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友だちを作るって難しいね…
なぜなら、偉そうに言わせてもらえば、民主主義とは、「対等の友人をつくる思想」であって、「主従をつくる思想」ではないからだ。
ワシはよい友人が欲しいし、誰かにとってよい友人でありたいと思う。だが、よい主君もよい臣下も持ちたいとは思わない。
銀河英雄伝説 アレクサンドル・ビュコック
友だちをつくるって…
最近、友だちをつくることについて考えています。
民主主義を理解していないと、友だちを作れない、なんてことは全くないのだけれど。
そこにこだわりすぎると、カール・シュミットの友敵理論みたいな極端な思想になりかねないのは承知しているんだけど。
それでも、私が友だちをつくることが下手なことと、立ち上げようとしている組織の魅力を周りの人にうまく伝えられていないことは繋がっているんじゃないか、と最近思います。
自分のやりたいことが上手く他者に伝わらない。
思い返せば、友だちは幼少の頃から少なかった気がする。特に親友みたいななんでも相談できるような友だちは本当に少ない。
友だちってなんだっけ?
友だちとは非言語コミュニケーションで楽しみを分かち合える者だとすると、非言語コミュニケーションが不得意な私はやはり友だちを作ることが下手なんだろう。
じゃあ、言語的コミュニケーションが得意なのかといえば、最近そうでもない気がする。言語化が難しいという場面、言葉にしても伝わらない場面が多い。
それは結局、最近は特に同質性の高い空間にいたからなのかなぁ、と振り返ったりする。抽象的なことを語るコミュニティにずっといたから。前提を共有した者同士の会話に慣れたのかなぁ、とか考える。
何をしたいか、が伝わらないという問題
うむ、これは大変だ。
私の場合、生活の問題に直結する。
どうしよう?
非言語的な感性もないし、言語化も不得意になったとすると、それは一大事。
分析しよう。なぜ私の話は他人に伝わらないか。
1.抽象的なことを話しているから、想像しづらい
2.私の語彙力が足りない
3.伝え方が情熱頼みになって言語化しきれていない
ここら辺だろうか…
こうなって来ると、もはや言語によっては、同志ができない。それは言い換えると、私に対等な友人や同志を作ることができない、という結論に至ってしまう。それは、子どもと私の関係においても、作ろうとしている場においても、対等な関係を築けないという不安にもつながる。
何とかしなければ。
対等な友人関係をつくるには?
自分なりの案を出してみよう。
アイスブレイク
ルール決め
共通の趣味を楽しむ
敬語の禁止
ううむ…どれもパッとしない。
誰か俺に教えてくれー!
結論
とりあえず、地元民と会話が足りてないんだろうなぁと反省。地元民の友達つくほう!
また、伝え方さえ工夫すればやってる事はいい事だから伝わるよ!というアドバイスももらったり。
人間は一生学びだなぁ、としみじみ思う私でした。
It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
満足した豚よりも不満を抱えた人間の方がよく、満足した愚か者よりも不満を抱えたソクラテスの方がよい。
ジョン・スチュアート・ミル
あぁ、不満足な人間であり続けたいなあ…
写真は満足した豚です。
動物農場は、アニメも原作も素晴らしい。
以上です。
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