今月のおすすめ本リスト〜2021年8月編
今月読んだものの中から、オススメの5冊の本を紹介したいと思います。
それぞれの本のオススメの理由と、「どんな読み方がオススメか」も書いてみています。
1. 『照葉樹林文化』上山春平 1969
ざっくりいうと、植生の観点から気候と文化の関係性について論じている本です。少し専門的ではあるけれどそこまで難しくないし読みやすいと思う。
この本は、雨の日に読むのがおすすめです。外に出たくなく、雨の音が気持ちを憂鬱にさせるような日に読むのが良い気がします。なぜか。
当たり前だけど、僕らの暮らしというのは風土と関わっているわけですね。雨とか気候とか、そういうものの中で風土は醸成される。でもその風土と文化の関係性って、案外具体的にはイメージしづらいですね。
本書の面白いところは、「植生」という軸を設定しながら、風土と文化の関係性についてクリアに論じてくれるところです。
タイトルの「照葉樹林文化」とは、照葉樹が生い茂る日本のような山の多い場所で育つ文化です。日本では山の薄暗い中で山に抱かれて暮らす「山棲み」的な文化が育ったけれど、稲作文化が育つにつれて平野が生活の場となる。その中でかつての文化は解体されてきたのではないか。そんな話から始まります。
なんとなく湿度とか温度とかって風土の中で重要そうじゃないですか。本書もそんな話から始まります。
例えば和辻哲郎の『風土』における「モンスーン地帯」「砂漠」「牧場」という三分法は乾湿度を軸とした気候区分と捉えられる。「湿度」という軸に加え「温度」という軸を加えた気候区分についても論じられる。
さらにそれらを整理する視点として「植生」という軸を設定した区分がある。この「植生」という軸を添えながら論じるのが面白いな、と思いました。
植物の育ち方という観点では、常緑か否かといった問題に加え、葉の大きさなんかも問題になります。パッと思いつく特徴的なのは熱帯に生えてるようなやつですね。そういうのは地域ごとに色々あるんだけど、湿度や常緑か否かといった問題によって、葉の大きさや厚みが決まってくる。そのことによって人の暮らす環境が変わってくる。暗さとかも変わる。個人的には、葉の形状やサイズは形態的な文化とも関連する気がするし、料理なんかの文化ともかなり関わる気がします。
さらに僕が面白いなと思ったのは、「植生」の区分にはさらに「土壌の質」という軸も含まれてくるところです。
植物の感じている乾湿度というのは土の保持する水分量でもあるために、土壌が植生に影響を与える。そうした人間があんまり実感しない要素も、風土として文化に影響しているわけです。
どうしてこの本を雨の日に読むのがおすすめかというと、憂鬱なだけの雨に対してすこし想像が膨らみ、分かり合える気がするからです。
雨の日にこの本を読んでいると、葉についた水滴や雨の強さを思いながら、雨と植生の関係に想像がおよびます。やがて風土と文化についての妄想が広がります。
外に降る憂鬱な雨も僕らの文化を育ててきた要因なのだなあ、とちょっと愛着すら感じられるようになる。そこがいいところだと思います。
同時に遠い国の雨についても思いを馳せてもいいかもしれない。日本の雨と異国で降る雨は、違う性質を持ち違う文化を育てる。
世界的に気象が変わってきたと言われます。また都市の中で緑の在り方は変わってきた。その中でどんな文化が育つのか。そのためにはどんな分析軸を据えると良いのか。いろんなことを考えさせられる本です。
なお、少し古い本なので、学術的な観点からいってどうなのかはあまり知りません。読んでて面白いよ、という話です。序盤の研究プロジェクトの経緯については少し冗長なので読み飛ばしましょう。
2. 『方丈記私記』 堀田善衛 1988
2冊目。この本は簡単にいうと、「方丈記はよくわからんかったが、戦争を経験すると鴨長明の生きてきた壮絶な時代がわかり始めた。その背景理解のなかで読むとテキストの奥深さがわかってきたぞ!」という本です。
戦争体験を通して長明の生活背景が想像できるようになった結果、書かれている内容が実はふわっとした話ではなく、時代の中で生きた男の、切実な実感に満ちたルポに近いものなのだということがよくわかってくる。
正直、方丈記とかあまり日常的に読みたくないじゃないですか。でもまあこれなら読んでも良いかなという気になるし、何より、その本が書かれた当時の時代の雰囲気への想像を通してテキストを読み解いていくというのが楽しいです。
少し変なおすすめだけれど、一日休みがあって、何もしたくないような日に読むのがいいと思います。何かやろうかなあというやる気はほんのすこーしあるけれど、積極的には頑張りたくないような日に読むのがいい。できるだけ一気に読むのが良いと思う。
