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【自己分析】専門学校に進学した理由分析とその他

学生の方には進路選択の参考にしていただけると思います。
2年間の専門学校生活を追体験できるからです。
ぜひ、お読みいただいてご意見ご感想いただければと思います。

私は偏差値40吉備高原学園高校卒業後、神戸電子専門学校のエンターテイメントソフト学科(コース名は当時)に進学しました。

まず、入学理由と成果を列挙します。
次に、学校生活を振り返ります。

入学理由と成果

◾️入学理由(3つ)

①当時「ゲームクリエイター」になりたいと思っていた。
※当時はゲームクリエイターを具体化(自分の言葉で表現)できていない。
ex)・ゲームデザイナー?
  ・ゲームプログラマー?
  ・ゲームプランナー?
入学を決めた後に、学校説明会に行った。
壮絶にその時点で後悔した。
「難しそー」と。

②そもそも高校卒業後、「浪人」して大学に行こうと漠然と思っていた。
※だが、自宅浪人を父親に拒否され、高3の12月くらいに進路を決定した。(専門学校進学の意思決定をした。遅い。そして意思決定というほど主体的ではなかった。実家の経済力が仇となった。)

③高校時代好きだった異性をストーカーした。(しょうもないし、醜悪。)
もちろん恋が実る事はなかった。
※今となっては「何であのような性格が捻じ曲がってる人間を好きになったか?」としか思えない。周りの人間関係は超重要。

◾️成果

①何とか(出席日数足りない分を書写で補った)卒業した。(3年制→2年制へコース変更)

以上、入学理由と成果を列挙しました。
本当にクソだと思う。
愚かでしかない。
「自分で考え抜けなかったんだろうな」と思ってしまう。


2年間の学校生活振り返り

◾️1年目

入学式の時点で嫌な予感がした。
ぼっちで参加した。
「卒業式参加しないだろうな」と予感した。
現実となった。

1学期
学校生活初日から遅刻した。
全員いる沈黙のクラス(知らない人同士で何話そ?状態)の気まずさよ。

5月に新入生歓迎会で「USJ」に行った。
一人で時間を潰すようにアトラクションを体験した。
ウォーターショーとかいろいろ体験した。
ぼっちでUSJ体験、全然楽しくなかった。
人と馴染むのに時間かかるなと思った。
その時点で辞めたかった。

夏休み前までずーっとぼっちだった。
けど、席が近くの人間と夏休み前に話すようになった。
プログラムの勉強は後手後手で身についている感なかった。
「C言語むずいなー」と思っていた。
※C言語プログラミング能力検定2級は取得。

夏休みは製菓工場内でバイトした。
週5はシフトに入った。
プロバイトみたくなってた。
そういえばマスク着用して働いてた。
面倒くさかった。
友達いなかったので夏休みずーっと1人で過ごした。
実家に帰省する事もなく。
「学校生活は破滅的な事になるな。」そう予感した。

2学期
夏休みが明けて2学期が始まった。
夏休み最重要課題の「2Dゲーム制作(個人)」を全くやらなかった。
もうその時点で辞めるべきだった。
ゲーム作る学科なのに、ゲーム作ってないってダメじゃん?
何しに学校行ってんの?
よって「2Dゲームプログラミング(確かそんな名前だった)」の
評価がギリギリ及第点だった。

修学旅行のグループ決めで余り者となり、人数調整で入れてもらった。
ちなみに「東京ゲームショー」見学をした。
東京観光もした。
秋葉原に行ったっけな。
11月(10月かも?)にITパスポート試験を取得した。

2Dゲームのチーム開発が11月から始まった。
修学旅行同様、あまり者となり、人数調整で入れてもらった。
(修学旅行と違って、実力ないあまり者だからタチ悪すぎ)
チーム開発ではチームに属していただけで何もしていない。
論外過ぎ。
幽霊部員よりタチ悪い。

席近くのI君と仲良くなり、よく昼飯を一緒に買いに行っていた。
(2年進級後クラスが分かれ疎遠になった。)

3学期
2Dゲームのチーム開発は優秀なメンバーが一人いて、
そのメンバーのお陰でゲームとして完成した。
その時点で辞めるべきだったよなー。
何もしてないってどういう事よ?

2月にインフルっぽい風邪で休んだ。
そして10月から約4ヶ月やったローソンのバイトを2月で辞めた。
(クリスマスにはサンタコスして店前でケーキ売ってたW)

春休みは尋常じゃない不安を抱え、バイトもせずぼっちで過ごした。
こうして専門学校1年目が終わった。
2年目はぼっちになるんだろーなと思っており、超現実になった。


◾️2年目

クラス替えがあった。
1年のクラスメイトは私含めて4名だけ。
私除いた3名とは大して喋らず終わった。

そしてぼっちになり、「かわいそ」とかあからさまに陰口を叩かれるようになった。
プログラムの実力もなく友達もなく、チームでのゲーム開発で幽霊部員やってたらそうなっても文句言えないよな。
休憩時間も寝たふりをして過ごした。

2年の授業はほぼ自習だった。
個人で3Dゲームを完成させる必要があったからだ。
救いは自習中のクラスの静寂。
1年時のクラスは自習の時、常に騒がしく鬱陶しかった。
自習になると先生が出ていくので度々こっそり早退していた。

バイトは夏休みにスーパーのレジをやった。
単純作業すぎて1ヶ月くらいで辞めた。

何とか2Dゲームと3Dゲームの個人制作を完成させた。
しかし、欠席しまっくっていたので単位が足りなくなり
書写をして何とか卒業させてもらった。
「安定してそうだから公務員になろうかな?」と思い
公務員専門学校の受験予約をし、卒業した。

もちろん卒業式は参加してない。
専門学校2年目の1年間は、ほぼ人と喋ってない。
とにかく学校を辞めたかった。

こんな感じで散々な専門学生時代を送った。
職務経歴書でアピールポイントとして使いづら過ぎる。
自分の歴史から消したいなと思う。

専門学校時代の経験から、合わない環境は早く逃げれば良いと思っている。

この日記が学生の方の参考になれれば嬉しいです。





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