見出し画像

立ちはだかった岩本貴裕擁する広島商業。それでも絶対甲子園に行けると信じた2004年夏。【後編】

前編はこちらから。

遂に迎えた緒戦。 7分間シートノック、そして三位一体となった応援。これが威圧感満載の夏将軍だ。

 2004年7月。遂に待ち望んだ如水館の夏が始まった。緒戦はびんご運動公園。この球場は如水館高校から距離も近く、幾度も練習や試合を行った、言わばホームのような場所だ。筆者はスタンド応援組でバカでかいメガホンを両手に持って待機していると、如水館のメンバーがグランドに登場した。彼らは表情や雰囲気が完全にいつものびんご運動公園とは違った本番モードであった。公式戦用のユニホームは胸の漢字三文字が他を圧倒する様に浮き上がって見える。そして、その統率された動きは相手にこれから強豪と戦うのだという現実を突きつけるのだ。そしてシートノックが始まるとその威圧感はピークに達する。
 如水館のシートノックは難しい打球を打たない。あくまでもリズムや連携の確認を主としている。しかし、簡単だからこそキャッチアンドリリースの速さ、ノックのテンポ、連携のスムーズさが際立つ。スタンドから見る如水館の洗練された動きは素晴らしいもので、対戦相手からすると、どんな球でもアウトにされてしまうような強烈な威圧感を感じることだろう。如水館は始まる前から相手を攻撃しているのだ。

ライン際に整列し、一礼してノックを7分経つ前に終える高校が多いと思うが、如水館は一通り打ち終えたら7分経つまで内外野の間や1・3塁のファウルグランド付近へずっとフライを打ち続ける。ウグイス嬢から終了とコールされると皆その場で一礼してノックを終える。他にもアップは個々で行う等、自主性や効率の良さを優先させており、筆者はそこにも如水館の強さを感じた。

  そして、如水館は試合中の応援も相手を圧倒する。まずは野球部の三年生で結成された統率力のある応援団、通常の三倍はあるメガホンを持ち、疲れることは許されず、ひたすら大きな音をがむしゃらに出す下っ端メガホン部隊。練習時間は野球部と同じ、金賞など当たり前、県内有数の強豪である吹奏楽部。その演奏に華をもたせるのは、その分野で知らない人などいない、全国常連のチアリーディング部WAVES。この三者が一体となった応援は、相手に強烈な印象を与え、グランドで戦うメンバーへの心強いアシストとなるだろう。

応援のバリエーションは豊富で、選手ごとに個別の曲を用意し、それとは別にチャンステーマ等もあるので、如水館の応援は見ていて飽きないエンターテイメントなものとなっている。
 チア部も吹奏楽部も本業である大会の練習時間を割いてまでグランドに駆けつけてくれており、本当に感謝してもしきれないくらいである。


 この三位一体の連携が如水館を将軍へと押し上げた原動力になっており、筆者はこの頼もしい人々と一緒に、グランドで戦うメンバーを力いっぱい応援した。

びんご運動公園での三試合を完勝、舞台は旧広島市民球場へ。

 如水館は幸先良いスタートを切ることが出来た。びんご運動公園で行われた三試合を危なげなく勝利したのだ。「強打の如水館も注目だ」。情報誌等の下馬評ではこの1行足らずしか紹介されなかったが、文字通り強打で相手を圧倒した。そして二年生左腕エース政岡さんを中心に、三試合で2失点と投手陣も相手を寄せ付けなかった。
 如水館はびんご運動公園での試合を終え、プロアマ問わず幾度となく名場面を作り上げてきた広島市民球場へと舞台を移した。

