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夢想と現実の狭間で今日も

宝くじの当選金の使い道について事細かにメモ帳に記したのは、多分、二年くらい前のこと。

何等が当選してもその時に浮かれすぎて誤った方向へ行かないように、羽目を外しすぎないように、自分のやりたいことができるようにと計画をしっかりたてていた。

宝くじを購入すると決めた時、なんだか「当たりそうな予感」に包まれてわくわくそわそわした。ひょっとしたら、ひょっとするかも。購入枚数はそれほど多くない。でも、私にとってはひょっとしたらひょっとするかもしれないことにお金を出すのは滅多にないこともあって期待に胸が膨らみ、幼少期からの年季の入った夢想力で夢はどんどん広がっていった。

最近会った学生時代からの友人にそのメモの内容を話したところ、「マンションが買いたいことはよーくわかった」と言われ、そりゃあこんなご時世だし独り身なんだもの、マンションが欲しい。欲しすぎる、という話になった。堅実(?)な私は、宝くじが高額当選した時の使い道にちゃんと固定資産税や修繕費などのことも書いていた。本気度だけはそこから十分に感じ取ることができる。まぁ、今までに宝くじで当たった最高額は三千円なんだけれども。

現実の私はといえば、なるべく週に1回は家計簿と向き合い、その週の自分のお金の使い方について振り返るようにしている。 

推しのいる生活をしていると、予想外の出費が多くなる。オタクで趣味が二次創作であれば、そこから更に出費は増える。

私の稼ぎはそう多い方ではなく、自分のことはすべて自分で面倒を見なければならないので、その辺りもしっかり予算と計画をもって日々を過ごさなければならない。要するに、締めるところは締めなければならないのだ。

貯金をある程度しては引っ越しやらスクールやら旅行やら推しごとの遠征やらに繰り返し使ってきた私は、いっ時の間に少々貯めることはできても、それを維持できない人間だ。

心を入れ替えて少しずつまた蓄えを作り、転職で収入アップしても、その会社が合わずに心と体を壊して貯金が減り、結果収入も減ってしまうという経験もした。人生、がんばろうと思ってテコ入れしても、なかなか思い通りにはいきやしない。それでも踏ん張ってリトライしてまた今日を迎えている私たちは、それだけでもう拍手ものだ。生きてるだけでえらい。

そう、何が言いたいかというと、宝くじでも当たらない限り、物欲と上手に付き合い、時には欲しいものや行きたい場所へ行くことを諦めることも必要だってことだ。

オタクをしている私は、そこでいつも葛藤する。SNSを見ていると、私が見送ったもの、諦めたものを、みんなが軽々と手に入れているように見えてしまうからだ。実際のところはオタ活のために他のところの予算を工夫しているのかもしれないし、ものすごく頑張って収入アップをして好きなことにお金をかけられる人なのかもしれない。中には実家が太かったり嫁ぎ先が太い人もいるんだろう。SNSで見えないところまではわからない。そんなことは百も承知だけど、いいな、と思ってしまうのは事実だ。そして「この人はどんな生活をしているんだろう?」「お仕事は何をしてるんだろう?」「いったい何者!?」と巡らせてしまうわけだが、それを知っていったい何になるというのだ……という気持ちもあったりする。よそはよそ、うちはうちだからだ。

羨ましい気持ちがむくむくと育ち始めたところで、私はSNSをそっと閉じる。そして、数日見ないようにする。推しごとの取捨選択を現実と向き合いながら行う。

あのグッズは欲しい、でもこっちは見送ろう。

こっちのイベントには行こう。でも、あっちは遠征になるし本当はとても行きたいけれど、今回は我慢しよう。

そんな決断を毎日しながら、過ごしている。これは何もオタクに限ったことじゃない。日々、自分の懐具合と相談しながらみんなきっと取捨選択している。SNSでリッチに見えるあの子も、推しごとを精力的にしているあの子も、多分。

でも、思ってしまうのだ。

「宝くじ、当たんないかなぁ」と。

別に宝くじじゃなくてもいい。臨時収入があったらそれだけで嬉しい。

この前、久々に着たアウターのポケットから千円札が出てきた。ちょうど玄関を出てエレベーターが到着するのを待っている時だった。私はその日、「今週は電子コミック買っちゃったし食費も予算オーバー気味だから気をつけないと……」と思いながら食料品の買い出しへスーパーに向かうところだった。だから、千円札がひょっこり現れてくれてそれはもうめちゃくちゃに喜んだ。あなた、こんなところにいたのね!! 会えてうれしい!! ありがとう!!

ごきげんになった私は、その日スーパーでちょっといいアイスを買った。カゴの中には豆腐と納豆と割引きシールの貼られたお肉や野菜が入っていたと記憶している。

こんな毎日だけど、そこそこ楽しく暮らしている。それだけでなんかもう十分なのでは、なんて気持ちもある。私は独身だしこれといった大きな夢もないので、こんなことをいうとよろしくないのかもしれないが、別に長生きしなくてもいい。今の目標は45歳までとりあえず生きてみる、だからだ。これだって、ちょっと前の私からしたら前向きな思考なのだ。そして途中経過の今の所感としては、45歳のその先もあるだろうから、蓄えはあるにこしたことはない、だ。生きる気満々。

宝くじが当たったら欲しいものも行きたい場所もたくさんあるけれど、まずは手の届く範囲、無理のない範囲で自分を満たしながら、本当に欲しいもののために自制して生きていく。

折り合いをつけながら、それでも楽しく日々を重ねていけたなら、結構それって幸せなんじゃないだろうか。なんて考えている夜更けである。

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