊池さんが講演に連れていつてくれて、横光君と片岡君と池谷君と僕と――僕のほかはみんな死んぢやいましたけどね、その時、福島へ着いたら、着いた途端に花火をぽんぽん揚げてくれて……」
吉川「一ノ関で菊池氏と一緒に下りたら、楽隊が迎へに来てゐてね、驚いたな。これには」
川端「菊池さんはとても喜んでましたよ。花火が揚つたつていふんでね」
吉川「楽隊には照れたね。しかし話はうまかつたね、菊池氏は」
永井「うまかつたですね、実際」
吉川「その楽隊に迎へられたときは、一ノ関の女学校で話したんだよ。中尊寺へゆくんでね、時間がない。しかし女学生を集めるつていふんで、それぢや五分間づつやらうつて、固く時間を切つてやつたんだ。その五分間の話が、菊池氏はうまかつたね。実にうまかつた」
小林「僕は菊池さんくらゐ講演で感心した人はない。僕にかういうことを言つたよ。
歩いて行つて壇までいくでしよ? 菊池さんは格好がをかしいからね、壇までゆく間に、みんながクスクス笑ふさうだ。そのクスクスつていふのが聴こえなければ、けふはいけないつて思うさうだよ。菊池さんの形を見て笑ふつていふのは、相当のインテリなんだ。だからクスクスつていふのが聴こえるかどうかで、その時の話を決めるよツて僕に話したんだけど、成程と思つた」
吉川「ウィットがあつて、さうしていかにも講演は不慣れだという形でね、目をパチパチ、ショボショボさせてね。その時の五分間の話のうまさは、今でも忘れてないがね、生涯に文学を持つてゐる人と持つてゐない人とでは、こんなに幸不幸の落差があるといふ、話をしてね。
それから『あなた方はみんな実にお美しい。それは藤原文化と共に京美人の血をひいて居る土地だからだ』つて、平泉文化の話をちよつぴりして下りちやつたんだ。じつさい、会場に着いてみたら、女学生がみんなきれいなんだよ。誰もそれを感じてゐた。女学校でこんなに美人が揃つてる学校はないだらうつて。それをぼくも談話に出さうと思つてゐたし、あとで聞いたら小島君もそれを言はうと思つてたんだな。ところが菊池氏に先に言はれちやつたんでね、五分間演舌のタネを摘まれちやつて、啞然としたことがある。さういふところ、実にうまかつたな」


11)株式会社に発展


川端「佐々木さんが文藝春秋へ入つたのは、何年ですか」
佐佐木「僕は昭和四年か五年だな。有島邸の時分に僕が遊びにいつたら、たしか百圓くれてね、『君すこし手伝つてくれよ』つて言はれたな」
吉川「その頃で百圓」
佐佐木「大金ですよ。しかし、その後は呉れなかつた。貰ひにもゆかなかつたけどね。ほんたうに関係したのは大阪ビルへ来てからだな」
川端「あなたを呼ばうといふのは、菊池さんの発案でせうね」
佐佐木「無論さうですね。僕は断はるつもりでゐたら、家内に話をしたり、山本有三氏に話をしたりして、定収入があるはうがいいぢやないか、月に三日か四日、やつてくれればいいんだつていふんで入つたんだ。入つてみれば僕のやうな男は全部やるやうになつちやふからね」
永井「関口次郎氏といふ腹案もあつたといふ話は、ほんたうなんですか」
宇野「僕が聞いたのは、関口次郎氏か佐佐木茂索か、といつた時に、菊池が即座に『佐佐木だ』と言つたので、さすがに菊池君は人を見る目があるといふ話だ」
佐佐木「もう十萬以上出してたからね。選挙に立つたのが昭和三年かな。それで思はぬ金を使つて、社が行詰つて、それで株式会社にしたんだ」
永井「有島邸にゐた時は、まだ十萬は出てないんですよ。大阪ビルへいつてからです。十萬越したのは」
川端「佐佐木さんの前に、鈴木氏亨さんとか近藤經一さんとか、いろいろやつてたけれども、経営はダラシなかつたんですね」
宇野「結局、佐佐木茂索が入つたんでよくなつたわけだ。これは確実なことだ」
吉川「茂索さんの才能を認めた菊池氏が偉いんだ」