二年生左腕対決。注目の一戦は予想もできない結末へ。

 迎えた準々決勝。広島市民球場に乗り込んだ如水館は、現オリックス・バファローズ不動の中継ぎ投手、海田智行擁する賀茂高校と対戦した。賀茂高校は海田・樋谷投手のダブルエース体制で交互に先発してバランスを取り、今大会優勝候補でシード校だった高陽東を9-2のコールドゲームで下したこともあってかなり勢いを付けていた。
如水館との試合は三年生エースの樋谷投手が先発。樋谷・政岡投手の投げ合いはお互い1本ずつホームランが飛び出し、4回を終わって2-2の接戦。そして5回からは満を持して今大会絶好調の海田投手へと交代。しかし、流石は強力如水館打線。政岡さんが1点取られても、その裏にすぐ2点を海田投手からもぎ取る。なんとか如水館が1点リードしてこのまま逃げ切りかと思われた8回表、政岡さんが掴まり、同点とされ試合が振り出しに戻ってしまった。
  そこからは上級生の戦いをここで終わらせるまいと両二年生左腕が持ち前の力を発揮し、8回裏、9回表と互いが無失点で切り抜け、ますます緊張感が蔓延した試合はこのまま延長戦に突入かと思われた9回裏、サヨナラのランナーが出塁して一気に緊張感が高まる。そのチャンスで如水館の4番炭山さんに打順が巡ってきた。炭山さんは初戦で本塁打を放ってはいたがそこまで調子が良くなく、この試合も影を潜めていた。その気配を感じていたのか、賀茂バッテリーは勝負を選択。しかし海田投手が放った渾身の一球を炭山さんは見逃さなかった。
  炭山さんが振り抜いたその打球は放物線を描いて青空高く飛んだ。三塁側如水館アルプスの視線の先がグランドではなく、青空へと飛んだボール一点に降り注ぐ。その一瞬の静寂の後、打球がレフトスタンド中断へと突き刺さった。サヨナラ2ランホームランだ。想像し得なかったまさかの結末に、三塁側は歓喜の涙を流し、一塁側は呆然と立ち竦む。如水館VS賀茂高校戦は劇的な決着となり、如水館が準決勝へと駒を進めた。
 筆者は純粋に飛び跳ねるように喜んだが、ふと周りを見ると皆泣いている。なんで皆勝ったのに泣いているのか不思議だった。今思えば、筆者は彼らが絶対に甲子園に行くと思っており、一瞬たりとも負けを意識しなかったからだろう。また、マウンドで肩を落とし、一歩も動けない海田さんも印象的だった。
 海田さんと政岡さん。二年生の二人は、近いうちに再び火花を散らすことだろう。そんなライバルの誕生に心躍らせ、如水館は着々と甲子園への道を歩んでいく…

準決勝の近大福山戦に勝利。運命の決戦、相手は広島商業。

 続く準決勝。近大福山戦では終盤にもつれるまでビハインドの展開ではあったが、著者含め如水館に焦りはなかった。サヨナラで培った逆境精神はこの準決勝でも如何なく発揮され、終盤の大量得点で相手を大きく突き放し、終わってみれば10-4の大差で勝利した。如水館は三年ぶりに決勝へと駒を進めたのだ。
 そして、頂点を決める決戦の相手はその三年前と同じ広島商業。準々決勝で前年まで二期連続甲子園へ出場し、現阪神タイガースの上本博紀や俊介(藤川)、現日本ハム吉川光夫等が所属する広陵高校を7-4で下し、準決勝も国泰寺を6-3で退け、決勝の舞台まで辿り着いた。打線は凄まじく、チーム打率は4割を超え、その中心はなんと言っても一年生から4番を努め、今大会コールド以外の試合はすべてマウンドに立ち続けた、昨年までカープに所属し現役を引退したあの岩本貴裕であった。投手としては140㌔超えの直球から鋭い変化球も交えた本格派で、打者としても広角へ飛ばせるパワーやここぞという所で結果を残す正に頼れる4番だった。この大会も既に2本ホームランを打っている。そんな怪物が最後の相手だ。
 広島商業迫田守昭監督如水館迫田穆成監督の弟。兄弟対決としても注目された第86回全国高等学校野球選手権大会広島大会の決勝がいよいよ始まる。

 今となっては弟に全く勝てない迫田穆成監督でしたが、当時は真逆で迫田穆成監督自身も弟には負けるわけがないと絶対の自信をもっていたと思います。

遂に始まった頂上決戦。しかし猛攻の広商打線に現実を叩きつけられ…

 2004年7月25日。広島県の代表を決める試合が始まった。先攻は広島商業。初回、いきなり4番岩本貴裕にタイムリーを浴びる。そして以降毎回如水館は失点を重ねる。対する如水館打線も抵抗を見せるが、エース岩本貴裕に抑え込まれる。そして5回表。如水館は打者一巡の猛攻を受け、大量失点してしまう。5回表終了時にそのスコアは2ー12。この時初めて著者の脳裏にもしかして、甲子園に辿り着かないのか?という焦りが生まれ始めた。しかし、裏にすぐ1点返し、近大福山や神辺旭戦のように終盤に大量得点で追いつける力がまだ如水館にはあると信じ、終盤を迎える。

あまりに無慈悲な一発。岩本貴裕のソロホームランが著者の心をズタボロに…

 7回表、如水館は二年生の三好さんがマウンドに上った。そして迎えた岩本貴裕。ここまで複数安打で打点を荒稼ぎしていたが、走者無しの展開。しかし三好さんが投げた渾身のストレートを、この男は完璧に捉える。その打球はライトスタンドへ一直線に向かっていった。ソロホームランだ。
 この時の状況を筆者は今でも鮮明に覚えている。この無慈悲な一発は三塁側如水館アルプススタンドを一気に沈黙させ、相手の声援がダイレクトに突き刺さり、負けるという二文字すら出てこないほどの虚無感を与えた。著者も頭が真っ白になり、一体何なんだこいつは?何でこんなに打てるんだ?とパニック状態になった。そしてふと我に返り、ずっと青のシグナルが点灯していた脳内の信号機は、黄色を通り越して赤になった。ここで本当に負けるのか…?

