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「悪い場所」で生きるということ

西洋人の主義は個人主義なり。故に西洋に在ては個人を以て自在の価値あるものと為し自己目的性を有するものと為す。故に天賦人権の思想あり。人命を重んじ人格を尊ぶこと、日本人の想像の外に在り。然るに日本人の主義は個人主義に非ずして国家主義なり。

河上肇 日本独特の国家主義
より

日本は「悪い場所」?

悪い場所。この言葉が最近頭から離れない。
元々は美術批評家である、椹木野衣が提唱した言葉です。
「歴史が蓄積して発展していかないような繰り返しと、起きたことがすぐ忘却されていく」場所※、という意味です。

しかし、最近のわたしの中では、その意味を超えています。
日本はそもそも、個人や人権を尊重して生きることが困難な場所なのではないか、その意味で悪い場所ではないか、と考えているのです。

日本人の人権や個人意識の弱さ

歴史を辿ると、戦前のインテリはそこら辺を指摘しています。
序盤で紹介した経済学者の河上肇もそうだし、教養人の有賀長雄は「国家哲論」にて日本人の「individually」の弱さを西洋人と比較しながら、指摘しています。弁護士の花井卓蔵は、「日本国民の公権思想」にて、日本国民の「権利思想に冷淡」であることを指摘しています。
西洋と出会った日本人の中には、日本の国民性を反省する論を提起する人も少なくなかったのです。
ここら辺は南博氏の「日本人論:明治から今日まで」にまとめられているので、ご関心ある方はぜひ。



なぜ、日本では個人や人権の意識が弱いのか

ではなぜ、日本では個人や人権意識が弱いのか。その理由を様々な本を読む中で、自分なりに一番説得力があったのは、「キリスト教の影響を受けた抵抗権の有無」という森嶋豊さんの主張です。

日本の為政者たちは自己神格化をするにあたり、それに勝る宗教的存在は邪魔になると考え、迫害してきた。抵抗精神は為政者に勝る宗教精神からやってくるのだ、と知っていたからである。
自由は、人間に解放をもたらす自由の超越性は、神からやってくるのだ。

これを知るとき、日本はやはり人権や個人の感覚が限りなく薄い「悪い場所」だという考えが確信として、私の胸のうちにやってくるのです。

「悪い場所」でどう生きるか

わたしは学校で人権の保障や個人の尊重を感じたことがありませんでした。どうして、民主主義の日本で、学校が民主的でないのか。
それが気になって、いろんな本を読んで、いろんな人と一緒に考えて、日本は「悪い場所」だから、という結論にたどりついたのでした。
では、問題となるのは「悪い場所」でどのように生きるか、です。
「悪い場所」では、個人がない。個人をもたらすような宗教も契機もない。
そんな場所で個人や人権の意識が多少ある人は、どのように生きるか。
3つアイデアがあります。

1.その場所の過去と現在をつなぐ個人や人権を尊重していた物語をつくる
2.論理で、個人や人権の意識を周囲の人に個人や人権の意識を伝えきる
3.教育で若い世代に論理と体験で伝える

どれも大変だ…
しかし、やらねばならない。私のためにも、後の世代のためにも。
そうしなければ、日本はいつまでも「悪い場所」なのだから。

あなたにとって日本はどんな場所ですか?

最後に永井荷風の「断腸亭日乗」から引用します。

心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり 自由 は滅びざるなり。

私も自由人として最後まで生きたいものです。
トップの画像は原宿にある、自由万歳なお店、6%DOKIDOKIです。
また行きたいー!

以上です。また何かあれば書きます。

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