村田好平

1992年生まれ 兵庫県出身。 江戸前ハーブ代表 完全室内❌土耕栽培のハイブリッド式 …

村田好平

1992年生まれ 兵庫県出身。 江戸前ハーブ代表 完全室内❌土耕栽培のハイブリッド式 広島県、某クレイジー農家で修行した元料理人の若手農家が東京都大田区で挑む人生をかけた挑戦。

最近の記事

単身、元料理人の若手農家が東京で挑むハイブリッド農業 〜営業ギャグ編〜

思いついたことをとにかく実行する起業初期フェーズ 2021年8月末。 起業3ヶ月目。  東京では、新型コロナウイルス対策として第4回目の緊急事態宣言が発令されていました。飲食店はアルコールの提供が制限されている状況で、人通りが少ない街はとても静かでした。  この頃、僕は麻布にある高級スーパー2社と取引を始めることができ、野菜を自分で店舗まで配達してそのまま店頭販売までさせてもらっていました。緊急事態宣言中だったこともあり、レストランとの新規取引は早々に諦めて、高級スーパーや

    • なぜ東京で農家になったのか。

      スーパー師匠との会話の中で強烈に覚えているフレーズがあります。 「新規就農する時、唯一のいい所はどこで何を作るかを自由に決められること」 将来的に独立を考えていた当時の僕は、すげー大切なことを聞いた!とこのフレーズを頭に叩き込みました 「土作りに10年」 「50代でも農家じゃ若手」 そんなことをテレビに出てる農家が言っているの聞いたことありますが、僕はそんなのゴメンです。。。土つくってる間に飽きちゃって情熱もクソもなくなっちゃいます。 でも、これから「土づくり10年」

      • レストランをやめた僕が農業にみたチャンス 4

        このシリーズは今回で最後です。 これまでのエピソード レストランをやめた当時の僕が感じていたこと 1  レストランをやめた僕に訪れた衝撃の転機 2レストランをやめた僕のマクロビ修行 3 タテ5m×ヨコ5mの市民農園で起業計画なんて一切無しでわらの家を飛び出してきた僕は、バイトで生活費を確保した上で「自分で稼ごう」と考えてました。 何を始めるか考えた際に、これまでしてきた料理は認められるまですごい時間がかかるというか、日本ではどの店も美味いし、大した技術や経歴もない僕に

        • レストランをやめた僕のマクロビ修行 3

          このエピソードは 以下の続きです。 レストランをやめた当時の僕が感じていたことレストランをやめた僕に訪れた衝撃の転機 飛び込んだら、修行そのものだったこの時、僕はまだ料理をしたいと思っていました。どちらかというと、料理と農業をどちらもしたいと思っていて、自分でつくった野菜を自分で料理するスタイルを模索し始めました。 僕は自然食品の会社をされている経営者の方のススメで岡山県高梁市にある「わらの家」に向かいました。「わらの家」は40年以上前から添加物や合成洗剤などの使用に警

        単身、元料理人の若手農家が東京で挑むハイブリッド農業 〜営業ギャグ編〜

          レストランをやめた僕に訪れた転機 2

          お待たせしました。 このエピソードはこちらの続きになります。 レストランをやめた当時の僕が感じていたこと 1 有名店をハシゴした転職活動 退職して実家に帰った僕は、徐々に体力を取り戻してストレスから解放されるようになっていきました。そして、これまでよりもっと深く食に関して勉強していきたいと思っていました。まだまだ実力不足だと感じていたからです。一度志したレストラン業から簡単には離れられませんでした。 まずは東京・目黒のkabiというレストランに行きました。kabiは本当

          レストランをやめた僕に訪れた転機 2

          レストランをやめた当時の僕が感じていたこと 1

          今日は、レストランを退職した当時の僕の心境、当時の状況を僕なりに整理できたことがあるので、少しづつ振り返っていきます。 2019年6月30日、 僕はレストランの店長をやめた。2014年9月から、大阪にあるVolareというイタリアンレストランにアルバイトで入社して、大学在学中に店長になり、そのまま卒業後も正社員として入社し、店長を2年半させていただいた。大学の講義中は、ほとんどその日に来店される方のコースメニューを組み立てたり、販促物をデザインしたり、次の売り上げ計画を立

          レストランをやめた当時の僕が感じていたこと 1