研究日記2024年6月の報告書。
時代を考えることについて
現代は、時代を考えることにリアリティがなくなった時代、と言えるのではないかと思う。自分はどこから来てどこへ行くのか。時代をどう掴まえ、どう応答するか。そういう問題と個の存在が離れてしまった。その結果として現代の多くの言説はふわついていて、足場がない。
LLMもApple Vision Proも、正直なところ、そういうのもういいよと半分では思っている。技術を持て囃すだけの愚な議論にもう飽きた。皆は飽きないのかしら?
長く作業をするときに、よく宮崎駿さんや高畑勲さんのドキュメンタリーをかけている。『もののけ姫』のドキュメンタリーは6時間ほどあり、『ポニョ』のドキュメンタリーは12時間くらいある。長丁場の作業中に、ループさせて時間を測るのにちょうどいい。ちなみにこれらのドキュメンタリーのDVDはかなり高いのである。ジブリオタクになりたいのではない。時代をどう捉えるか?という意識が制作の隅々に行き届いている現場の雰囲気に安心できるような心持がしてくるのである。
宮崎さんの時代への姿勢は、堀田善衛さんからの影響を大きく受けている。宮崎さんは堀田さんのファンであり、強く影響を受けてきたことを公言している。堀田さんは、代表作である『方丈記私記』の映画化を宮崎さんに薦めたらしい。『方丈記』、そして『方丈記私記』とも通じる災害から時代を考えていくという構成は、宮崎さんの『風立ちぬ』でも『君たちはどう生きるか』でも明らかに反映されている。その構成が、時代を考えることであると言いたいのでもない。しかし社会の慟哭も現在のいたるところにむき出しになっている過去や未来も、何も掴まえずに考えられることも何もないのではないか、とも思う。
この研究のアイディアはこういう有用性があります、という程度のミクロな有用性の議論が、人が生きることそれ自体の何に応えてくれるというのか、僕にはよくわからない。時代にどうこたえるかという問いがたいして必要ないのだとしたら、現代の日本があまりに幸福か、よほどの阿呆かどちらかだろうと思う。それは、生きることに悩んでいない時代といってもいい。
堀田さんは次のように書く。「歴史は直線的なものなどでは決してなくて、様々な次元が、古代の次元、中世、近世、近代などの諸次元の重層をなしていて、その切り口である現在という次元、現在という断面には、あらゆるものがむき出しになっている」。そして「人間の存在は、たとえば巨大な曼荼羅の図絵のように、未来をも含む歴史によって包み込まれている」とも。歴史に対する目線の欠如は未来をみないことであり、未来をみないことは現在も過去も知らないことなのだと思った。
槇さんが亡くなって考えたこと
建築家の槇文彦さんが亡くなられた。僕にとっては空間を創る建築家として最も憧れた建築家である。縦横無尽な思想と強く緻密な空間設計に憧れていた磯崎新さんは数年前に亡くなり、今年の6月に槇さんが亡くなられた。大学3年生の終わりに飛び込みで訪れたMITメディアラボ、初めて展示をした表参道スパイラル、名古屋大学の豊田講堂、ここでなら心地よく死ねそうだし死を受け入れられそうだと感銘した風の丘葬祭場。ただただ空間に憧れた。佐々木泰樹の奨学金の面接の際には、一番好きな建築は?と聞かれて、代官山ヒルサイドテラスです、と答え、VRだのMRだのやる割に好きなのは槇さんなんですね、と驚かれた。槇さんは師匠の千葉先生の先生でもあったから、千葉先生が槇さんから引き継いだ問題意識について話されているのを、自分なりに考えることもあった。
YouTubeなどの動画をみていると、槇さんが「アナザーユートピア」というタイトルで講演をされたり討論されたりしているのが改めて気になった。槇さんは都市にオープンスペースが必要だと主張する。いうなればそれは、都市のボイドのことである。都市はボイドをむしろ中心として発展してきたのであり、そうしたボイドを作り出すことで都市構造を改変できるとも話す。現実味はさておいて、なぜそれを「アナザーユートピア」と題されたのか気になった。磯崎さんも「アナザーユートピア」を主題としていたことがある。二人とも丹下健三の弟子である。
建築家はこれまで、建築や建物を論じながら、都市の公共性や人の生活のリアリティを主題としてきた。その議論のために建築があった側面すらあったといってもいい。いうなればより良い公共性や都市生活を実現する手段として建築があった。そしてそれは、運営や経済的なことを議論しつつも、槇さんのオープンスペースの議論が明らかに示すように、モノの形態や構造の議論によって、公共性を論じてきたものなのである。