少しネタバレになるけれど、僕は後半の展開が結構面白いな、と思いました。
最後では、当時の朝廷の権力のあり方と戦時中の日本軍の権力のあり方の相似を指摘しながら論が進みます。
かつての朝廷も日本軍も存続することだけが自己目的化していたのではないか、と。良い政治を行えるとか民衆の暮らしがどうとかということよりも、残っていくということだけが目的になっている。そうした中で民衆はどう反応してきたか。
方丈記の軸にある概念は無常観であるとよく言われるんですが、無常観とは実はこうした権力の自己目的な存続と民衆の葛藤の中で自然と醸成されてくる、葛藤の調和のための概念ではないか。そんなふうに書かれます。
歴史的な本から学ぶことって結構イメージしづらいし大変なのだけど、それを橋渡ししてくれるような本です。オススメ。
3. 『バッハ《無伴奏チェロ組曲》カザルス解釈版』 ルドルフ・フォン・ドーベル 2009
急に楽譜を入れてみました。
これは簡単にいうと、チェロの楽譜とその解釈がのってる本です。なんでこれ?と思われるかもしれません。読んでくれている方の多くはチェロを別に弾けないだろうし、僕も別にチェロを弾けるわけでもありません。
ただ、この本が面白いのは、ストーリーだとか文章だとか構成だとかを考える人間にとって示唆的な視点が詰まっているところです。そういう読み物としてオススメです。
ちなみに、無伴奏チェロ組曲はこれです。カザルスの演奏。
バッハの無伴奏チェロ組曲はかつては一般の人は知らない練習曲のようなものだったらしい。それをカザルスという偉大な演奏家が弾いて、一躍有名になり誰もが弾く曲になったらしいです。
で、その偉大なカザルス先生はどう楽譜を解釈していたのか?みたいなことが書かれているわけです。
文章って多分、どこかで音楽と近いんじゃないか、と思います。どんな類いの文章であれ。サビの文章を際立たせるために前に少し落とすところを入れてみたり、エピソードで長く書いてしまったら次の章で少しテンポを上げたり。構成はたいていそういうものかもしれないけど。
楽譜で書かれていることを、どう聞き手に感じられるか想像しながら解釈し表現として構想していく。その具体的なプロセスについて丁寧に書かれているので、音楽の構成の話と文章なんかの構成の話をなんとなくリンクさせながら読んでいけるのが楽しいです。レポートを書いているときなんかに良いんじゃないかと思う。気晴らしとしてパラパラと。
どこをどんなふうに強調するといいだろうか、とか。そんな風に読むと楽しいです。
4. 『方法序説』 デカルト 1997
ふと「なんか哲学書が読みたいな」ってときあるじゃないですか。カッコつけたいとき。よくわからないけど難解な書物を読んでみたいとき。そういう気分のときにオススメです。
恥ずかしながら僕あまりちゃんと読んだことなくて、ちゃんと読んでみたんですけど、結構面白かったです。全く専門的なことわからないのだけど、僕にとってはデカルトの態度がすごく面白かったです。
なんというか、ずっとやたら低姿勢なんですよ。それが面白い。
僕なりに初めの方を超意訳してみます。こんな感じの文章から始まります。自分自身の推論の質について。
「僕はね、自分が頭がいいなんて思ってやしませんよ。そりゃあね、僕だって、自分が頭がいいだなんて自惚れたことはありましたよ。そりゃ少しはそういう時期はあるもんです。でも学問の世界にいてよくわかったんです。自分が無知だということをよくわかったんです。だから僕は自分が正しいなんて思えやしないんです・・・」
なんか、ずっとそんな調子です。哲学書って居丈高に語ってくるイメージあるけど、あんまそんな感じじゃないですね。
「我思う、ゆえに我あり」というのが有名だけど、その部分もちょっと超意訳してみたいと思います。超勝手な解釈ですが。
思うに、世の中の何が正しいかなんて誰にも分かりゃしません。そうじゃないですか?僕はそう思うなあ。でも神様はきっと正しいんじゃないですかね。なんせ神様なんですから。僕はそう思うなあ。どうです、そう思いませんか?・・・
先ほども話しましたけど、僕は自分が賢くないってことはよおくわかったんで。だから自分がかんがえた推論とか、そういうものもどうも怪しく思えるんです。そういうものは正しいと思ってやってきたんだけど、どうも自信がもてなくなっているんです。僕が考えていること、誰かが考えていることの中に正しいことなんてあるのでしょうか。
ひとつここで、僕らが考えたことは全部間違っている、と考えてみるのはどうでしょう。僕らはそんなに賢くないわけですからね、すべて間違っちゃってるとしてみましょう。
だとしてもね、だとしても、そうした真か偽かを判断しようとしている僕らの思考というのは、やっぱりきちんとそこに存在していると思いませんか?