諦めなかったグランドの戦士たち。如水館の猛烈な反撃が始まるが、それでもマウンドに立ち続けた岩本貴裕。

 しかし、部員100人を超える中から厳選されたグランドで戦う戦士達の目はまだ死んではいなかった。一発を浴びたその裏、如水館の眠っていた力が一気に放たれる。エース岩本に連打を浴びせ7回2点、8回1点と連続して得点を重ねた。広島商業に対しては、途中から野手として試合に出続けた政岡さんが再びマウンドに登り、8回9回を魂の投球で無失点に抑えた。
そして迎えた9回裏の攻撃。ここも如水館は猛攻を見せ、徐々に岩本貴裕を追い詰めていく。しかし、彼は決してマウンドを他人に譲らなかった。如水館は3点をもぎ取ったがそこでランナーが途絶え、2アウト。最後の打者に対して岩本はカウントを整え、最後選んだ球はストレート。その球にバットは空を切り捕手のミットに吸い込まれた。空振り三振。ゲームセット。9-13で広島商業が16年ぶりの甲子園出場を決めた。

 大量得点を取ったので迫田守昭監督は岩本貴裕に投手交代するかと聞いたらしいのですが、13点も取られませんので投げさせてくださいと言ったらしい。岩本は逆に12点までは取られてもいいというメンタリティだったという事だ。あの舞台でそこまで冷静に状況を分析してたと思うと恐ろしい。迫田穆成監督は弟からこの話を聞いてとても感心したとのことでした。

あと一歩で届いた甲子園。涙が止まらなかった閉会式。

 本当にまさかだった。行くつもりだった甲子園に行けない。先輩達の夏はここで終わった。そんな現実を理解できなかった。しかし、勝利者インタビューや応援団のエール交換など無情にも時は進む。そして先程まで熱戦が繰り広げられていた舞台はあっという間に閉会式場へと変貌した。メダルの授与やダイヤモンドの行進が目に入ってくる。メダルの色は銀色。”二番目の証”である。銀色のメダルを首にかけられるメンバーを見るのが現実を突きつけられる様で筆者はとても辛かった。野球でこんなに嗚咽が出るほど泣くのは今まで経験がない。この悔しさは一生忘れない。最後の最後で夢が散った、そんな第96回大会であった。

三年生が後輩達に残してくれたもの。

 筆者含めた後輩達は、この世代から様々な事を学んだ。如水館の野球は"甲子園に出場する"ではなく"甲子園で勝つチーム"を目標にしており、事実、筆者はずっと甲子園の先を見てきた。負けはしたが、例え甲子園に出れなくとも、この姿勢は間違いではない。このメンタリティは言葉でなく背中で伝わったはずだ。
 そして、迫田監督が後日おっしゃっていたのだが、「準優勝するチームが一番弱い」この言葉は深く刺さった。負けたら一回戦でも決勝戦でも同じ"その他"である。これも身を呈して教えて頂いた。
 その後、如水館は2005年春のセンバツ、そして2006年の夏に甲子園に出場するわけだが、その根底にはやはりこの世代のメンタリティを受け継いで日々を過ごした影響が大きいと筆者は考えている。

最後に

  
2004年夏。夢見た夏は、夢のまま終わった。だが、残されたものにとって得たものは多く、個人的に2004年以降の世代の中ではNo.1の戦力(あの岩本から9点も取れる打線なんてこの世代しかいない)だと憧れた世代、そして大きな夢を見させて頂いた如水館高校野球部第9期生の皆様にはこの場を借りて、この上ない感謝を申し上げたい。

【参考資料】
asahicom:第86回全国高校野球選手権大会 広島大会
PDF号外
トーナメント表

最後まで読んでいただきありがとうございました。
もしよろしければ今後のモチベーション向上に繋がるのでいいねやフォローなどして頂ければと思います。Twitterのいいねもよろしくお願い致します。

この記事が参加している募集

#部活の思い出

5,453件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?