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29. 飯島耕一 ゴヤのファースト•ネームは 青土社

秋にはニール・ヤングのHarvest Moonを聴きたくなる。ニール・ヤングははっぴいえんどや曽我部恵一さんから知り、バッファロー・スプリングフィールドから順番に聴いていきTransあたりで脱落してしまったが、Harvest Moonだけは別格で、何度でも聴くことができる特別な一枚になっている。またこのライブアルバムであるDreamin’ Man Live ‘92は自分のなかでは一対のもので、曲順はこのアルバムの方が良いようにも感じる。ニール・ヤングのライブアルバムを聴き始めるときりがなく、あれもこれも聴きたくなり、ここ最近は今までに出た過去のライブアルバムばかり聴いている。
また最近文庫化された津野海太郎「最後の読書」を読み須賀敦子へと移っていき、触れられていた須賀敦子全集の年譜の巻を図書館で借りたり、持っている河出文庫版の巻を拾い読みしたりして、須賀敦子という作家を全体的に眺めるような読み方をしていた。
ニール・ヤングと須賀敦子はもちろん関係がないが、二人の足跡を辿っていると、二人にとっての現在と過去について考えていた。それは、吉田健一からの繋がりで読んだドナルド・キーン「日本の文学」で触れられていた松尾芭蕉へと興味が行き、芭蕉の時間の捉え方について思い至ったことや、そもそも吉田健一も時間について考えたくなる作家だと感じたことで、より考えたくなるような気持ちになった。
そのきっかけは、新潮選書から出た「謎ときサリンジャー 自殺したのは誰なのか」を読んだことで、そのなかでは、シーモア・バディ・テディは一方通行の川のような一次元の時間軸ではなく、海のような二次元の時間軸にいて、過去現在未来が同時に存在し、だからバナナフィッシュでのその瞬間について予言することができたし、その後も同時に存在しているというようなことを述べていたが、それは、やがて死ぬけしきは見えず蝉の声、という芭蕉の句についての考察から、そのような論に展開されていくことに驚き感心したからだった。
この句は普通、蝉のように世の無常さを忘れることなかれと教訓的に捉えられるようだが、それは人間の思考の枠で考えるからであって、蝉は無常さとは関係なく永遠の生を生きているという鈴木大拙の読みを紹介し、そこから登場人物の通常の時間感覚とは違う、一方通行や不可逆ではない描かれ方を見出すのだが、たしかに本はそういうことを可能にするように思える。
例えば須賀敦子さんは「ミラノ 霧の風景」から始まる一連の著作で、書いている地点から振り返った過去を現在として描き、書かれている全てを等価のものとして過去を自由に行き来する。それで一見、読んでいる側にはその時間軸や流れを把握することが難しいように思えるが、霧の中に浮かぶ風景のようにその奥行きがとてつもなく深く感じられたものだった。吉田健一も似たような過去の扱い方をする印象があり、特に晩年ではどこが現在地なのかわからなくなるような過去と現在の等価性があった。
一方でニール・ヤングは過去のライブ音源を頻繁に出すけれど現在から振り返ることはなく、どの作品も現在、もしくはかつての現在というかたちで並列に提示するという、須賀敦子、吉田健一とアプローチは違うものの、現在と過去が混在する感覚がある。
この飯島耕一「ゴヤのファースト・ネームは」を挙げたのは、時間について考えるといつも、

時間は大きく弧を描いて
流れるべきだ
シェラネバダ山脈のあらわれるのを
待っている汽車の窓辺で、
時間はまさしく
そのように流れた。

という詩の一節を思い出すからだった。この本は松家仁之さんが雑誌考える人の編集長だったころのメールマガジンを読んで知り、松家さんはタイトルである、

ゴヤのファースト・ネームが知りたくて
隣の部屋まで駆けていた。

という箇所に触れていたが、その後に続く先の一節に惹かれ、そのまま自分の時間観といったところにまで染み込んでいる。
作家にとって現在と過去は自由に行き来できるものだろうけれど、それは読者にとっても同じことで、特に古本に触れていると、その本が過去から現在へ運ばれてきたという一方向性だけではなく、現在の自分が過去に下っていくような感覚になることがある。
自分にとっての現在の世界は、大切な人たちが亡くなっていき、また大切な人たちはもう亡くなっている世界だった。それでも、そうではない世界にいつでも行くことはできて、そしてそうやって現在から過去へ向かうのは直線ではなくてもいい。今という場所から大きく弧を描いて、到達する場所へ至るまでの風景を横目に見ながら飛び、それからゆっくりと着地すればいい。僕のなかでの古本の時間は、まさしくそのように流れている。

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