しかし古来より都市生活には、夢があり、幻があり、異界があり、風水があり、もののけがおり、呪術があり、宗教があった。そうした重層的なバーチャリティと実空間が絡み合った様相のなかに都市生活があり、そこに公共性もあったのである。そのように考えてみると近代とはむしろ、科学の発展と成長主義を背景として、モノの形態や構造を手掛かりとして公共性や人の生活のリアリティを論じることのできた、特殊な唯一の時代だったのではないか、と思うようになった。現代では明らかにデジタルな場や状況に生活の重心は移りつつある。SNSは交流の場であり、YouTubeでお互いにわかった気になることもあるし、ZoomやSlackもまたある種の生活空間になっている。バーチャリティが都市生活と公共性に重なるようになってきている。これらを僕はこれまで特殊なものと思ってきたのだけど、むしろ形態を手掛かりに公共性を論じられた近代こそが特殊なのであり、バーチャリティを前提として都市と公共性を論じる“通常”の状態に、都市は戻りつつあるのではないか、と思うようになったのである。
そして実は、形態や構造だけでは公共性を論じえず、バーチャリティを含めなければ都市の生活や公共性のリアリティは捉えられないことに誰よりも気づき始めていたのが磯崎さんであり槇さんだったのではないか。だからこそ二人は「アナザーユートピア」を主題とした。その主題にはどこかバーチャリティへの志向が垣間見える。磯崎さんは海上都市にその可能性をみたり、記号の流れとしての「見えない都市」を論じたりしたけれど、槇さんはやはり「ワシは建築家だから、建築で論じるわい」と考えて、オープンスペースを主題としたのではないか。そんな風に思うようになった。
そのように考えてみると、都市や公共性を考える上で僕らの世代がすべきことは、槇さん達の議論をそのまま引き継ぐのではなく、むしろその特殊性をふまえながら、それらをこれからの公共性の議論へと“移植”していくことなのではないか。そんな風に考えるようになった。
朝の銭湯のこと
少し前に、はじめて開店と同時くらいに銭湯に行った。朝10時くらいのことである。お湯が信じられないくらい熱くてびっくりした。事故だと思った。体が火傷みたいになってしばらく赤みがひかなかった。それでもそれなりの時間浸かって耐えたのだけど…。体を揺らすと熱さで耐えられなくなる、という感覚を初めて経験した。また、水の冷たさで心臓が止まるのではないかと感じるのは経験があるが、熱さで心臓が止まるのではないかという感覚を初めて経験した。
あとから番台さんに聞いたら、オープン後2時間くらいは熱く、1時間で3度ほど下がるのだ、とのことだった。全然知らないことって世の中に溢れているのだと思った。世界は断絶で満ちているのだった。
僕は湯舟に二回浸かるのだが、一度目に浸かったあと、あまりに熱すぎたので冷ますための水を蛇口から出し始めた。しかしすぐにおじさんがそれを止めてしまった。実は開店直後の銭湯はめちゃくちゃ混んでいる。おじさんには、ちらっとこっちをみられながら水を止められた。そうか、すごい、開店直後の熱さを求めているファンがいるんだ、そういう層がいるんだと感動していたら、水を止めたおじさんは湯舟に入るやいなや2秒であたふたしながら出てきた。さっきのどや顔は何だったんだ、と思った。
今月読んだ本
『堀田善衛を読む』
『nikki』(再読)
『幻・方法』
『抽象と感情移入』
『ヨーロッパ・二つの窓』
『くうきをつくる』
『翻訳できない世界のことば』(再読)
『雨のことば辞典』(再読)
『一枚の絵から 日本編』
『インドで考えたこと』
『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方』
『時代と人間』
『禅』
『頼政』(謡本)
(途中のもの)
『奇想の系譜』
『奇想の図譜』
『定家明月記私抄』
『今和次郎』ほか
Design Science Foundationのアワードへの応募
Design Science Foundationという財団の主催する、研究者の活動を表彰するアワードがあり、まあ絶対に無理だろうとは思いつつ、応募すべく書類を準備した。自分のこれまでの活動を説明する動画も製作した。そういうことをやっていると、自分の活動の構造がわりかし見通しよく自分でもわかるようになってきた。この資料の製作は非常に難航して、ここ1か月くらいウンウン言ってきたのだが、わりかしうまくまとまったと思う。
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2025年3月に「夢における空間論」を書き上げるまで
旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…
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