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大仏に大仏パーマをあてる~宗教家・安藤忠雄の挑戦

世界的建築家・安藤忠雄の作品のひとつに「真駒内滝野霊園頭大仏」というものがある。

ひとまずみてほしい。

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もともとは下のように裸の大仏が鎮座していたところに、コンクリートの覆いをかけた作品だ。頭大仏とよばれている。

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「例のない新しい世界」とは何か?

大仏のそばで掲示されている説明ボードには、次のような安藤の言葉が記されている。

「これほど広大なスケールのランドスケープは初めてのこと。北海道にしかない、これまで例のない新しい世界をつくることができた」

例のない新しい世界」とはなんのことだろうか。何と比べているのかさえわからない。この言葉について、僕はずっと不思議に思ってきた。

長年の疑問が、先日ある方との議論で氷解したので、それについて書くことにしたい。

安藤が大仏を覆ったワケ

我々の見立てによれば、安藤が追加したコンクリートの覆いは”ケープ”である。美容院でかけられるアレだ。大仏は、鎮座していたところ突然ケープを着させられた。

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ようするにあの大仏は、美容院で大仏パーマをかけられている最中なのだ。それが我々の妄想である。

安藤は竣工に際して、次のようないかにもクリエイターらしき発言をしている。

「頭大仏は外部からは頭しか見えない。冬は頭に雪が積もる。大仏全体が見えないから、見えないことによって想像力で見ることになる。」

しかしその実、これは単に美容院の状況を描写したにすぎない。

「ケープで体をかくしたら、北海道の大地は美容院にみえてくるやろ。」といっているのである。

彼は北海道の大地を巨大な美容院へと変貌させた。完全に仕上がっていたはずの大仏は”いまだ髪型セット中”という烙印を押されることになったのである。

安藤の介入の主張としての意味合い

ケープという建築。

これは一見冗談のようで、冗談でもないように思える。

なぜならこの行為は、ランドスケープデザインという行為に対して、本質的に意味のある主張をつきつけるものだからだ。

どういうことか。

今回安藤が行ったランドスケープデザインは、建築よりもはるか長い風景の時間に対して介入する行為だ。大仏もまた重たい石などでつくられ、永い時間を耐えることを要求される。悠久の時間を描くのだ。

一方で美容院で大仏パーマをかける時間は風景に比べれば一瞬である。たった数時間もない。

つまり安藤は、悠久の時間スケールのなかでデザインを行うランドスケープに対して一瞬の時間スケールをもちこみ、2つの時間スケールを風景という一つのシーンのなかで共存させることに成功したのである。

同時に、重たい風景に対してケープというふんわりとした軽いイメージの対比も鮮烈だ。

安藤は「時間」と「重厚なイメージ」というランドスケープデザインにおける呪縛ともいえる命題を軽やかに乗り越え、同時に人々に祈りの場所を与えてしまった。

そこにこの建築とランドスケープの面白さがあるのだ。

安藤の主張

建築家になるには結構な学歴が必要で、あらゆる職業のなかでもとくにハードルの高い領域ともいえるが、安藤は学歴どころか臓器さえもっていない。

胆嚢・胆管・十二指腸・膵臓・脾臓という5つの臓器を全摘している。生きていることすら不思議な状態である。

建築家の多くがもつものをもたずに建築家として世界のトップを走り続けている。それが安藤忠雄である。

いや、果たして彼は建築家なのだろうか。

この大仏には、常識にとらわれず、もちまえの闘争本能で世界中と戦ってきた彼の魂の叫びが込められている。

「いつまで常識にとらわれてんねん、もっと自由にやらんかい」と叫んだのである。それは建築家や建築にかかわるすべてのものへ向けた彼の生き様であり主張であり、教義であった、と思うのである。

こうした彼の教義(反抗声明)ともいえる建築はほかにもある。

例えば上海や渋谷では建築のなかに球を浮かせた。

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重たく地に根を張る建築に対して、浮かぶイメージ。鮮烈な対比である。

その原点には、88年に中之島公会堂の老朽化を知った若かりし頃の安藤が構想した「アーバンエッグ」がある。

建物の中心に卵を浮かべるのだ。

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は当然割れやすい

老朽化を知って提案するアイディアに用いるイメージとしてはいささか謎であり、不謹慎ですらある。「割れたらひびのかたちに光がはいってきれいそうやん?」とでも思っていたのかもしれない。

安藤は一般的な建築のイメージを鮮やかな構想力で反転させることで、既成概念にとらわれた建築家たちに中指を突き立ててきた。その態度と建築は人々を惹きつけた。

安藤は建築家というよりもむしろ宗教家であった、と思うのである。彼は建築行為を通して教義を実現し、世に問うてきた。

キリストの前で人々が救いを求めたように、かつての日本人が極楽浄土を求めたように、安藤の前で人々は反抗を肯定されることを求めた。生活や人生における不満や疑問に対してNOを突きつけることを認めてもらいたかったのだ。

新国立問題が立ち上がる以前、世間で一番有名な建築家は安藤忠雄だったと考えていいだろう。これは彼の宗教行為が成功していたことを意味している。

臓器を5つとってなお元気に仕事をこなしているエピソードなどは多分に宗教的ですらある。

クライアントではなく信者を増やした。

だから彼は、建築家がもつものを持たずに進撃できたのだ。

最後に

安藤のような宗教家はとうぶん現れまい。

面白い建築も昔に比べれば建ちにくくなったといわれるが、実はそれは建築家の力量不足というよりも、宗教的建築家の不在を意味しているのかもしれない、とさえ思う。

頭大仏は、数多の安藤建築の中でも、宗教的な建築物の設計のなかで自らの教義を実現してしまうという二重の教義のせめぎあいに特別な面白さがある。

安藤の建築はその裏にある教義を読み解いてみると面白い。

それはテキストではなく建築のかたちをとっているので、建築を体感したものは知らず知らずその教義に包まれるという危険さも併せ持つ。事前に対策しておくと、教義を楽しみつつも不思議な感慨に包まれるに違いないだろう。

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