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偉ぶらないとは。

「最近、ちょっと偉そうに見える」

妻と先日喧嘩をした時に、ふと言われた言葉だ。

喧嘩の直接の原因は、ぼくである。ぼくが妻の発したごく些細な言動に対して、感情的になってしまって、イラッとした言葉を返したら、そのまま口論になってしまった。

振り返ってみると、ごく些細な言動に対して、なんでそんなに怒ったのか?、今考えれば大人気ないと思うし、反省している。

確か買ったばかりの腕時計(そこまで高価ではない)を失くして探してる最中だったのもあって、虫の居所が悪かったのも怒ってしまった原因かもしれない。

妻の言い方と言う(厳密に言えば、指摘だ)タイミングが、気に入らなくて、どこかバカにされたと感じてしまって、妻を責めた。

言った本人はバカにするつもりで言ったわけではなく、ぼくの行動に対して、ツッコミレベルで言ったつもりらしいのだけれど、ぼくはそう受け止められなかった。

彼女としては、笑い飛ばす感じで返してくれればよかったらしい。ぼくに冗談が通じなかったとも言える。

口論後、冷静になってお互いの言い分の意図を一度は理解はしたものの、なんか釈然としない感じだった。お互いに言いたいことを言い合う途中に、妻に言われた一言が、ズシンときた。


最近、ちょっと偉そうに見える


なんでその言葉が出てきたかの直接の原因ははっきり覚えていないのだけれど、言われたその言葉が、口論中終始気になって頭から離れなかった。

仲直りをして、二人が落ち着きを取り戻した後も、この言葉が気になって仕方がなかった。

相手には、そう見られてしまっているのだ。

まずい、これは気をつけないといけないなと正直に思った。


じぶんの言動に対して、傲慢で偉そうな態度、言い方をしていないか、たまに振り返る時がある。

そういう態度を時々してしまっているんじゃないかなと、あとあと考えたりりするし、知らず知らず相手を傷つけ、嫌な気持ちをさせてしまっているんじゃないかと不安になる。

それは、嫌われたくないから。傲慢の裏返しでもある。


最近、感じたこと、思ったこと、考えたことを素直に言うようにしている。それは、昔から相手の顔色を伺ったり、相手に嫌われないようにするために、言うことを躊躇ったり、我慢したり、ごまかしたりしてきた。

ただ、じぶんがそういう行動をすることに違和感を感じるようになって、近頃は止めるようにした(全部ではないけど) 

そうしているうちに、相手の言う発言についても、だんだんこれは本心で言ってるのか言ってないのかを、気にするというより、嘘っぽい発言だなぁとか、本心だなぁとか、感じるようになった。

嘘っぽいなぁと思った瞬間に、相手に対して、冷めているじぶんがたまにいる(ただし、相手がパフォーマンスでわざとやってる、配慮してる、考えてやってる場合は除く)

妙にじぶんの周りに起こる出来事や刺激に対して、過敏に反応することが増えた気もする。

このプロセス続けてるうちに、生まれるじぶんの言動や態度に、傲慢さ出てきているのではないかと考えている。素直な感情に対して、理性が少し追いついていないのではないだろうか。

感情に対して、感じたこと、思ったこと、考えたことを素直にアウトプットする時に、無意識に働かせている「理性」というものをあらためて意識的に添える必要があるなと思った。

それは本当に言いたいことを隠蔽するということではなくて、どういう言い方や態度をするかを考えることだ。

どんなに良いアイデアや意見を考えて、相手に伝えようとしても、言い方や態度に少しでも、偉そうで傲慢な雰囲気を相手が感じた瞬間に人は聞く耳を持たなくなるし、反発をする。マウントをとろうとしたり、承認欲求を相手に強く求めた場合も同様だ。

また、仮に内心は相手の行動や考えに対して、「どうかなこれは?」と心によぎったとして、やっぱバカにしちゃいけないと思う。ましてや言い方や態度に出てはダメだと思う。

なぜなら、ぼくがそれをされたら、嫌と思うからだ。

少しでもバカにしてしまう感情が心によぎってしまうことってどうしても起こる時は起こる。でも、その感情を無理に偽ろうとするのはどうかなとも思う(本当ならそういう感情が生まれないのが一番いいのだが)

だから、その生まれた感情自体は素直にまず認めるべきだと思う。

でも、それだと相手とのコミュニケーションは崩壊してしまう。だから、よぎった傲慢な考えを、別の言い方に変換して、どう伝えるか?

これは相手への思いやりや想像力をどう働かせるかの話だ。

工夫であり、相手への敬意、誠意だと考える。

欺瞞に満ちているかもしれないけど、傲慢な感情が起こってしまったことに対して、安易にその生まれた感情自体を否定してなかったものにするのも乱暴な気がする。かといって、肯定するわけでもない。


少しでもましな人間になりたいと思う。


このましな人間になるには、「理性」が必要だ。いろんな要因は考えられるが、傲慢な態度をとる時は、決まってじぶんが調子にのっている時か精神・身体ともに疲れている時が考えられる。

だから、調子にのっている時は、ぼくは今調子にのっていないか?と問いかける。

精神・身体ともに疲れている時は、睡眠時間は足りているか?、ご飯を食べているか?、ヒトリの時間が取れているか?など自己メンテナンスが必要だ。

また、あまりにも強く自我を主張するあまり、周りがちゃんと見れていないのではないか?チェックできる環境が必要だ。それは冷静にじぶんを指摘してくれる信頼できるじぶん以外の存在がいてくれるのが望ましい。

あとは、相手の言葉や態度への受け取り方の工夫も必要なのだと思う。腹を立てることで、傲慢で偉そうな態度になりがちである。

「こういう言い方、態度をされて腹が立った」とよく言われることがあったとして、案外腹を立てさせてしまった本人は気づいていない。

腹を立てた側も考えすぎ気にしずぎということがある。いずれも主観的な部分が多い。

そういう時、「理性」が必要であり、客観的に相手の行動を洞察することを心がけるのが良いなと思うが、なかなかうまくできない。

変に相手に期待しすぎないということも腹を立てない心がけのひとつだと思う(ただし信頼するとは違う意味合い)


妻に言われたことで、今回いろいろ考えた。

ひとつポジティブに言えることは、素直にぼくに対して、嫌なこと、言いにくいこと、思ったことを言ってくれる妻がいて、本当に良かったと思うし、感謝している(でも、言われた直後はやっぱ腹が立ってしまうのだけれど)


※※※

読んでくれてありがとうございます。

うまく今回は言いたいことが全て言語化できて推敲できていないと思われるので、またアップデートすると思います。

#傲慢 #コルクラボ #さらけ出し #感情

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