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心の蓋を外して、鼓動を表現する。

僕は、色んな理由で心に蓋をして、伝えられなかった感情たちがある。
恐らく、伝えたい事を飲み込んで
普段通り過ごしている人も他にもいるしれない。

しかし、そうやって生きてきた僕だが、
福島県にある、獏原人村で行われた体験型演劇、君の在処祭に参加して
他者と触れ合う中で、自分の殻を破り、
表現したい想いを伝えられた時の充実感こそ、
本当の自分を感じられる瞬間なのかもしれないと、体感した。
(場所とお祭りの詳細はリンク先にて。)

自分が伝わって欲しいと思ったことは、
上手く伝えること以上に、目を見て真っ直ぐに伝えること。
そうやって生まれる表現こそ、
自分の存在を、鼓動を実感するような瞬間に出会えるのかもしれない。


発信してみたいこと。
会社に提案したいこと。
好きな人に自分の気持ちを伝えること。


僕たちは何かを本気で届けたいと思った時、
感情をバネにすることに加えて、
自分のその想いが、届けたいと思う人に
ちゃんと届くためにはどうしたらいいのかを考え始める。

感性だけではどうにもならないその壁を乗り越えるために
様々な想いと出会いながら、表現するための試行錯誤を繰り返す。
絵や音楽に加えて、ビジネスや企画などももちろん、表現の一部だ。

“本当に届いて欲しい。”
“本当に分かって欲しい。”

この願いと現実の間にあるギャップを埋めながら、
不器用なりに、感性と理性を奮い立たせて、準備を積み重ねていく。
そんな姿勢や行動から、「伝わってくれた嬉しいな。」という、
エゴを超えた、愛や想いが湧き出て、
社会や他人と触れ合う中で、自分という存在を感じられる瞬間に導いてくれる。

そのためにまずは、
自分の心に蓋をする力を、前に進む力に変えるために
「有難う。」という言葉にもっと寄り添おうと思った。

そして、そこを起点に
色んな理由があって、見て見ぬ振りをしてきた想いたちに
これからは、ちゃんと目を向けていきたい。



泥臭い仕事の中で込み上げた、あの熱量。
上司に自分の考えを伝えられた後の充実感。
涙ながらに口にした、仲間への真っ直ぐな言葉。


ワクワクやキラキラしたものだけではなかった。
不安や迷い、照れ臭さを抱えつつ、
ちゃんと、想いを届けられた時に感じた、
あの時の鼓動、胸の高鳴りこそ
本当の自分を解放してくれていた時だったのかもしれないと、今では考える。

どっくん。どっくん。

今まで実感してきた心臓の声を思い返すと、
“俺は、生きている。”と、自分の存在を実感していたんだと気づき、
別々に存在した時間が、1つの線となって繋がったように感じた。


“伝わって欲しい。”
その心があるなら踏み出そう。

上手く表現しようとしなくていい。
不器用でもいいから、真っ直ぐに表現してみよう。

だから、「有難う。」という言葉だけでなく、
これから、自分が実現したいと思っている、
まだ具体化できていないビジョンと熱量を前に向けていく。

今日から、そんな時に聞こえる、鼓動を感じながら表現して生きたい。
すべては、自分の存在を実感させてくれる表現だと考えると、
自分の想いにふたをするのはやめる勇気が湧いてくる。

これを読んでくれたあなたは、今まで自分に蓋をしてきただろうか。
その自分の数だけ、これからは、
“自分がここで生きている。”という鼓動に出会えるのかもしれない。
社会や他者と触れ合う中で表現したい想いから、
ここに生きている事を実感し、自分と世界が繋がる瞬間を1つずつ紡いでいこう。



だって、その方が日常にいつもより少しだけ、やさしくなれそうだから。



そして、最後に
そう分かち合えた、新しい仲間たちに、本当に心の底から感謝している。
次再開した時、ちゃんと“有難う。”と目を見て言えるように、
信じたい自分の本音と向き合っていこうと思う。
だって、すべては表現なのだから。


君の在処祭。
  2022/8/26〜2022/8/28   at   獏原人村



photo by  せいゆう
素敵な写真たちを有難う。

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