12)短刀と社内整理


川端「僕は佐佐木さんがやれるとは思ひませんでした」
吉川「さうですかね」
永井「あなた(佐佐木氏)、あの頃短刀を持つてましたね」
宇野「なぜ?」
永井「短刀つていつたつて、本物ぢやないんです。社が左前になつちやつて、そのために佐佐木さんに来てもらつた訳ですけれども、社内改革といふことになりましてね、何人かクビになつたんですよ」
宇野「社員を?」
永井「営業部と広告部の社員の一部をね。それが反抗して来るわけですよ。ある日『おい、これを見ろ』つて、佐佐木さんに短刀を見せられたことがありますよ。表面は短刀だけれども、抜けない、木の短刀でね(笑声)」
佐佐木「あの時は僕は肺炎のあとでね、まだ臥てる枕許へ、菅君だのみんなが来て、出てくれツて言はれて出たんだ。その時はほんたうの短刀を持つてた」
宇野「中身のあるやつ?」
佐佐木「さう」
宇野「どういふ気持ち? 脅すつもり?」
佐佐木「殺すとか斬るとか、そんなことぢやない。自分の恃みとしてだな」
宇野「そんなものかな」
佐佐木「猟銃を持つて暴れるんだもの」
永井「馘首組(クビになった社員)の一人が、まつ昼間猟銃を菊池さんに向けたことがありましたしね」
佐佐木「酒飲んできて、ガラスを割つてね」
宇野「それは大阪ビル時代?」
永井「ええ」
佐佐木「談判の時は菊池氏はピストルを持つて来たよ。僕は短刀を持つてね」
吉川「おかしな時代だつたね」
永井「猟銃を持つた奴が編集室に廻つて、菅ちやんを追つかけた。菅ちやんはキャシャでしたからね、逃げて廻つたさうです。それから喘息になつちやつて、半年くらゐ臥ました。(笑声)ありがたいことに、僕はその日はちやうど休んでいたんです。ふだん生意気なことを言つてましたから、ゐたら危ないところでしたよ」
宇野「昭和何年ごろ?」
佐佐木「五、六年だね」
永井「その時、菊池さんは実にチャンとしてたさうです」
宇野「拳銃を向けられても?」
永井「机の下なんかへ潜る社員もあつたが、おやぢさんだけが平然として……」
佐佐木「ヂツとしてたね。あれは大阪ビルの二階にゐた時分だな。僕は洋服のズボン吊に紐をつけて、それに担当の鞘の方を縛つていたんだ。何でそんなことをしたかといふと、二丁拳銃とか、色んなギャング映画がアメリカから来たらう? それを見たら、革のバンドをやつてて、チョッキの下からピストルを出すんだ。これはいいと思つて縛りつけたんだよ。をかしなことをしたもんだね」


13)大衆文壇の鬼才


吉川「その間、直木氏はどういふ態度でした?」
永井「直木さんは社にゐなかったでせう」
佐佐木「その時分、彼は大衆作家として、いろんなものをどんどん書いてた」
吉川「だけど、木挽町のクラブにゐたわけでせう?」
佐佐木「ゐた」
永井「直木さんが新潟へ旅行に連れてつてやらうつていふんで、横光さんと池谷さんと菅ちやんと僕、五人で途中法師温泉へ寄つたことがあります。直木さんは法師温泉が好きでしてね。着くとすぐ麻雀。あそこは古風な宿屋で、入り口を入つてすぐの階段の下に、部屋部屋へつるすランプを綺麗に掃除してズラつとかけてありました。随分古い建物ですね。
横光さんは麻雀をしないで、わきにゐるんですね。横光さんはよく予言みたいなことをしたでせう? 木挽町の文藝春秋クラブで麻雀すると、必ず『この日は誰某が勝つに決まつてる』なんて、うそぶいて見せる。その晩も池谷さんが『どうだい、横光、けふは誰が勝つんだい』つて言つたら、『いや、このランプが曲者ぢや』といふ御宣託でね。はすに座つて、ニコリともせず煙草をくゆらしてゐる。何のことだか、ちつとも判らない。
ところが、一同済んで場振りをしてみんな立上がつたんですよ。立上つた途端にガチャンと来て僕の背中へ何かがぶつかつた、ハツとして両手をうしろへやつたら、ランプを背負つちやつた。(笑声)赤ン坊をおぶつたやうな恰好なんです。灯油がこぼれなかつたから助かったんですがね。こぼれたら、あの旅館は火事になつただらうし、僕も燃えちやつてるんですよ。なるほど、ランプは曲者だと、みんなで大笑ひしたんですが、今考へるとゾツとします。それに一緒にいつた人はみんな故人で、僕だけですよ、五人の中で残つてるのは」
川端「法師温泉は好きでしたね。誰でも連れてゆきたがつてね」
佐佐木「僕は雪の中を歩かされていつた」
川端「私が池谷くんとつれて行つてもらつた時は、直木さんは新聞を四つ書いてましたよ」
吉川「四つ?」
川端「ええ。夜半の三時頃まで僕と碁を打つてましたがね、それから新聞を書くつていふから、僕は寝て、翌る朝十時頃ですかね、僕が目をさましたら、直木さんは机に座つてゐて、あれから二日分づつ四種類書いたつていふんです。(笑声)それからもう一つ『郊外』といふ雑誌の連載を書かなきやならないんだけれども、前の分を家に置き忘れて来て、人物が判らなくなつちやつたから帰るつていふんでね、東京へ帰つたことがありました」
佐佐木「不思議な男だつたね」
吉川「鬼才といふのはあの人のことだね」


