(スマホのない生活 #2)記憶力を取り戻す

在日米軍の友達たちとクィディッチをするために、4月の週末にクィディッチチームのみんなと沖縄へ行った時、自分の記憶力がいかに落ちているかに気づかされた。

「クィディッチ」(正式名称:クアッドボール)とは、映画ハリー・ポッターに登場する魔法使いたちのスポーツを、現実世界版にアレンジしたスポーツ。世界40カ国以上で実際にプレーされ、2023年7月にはアメリカでワールドカップも開催予定。日本には6チームが活動しており、著者は一般社団法人日本クィディッチ協会代表理事でもある。

(東京ペンギンズ vs 琉球サンダーキャッツ)

スマホがないので、外出時にスマホでいつでもなんでも調べることができない。

成田空港へ向かうために電車とバスを乗り継ぐのだが、電車の乗り換えやバスの時間が覚えられないし、飛行機の正確な出発時間も覚えられない。

あれれ、こんなに記憶力が弱くなっていたとは。

人間の脳みそは楽をするようにプログラムされているので、覚える必要のないことは覚えない。

スマホがあるときはいつでもスマホで確認できる(=スマホが覚えていてくれる)ので、自分で覚えておく必要がない。

自分の基礎的な記憶力がすごく衰えていることを強く感じた。

那覇空港へ到着し、チームメイトが予約してくれたAirbnbへ向かう。

スマホがないので、地図を確認しながら歩くことはできない。

那覇空港のwifiを使って、PCで住所と行き方を調べる。

「ゆいレールで最寄り駅まで行った後は、左方向に進んで、大通りを渡って、3本目の小道を右に曲がる・・・」ぶつぶつと何度も呟いて、自分の脳味噌になんとかインプットした。

Airbnbまで辿り着けるか不安だったが、自分の記憶力だけで無事にAirbnbに到着することができた。

スマホがあるときは仮に道を忘れたとしても、何度も確認することができるから、脳がラクをして記憶することをサボるようになるのだと思う。

そして、スマホがないと、必要に迫られた脳はしっかり記憶することができる。

ふと、「写真」のことを考えた。

スマホでパシャパシャと気軽に写真を撮れるようになったが、これは「スマホに光景を記憶させている」ことに他ならない。

スマホが「記録」してくれるなら、その光景や体験を、私たち自身が「記憶」することをサボってしまうのではないか?

確かに、スマホ上に「記録」されてはいる。
しかし、自分自身の「記憶」は弱まってしまっているのかもしれない。

スマホは便利だ。実際、人間が覚える必要のないことはスマホに記録しておけばよい。

しかし、スマホがあることで、無意識に自分自身の内側にある「記憶」が薄まってしまっているとしたら、それは寂しいことだと思う。

スマホのない生活では、スマホ上に「記録」は残せないが、自分の中での「記憶」が深くなると感じた。

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