仮に僕らの考えていることが全て間違っているとしても、考えている僕らが存在しているということ自体は、認めざるを得ないんじゃないかと思うんです。そのことだけは真だと思いませんか?
ええ、我は思ってはいるわけで。そこからは我は存在していると読み取れるんじゃないでしょうか。そんなふうに考えてみるのはどうでしょう・・・それだけはきっと正しいんじゃないかと思うのですよ。僕は、それを哲学の第一原理と呼んでみたいです。あ、すみません、僕なんかが。でも実際のところどう思います?きっと大丈夫ですよね、それは正しいですよね、きっと。
ま、デカルトは終始こんな調子です。専門的にどうかは知りません。僕の解釈です。
このデカルトの推論自体にも、色々と変なところはあると思います。例えば世の中の分析に「正誤」があるという前提は、僕は変だと思います。正誤があるというのは、世の中に模範回答としての絶対的な真理が存在する、ということだと思うので。
そういう希望的な前提が、科学の進歩を支えたのかもしれません。でも世の中に絶対的な正解というものが存在する、というのもまた疑ってもいいことだと思います。
そういう意味ではツッコミどころもたくさんあるし、だからこそ論じられてきたのだろうけれど、読み物としても普通に面白いと思いました。専門的なことは全くわからないけれど。
ちなみに「我思う、ゆえに我あり」はCogito ergo sum(コギト エルゴ サム)とよく言われるけど、これは方法序説でない著作部分の第3者訳らしいですね。方法序説部分ではどうも「Ego cogito, ergo sum sivo existo」という訳らしい。
デカルトはフランス人なので実は『方法序説』の原文はラテン語ではなくてフランス語です。原文では「Je pense donc je suis」かな。フランス人がデカルトについて語っている動画からヒアリングしてみると「ジュ ポンス ドン ジュ スィ」みたいな感じに聞こえる。だからなんだってこともありませんが。
5. 『妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方』 暦本純一, 2021
最後です。
著者の暦本先生は東大の先生、不思議なプロジェクトをいくつも進めてきた方です。HCIという分野があるんですが(Human Computer Interface)、そういう分野の権威です。
その方が、「プロジェクトってどんなふうに発想して実行していけばいいの?」について語った本。面白いです。
個人的には、前半よりも後半の過去の研究の紹介パートが面白いです。研究系の本って、壮大なことを前半で語ってたのに後半の具体事例の紹介がやたら矮小化して急につまらなくなることが多いなって思うんですが、この本は逆です。後半の方が面白い。
淡々と研究プロセスについて説明している感じなのに、「いやいやいや(笑)」みたいな発想とか実験とかが多くて思わず笑ってしまう。
いきなり「笑いかけないと開かない冷蔵庫とかどうだろう?」とか。「え?」って思うじゃないですか。でもそういうものを実際に作っちゃってグッドデザイン賞とかまでとっちゃう。
画像はこちらより
話を聞いているとわからんでもない気がしてくるんだけど、やっぱりよくわからないことも多い。でもなんというかその自由さが、読んでて爽快な本です。
ずっと家にいると、思考も狭まってきてると思います。レポート書いたり仕事の企画考えてても、あんまり捗らなかったり。そういうときにはこの本を読むのがオススメです。結構自由な気持ちになれるから。
オススメの今月の5冊は以上です。
以下、2021年8月に読んだ本リスト。
『照葉樹林文化』, 上山春平, 中央公論新社, 1969
『一人称単数』, 村上春樹, 文藝春秋, 2020
『新しい分かり方』, 佐藤雅彦, 中央公論新社, 2017
『意味がなければスイングはない』, 村上春樹, 文藝春秋, 2008
『タイポグラフィ・ハンドブック 第2版』, 小泉均, 研究社, 2021
『妄想する頭 思考する手』, 暦本純一, 祥伝社, 2021
『方法序説』, デカルト, 岩波書店, 1997
『丹下健三建築論集』, 豊川斎赫編, 岩波書店, 2021
『バッハ《無伴奏チェロ組曲》カザルス解釈版 ルドルフフォントーベル編 チェロとバッハを愛する全ての人へ』, ルドルフ・フォン・ドーベル, 音楽之友社, 2009
『方丈記私記』, 堀田善衛, 筑摩書房, 1988
先月のオススメ本リストはこちら。
終わりです。ありがとうございました。