14)『オール讀物』の由来


吉川「 『オール讀物』は大分あとでせう?」
佐佐木「昭和六、七年だらう」
永井「あれは初め増刊の形で出たんでね」
吉川「ああ、さうか。はなは毎月ぢやなかつたんだ。さうだ、さうだ」
佐佐木「増刊で二冊くらゐ出したんだ」
永井「月刊になつてから菅さんがやつたと思ひます。『銭形平次』は菅さんと野村(胡堂)さんの話合ひで始めたんです。菅さんといふ人も名物男でね」
吉川「さうでしたね。オールの三號か四號頃、『御鷹』を書かされたとき、熱海でほかの社の物を書いている中へ割り込んで来て、あれを正味四時間で書かせられたことがある」
記者「川端さんは横光さんと菊池先生の所でお知合ひになつたんですか」
川端「さうです。僕は学生の時ですね。向うはもう学校はやめてたでせうね。菊池さんの所で初めて会つて、恵知勝といふ春日町にあつた牛肉屋で、二人で御馳走になつたですよ。ところが、横光君、どうしても鋤焼を食はないんです。菊池さんが『君、食へよ。食へよ』つて言はれたけれども、どうしても食はないんです。しかし、横光君は菊池さんに金を無心しなかつたやうですね。菊池さんのはうから呉れたことはあるでせうけどね。無心しなかつたのは彼だけぢやないですか」


15)ホルモン剤あれこれ


小林「菊池さんていふ人は合理的な人だつたね。理由の立たない金は絶対に出さなかつたな」
吉川「お互ひに馬を持つてて、厩舎へゆくと、菊池くんは気前よく騎手たちにチップをやるんだけどね、あとになると『キミ、半分出せよ』つて(笑声)」
宇野「菊池はよくワリカンを主張した」
佐佐木「そんなことはない。一座の中で自分が一番目上だといふ時には出したな。目上の場合が多いから結局いつも払つてゐたわけだ」
吉川「地方へゆくとよく女たちに、『東京へ出といでよ』つて言ふんだ。悪い癖だよ。冗談に言ふんだけども、向うは間に受けちやつて来るんだね。金山から僕の所によく早朝に電話をかけて来て『君、来ちやつたよ。四、五日、君、つき合つてくれよ』なんていふんだ。高松だの名古屋だのから度々来たな。僕はまた晋(吉川晋氏)に押し付けちやつてね。芝居を見せたり何かして帰したけど、それで晋はよほど女に慣れたらしい」
記者「久米さんと一緒のことはありませんでしたか」
吉川「ありましたね」
記者「面白い話はありませんか」
永井「アレばかりだらう(笑声)」
吉川「アレだね。汽車の中からホルモン剤をのみだすんだ(笑声)」
小林「菊池さんも好きだつたね、ヘンな薬が」
宇野「僕は失敗した」
吉川「失敗したつて、どういふんです」
宇野「中毒しちやつた(笑声)」
小林「のみ過ぎだね」
吉川「ホルモン中毒といふのがあるのかね」
宇野「菊池君も芥川君も持つてたな」
小林「だけど、宇野さんは強かつたんでせう(笑声)」
宇野「つい菊池に騙されて買つたんだ(笑声)」
吉川「しかし宇野さんの小説、文字の使ひ方など、あれを見ると、いかにも強さうだな」
永井「強さうですね」
吉川「粘着力を感じるな」
記者「それではこのへんで……」

追記

***
【編集部】本號校了の日に、久米正雄氏の逝去の報に接しました。菊池・久米・芥川と称せされ、文壇の王座を占めた昔から、本誌とは切つても切れぬ関係にある氏の長逝は誠にさびしい極みであります。ここに謹しんで哀悼の意を表します。

《高田保を弔ふ》
春の雪 ひとごとならず 消えていく 
               久米正雄
                                                                 

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