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10. 伊丹十三 ヨーロッパ退屈日記 ポケット文春

伊丹十三をもっと好きになれたらと思う。伊丹十三の本自体はそれほど多くなく、いい表情をした本ばかりで集め甲斐がある。また、話題が多岐に渡り、対談本や映画本もあるから横への広がりがあり、広がるにつれての読み甲斐があるように思える。雑誌モノンクルもあり、雑誌好きの心も満たしてくれる。それでも一向に伊丹十三に関心が向かない。文庫本になった著作は一応は目を通し、難関のひとつと思われる「フランス料理を私と」も奇跡の1,000円で掘り出し、伊丹ファンの資格は得ていると思うのだが、結局は全て手放し、本棚に残るのはこのポケット文春版の「ヨーロッパ退屈日記」と、考える人の伊丹十三特集だけになってしまった。
それでもこの本は大好きで、初版だけ伊丹一三名義になっている点や、基本的に大衆小説のシリーズであるポケット文春から発行された点、自身の手書き明朝体とイラストで構成された本当にいいデザインのカバーに宣伝文のような二行が入っている点など、手元に持っておきたい本になっている。これは蕨駅のなごみ堂で見つけて買ったが、先の「フランス料理を私と」も別の日にこの店で見つけた。ポケット文春版はあまり見かけないが、たまに見つけたら持っているのに欲しくなるほどだ。
なぜ伊丹十三を好きになりたいかというと、自分が追いかけている人がみんな伊丹十三ファンだからだろう。もともと読むきっかけとなったのは、渋谷公園通りのカフェアプレミディが発行した「公園通りみぎひだり」のなかで触れられていたからか、松浦弥太郎さんの伊丹十三式のスパゲティをつくるエッセイを読んだからかのどちらかだ。もしくはそれらが同時期だったため、読んでみようという気持ちが高まったのだろう。それらを繋ぐのは岡本仁周辺ということで、多少後追いにはなったが、その周辺に夢中になったのは思い返せばいい時代だった。
結局、自分にとって読書の幅を広げていくのは、そうやって好きな人が紹介してくれる好きな人や物事を知っていくしかない。岡本仁さんからは原田治さんを知り、原田さんからは小村雪岱を知った。また既に知っていることも、好きな人が触れることで再発見をしたり、より好きになったりする。思えばそのように、僕が好きな人は、好きなものを公言したり、紹介したりする人が多いように思える。今までそうやって、たくさんの影響を受けてきたような気がする。
その中でも大きな影響を与えてくれたのは元考える人編集長の松家仁之さんで、雑誌の特集やコラム、ウェブでの編集長便りで、今まで知らなかったことを多く知った。松家さんが紹介していると、それだけで読む価値があるように思えてつい手に取ってしまう。その松家さんが新潮社をやめてからのライフワークのようになっているのが伊丹十三関連で、先の伊丹十三特集の考える人はその始まりのような気がして手放せずにいる。ここ何年かでも、自身の出版社つるとはなから「ぼくの伯父さん」が出て、岩波書店から選者として関わった伊丹十三選集が発行された。松家さん関連の本は雑誌を除くとそれほど多くないため、この二冊の発売を喜んだが、結局二冊とも買うことができなかった。パラパラと拾い読みして、再発見するというよりも、やっぱり読めないということを再確認してしまったからだ。それはもちろん興味が狭い自分のせいだけれど。
自分の興味を取り巻く人の相関図のようなものを本好きなら誰しも想い描いているだろうと思う。その相関図の中で、重要な人からの矢印がいくつも向いてるのが伊丹十三なのだが、そこが空洞になってしまい、他に矢印を伸ばすことができずにいる。興味を持つことができれば、色々な方向に矢印が増えるのだろうけれど無理に増やすこともできないため、今はじりじりと外堀を埋めているのがいいのかも知れない。

#本 #古本 #伊丹十三 #松浦弥太郎 #岡本仁 #原田治 #小村雪岱 #松家仁之

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