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博士論文2021年12月の報告書。

ふといろんなことを窮屈におもう。みられていることについて。それが愛情であれ、敵意であれ、親切であれ。自分の選択や行動を、他人の視線が型枠のように規定しているように思えることがある。本当はみられていないのかも。自意識過剰か。

論文でも冊子でもドキュメンタリーでも展示でもいいけれど、みたことのない視点や発想で満たされて別世界に入り込んだように感じられるような、濃密な知の体験をつくりたい。混乱しつつ世界に入り込んでしまい、出てきたときに茫然自失としながらふつふつと喜びが浮かび上がってくるような。そんな快楽をつくりたい。映画の、知の世界版のイメージ。

今月は忙しかった。眠れない日も多かったし、2週間くらい家に帰れなかった。体もしっかりと傷んだ。一週間出張に行って、家に半日帰って徹夜で作業して、また一週間出張、というのは初めての経験。

今月やったこと。大阪・京都出張(学会参加と発表、研究のインタビュー)、副査のご相談、資金の申請書の作成、論考の執筆、今治出張。

大阪・京都出張〜香りと能面と学会

12月の初めから大阪・京都出張にいく。学会参加と研究のインタビューが主な目的。5日間くらい。東海道新幹線は変わらず苦手。フラフラで大阪に着いた。

学会は久しぶりの対面。オンラインの学会よりはマシにおもえた。自分の研究が人の目に晒されているような感じがないのは、あまり意味があるとは思えない。学会自体、意味があると思えたことがあまりない。分野のせいか。意味がないことを積み上げることが大事なのか。

インタビューは、主に香りについて。老舗のお香の製造業者さん、東福寺の塔頭の住職さん、嵐山の能面師さん。香りは3年ほど前からのプライベートな研究テーマ。ちまちまとずっと続けている。最近は後輩との研究会でも扱っている。

いろいろなことを聞いた。メモ。

仏教の御焼香で使うのは沈香。理由はお釈迦さまが好きだったから。本当は仏様に、違う香りをあげてはいけない。沈香は、木に傷ができたときにかさぶたのように樹脂が出てきてできる。

面白かったのは、お香は漢方、という話。お香はそのほとんどが漢方薬にも使われるもの。単品でかぐと、漢方のような強烈な匂いがする。しかしそれを合わせると、いい香りになる。それぞれの材料に役割がある。例えば竜脳は揮発しやすいので、比較的揮発しづらい他の香りとくっついて香りが広がりやすくする。トップ、ミドル、ボトムと香りの構造があるうち、木の香りはたいていボトム。要するに揮発しづらい。だから、最後に出てくる。確かに香水でも、Sandal woodとかはボトムにある。白檀の香木も、そのままの状態と温めた後では香りが変わる。香りはとても構築的なもの。感じられるときはふわふわしているのに、その背後に精緻なロジックがある。

それぞれは漢方的な香り。

香料が防腐剤になることは知っていた。昔何かのブランドの製造ラインでカビが生えたことがある。その原因を調べても、ラインのどこにもカビがなかった。よく調べてみると、香料の入れ忘れだった。そのくらい香料は強い防腐剤になる。だから香水は、シャワーの前につけてはいけない。シャワーをしっかり浴びて、体の皮脂や菌を洗い流してからつけて、皮脂が参加したり菌が発生して臭くなったりしないようにする。日本では、人が死ぬと香木で燃やしたりするけれどあれも同じ効果なのだろう。腐ってしまわないように。

お香は漢方と聞いて、香りに健康効果もあったのかも、と思った。毎日煙にして嗅ぐことで、健康になる。そんな話を東福寺の住職に聞くと、昔の修行僧は5日に1度しか風呂に入れず、しかもそれも湯船ではなく蒸し風呂だったという話をしてくれた。今でも東福寺には巨大な蒸し風呂がある。そこでは薬草を焚いていたらしい。後から長川仁三郎商店の社長に聞いたら、丁子という薬草を使っていたらしいと聞いた。修行僧の体を殺菌する効果もあったのかもしれない。

右下に「浴室」とあるのがお風呂。左の方に写っている車と比べても、明らかに大きい。700人から1000人の修行僧がいたらしいので、そのくらいのキャパが必要。

ところで昔は時間を香りで測った。お香の燃える速度で時間を測った。時香盤と言ったり香版時計といったりする。11月の終わりに、その現物も銀座のシチズンの博物館に見に行った。思ったより大きい。そんな話は昔noteにも書いた。昔は「香盛」という文化があって、お寺では常に香りを焚いてそれで時間を測り、時間ごとに香りを変えた。香りの変化に時間を想う。そんな体験にはやはり憧れる。

香盤時計の実物。大きい。

お香の燃える速度で時間を測った訳だけど、その速度はお香によって違う。そして、粒の大きさによっても違うらしい。細かいものは早く燃え、粗いものはゆっくり燃える。お香の種類と長さと粗さを決めておくと、ある程度正確に時間を測ることができる。なんでもいいというわけでもなく、住職の好みによって決め、ある程度決まったらあまり変化させなかったらしい。東福寺の住職に聞いたらもうほとんど見たことないと言っていたから、かなり文化としては減ってしまったのだろう。面倒すぎたのか、近代化に負けたのか。

あと、もう一つおもしろい話を聞いた。殿中松之廊下で、殿様が廊下を歩いていると、「〇〇さまの、おなーりー」と声を出すのを見たりする。あれで襖をバーっと開けていくわけだけど、開けていたのは小僧で、小僧は殿様を見ちゃいけなかった。だからぱっと見て、誰々だ!と確認してはいけない。そのために殿様はみな、自分の香りを持っていた。小僧は香りを聞いて、それで誰かを判断して、近づいてきたことも判断して、「〇〇さまの、おなーりー」、という。見てはいけないから、香り。似た話はお寺でもあって、お寺では全ての時間や修行のタイミングを音でやる。鐘。出発と到着とか、開始とか、そういうものの鐘が全て決まっている。修行僧はお寺の中でしゃべってはいけない。だから鐘を使う。制限があるから、ちょっと特殊な情報に頼る。それが面白いなと思った。

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旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…

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