見出し画像

子どもの心の病。ギャップイヤーこそ処方箋。

「学生生活にはギャップイヤーが絶対必要だ。」
白と黒では分けられない、曖昧な、余白とも言える、
自分と向き合えるような時間、ギャップイヤーが必要だと、
下のツイートから、そう改めて実感した。


画像1

ギャップイヤーとは。

国によって、言い方は様々だが
要は、学生生活にわざと空白の時間を設けることを言う。
(ここでは、学生を小学校から大学までを含むとする)

日本だと、小学校→中学校→高校生→大学(→社会人)
この移り変わりが早く、卒業して次の生活が始まるまでに
準備する時間は、1ヶ月あるかないか。

この期間を、わざと引き延ばす
次のステップに進むための、準備期間として1年ほど
自由に過ごす、どこにも属していない時間を意図的につくる。


このギャップイヤーが必要なのは
自分探しをする中で、自身の人生に当事者意識を持つためだと思う。


「自分は、どんな人間になりたいのか。」
「どんなことをして、どんな人と生きていたいのか。」
「何が、自分の人生にとって大切な価値観なのか。」


こうした自分の人生哲学的なことを考える時間だと思う。
北欧の国では、教育カリキュラムの中に
ギャップイヤーを設けていて
その期間の間に、海外を放浪したりボランティアをしたり
自分の興味のあることを挑戦する学生がいるようだ。

社会の固定概念(普通)や学校・先生のアドバイスだけに身を委ねるのではなく
自分のぶれない軸をきちんと持つために行う自己内省は、

偏差値の高い学校に入ることより
良い就職先を見つけることより、よっぽど自分の人生を豊かにしてくれる。
そうやって、自分の意志を持ち、自分自身をリードする意識が芽生え始め、
人生を全力で愉しむことを、自分で決めた環境から体感する。
そこで初めて、勉強は“やらされること”から、“やること”へと変化する。

当然、夢や志、何か信じたい想いがあれば、主体的に勉強を行うようになるし、
+@で今の自分に必要なことを自らの手で掴みにいく行動力が生まれる。

勉強することが目的になるから受験勉強などに意味を見出せず、
ただ、我慢するだけの修行だと思ってしまい、
高い学費を払ってまで行く大学の4年間が、“人生の夏休み。”と言われる。

何のための、手段なのか。

自分が考える意味をそこに見出せたら
苦しくても、有意義な意味を感じられる勉強になる。
そのための、人生観。そのための、ギャップイヤーだと思う。

ギャップイヤーと自己肯定感

自分は意味のある存在だと思える人、
つまり自己肯定感が高い人は、基本的に幸福度は高い。
そうした自己肯定感が高い人の多くは
ぶれない軸や価値観を持っているから
自分は価値のある存在だと、自己を認めやすい。

この自己肯定感を持つためにも、ギャップイヤーを設けることが有効。

自分のやりたいことなどを見つけた時
人生への熱量やエネルギーは上がっていく。

そうすれば、先述した通り
多くの人がポジティブになれない受験勉強にも
周囲や社会を気にせず、自分と向き合えることで
受験勉強という競争から解放されると思う。(就活も同じ)


いじめの問題もグレーゾーンがあれば、改善できる可能性があると思う。

経験から思うに、個人的にいじめが辛いのは
自分がいじめられている目の前の環境が
自分が見てる世界の全てだと思ってしまうから。


もし他の、外の世界を知っていたらしんどくても

「あ、ここは自分に合わない環境なのかも。」

と柔軟に対応できるし、一種の人間関係の問題だなと俯瞰できる。

グレーゾーンで、今まで見なかった世界を知ることができれば
目の前の自分をいじめてくる人など、全世界の0.00001%の人口だと考えられる。


だから、もう一度。


人生には、白か黒かよく分からない曖昧な時間が必要だと思う。

ずっと全力で走り続けられる訳でもない
何が何だか、ちょっと理解できないこともあって当然。

正解や不正解は、その辺に転がっているが
答えは、その辺に転がってはいない。

山あり谷ありというやつだ。

だからこそ、僕は改めて声を上げたい、学生生活にギャップイヤーを。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?